表紙 > 漢文和訳 > 江戸時代の『通俗続三国志』口語訳-巻01

03) 王渾と王濬が、功を争う

舞台は、西晋の洛陽です。

天下統一の感傷

西晋の280年3月、孫呉の孫皓が降服した。西晋は、天下を統一した。西晋の武帝は、涙を流した。
「これは、羊祜の功績であるぞ」

荊州で伐呉の準備をした。すでに故人だから、本作には登場しません。

諸臣が武帝に、祝いを述べた。だが驃騎将軍の孫秀だけは、武帝に背を向けて、涙を流している。孫秀は言った。
「むかし袁術が、孫策を懐義校尉に取り立てたとき、孫策は20歳だった。曹操が孫策を討逆将軍に任命して、孫呉の国は始まった。だがいま孫皓は、降服して孫呉は滅びた。嘆かわしいことだ」

センチメンタリズム! 国の初めと終わりを語ってる。


まだ西晋が孫呉を滅ぼす前、張華だけが、平定できると主張した。賈充は、平定できないと主張した。賈充は、
「張華はウソを言っています。張華を誅殺し、撤退すべきです」
と上表した。武帝は張華を信用した。
賈充が撤退を上表したと聞き、杜預が驚いて駆けつけた。杜預は、
「速やかに呉を討つべきです」
と反論した。すでに孫呉の平定に成功した後、賈充は目測を誤ったから、大いに恥じて怖れた。だが武帝は、賈充を許した。

討伐したときの経緯説明だ。次のストーリーと、直接は絡まない。賈充が怪しげという伏線ではあるが。

呉将をおおく斬った王渾の怒り

武帝が、征呉の手柄について、詮議した。意見が割れた。
伐呉のとき王渾は、呉将の丞相・張悌を破った。張悌が死んだことで、孫皓は降服を決断した。
そのころライバルの王濬は、益州から船団で攻め下っていた。王渾は、王濬に第一の手柄を奪われると思ったので、
「王濬よ、船を止めろ」
と命じた。

王渾は名門、王濬は寒門。だから対抗して、話がこじれるのです。
同じ王姓なのにね・・・

だが寒門の王濬は、
「風が速く、流れが急なので、止まることができません」
と、名門の王渾に返事した。寒門の王濬は石頭城に入り、孫皓の投降を受けた。王濬は、呉将と戦わずして、孫皓を手に入れた。
翌日に、名門の王渾が長江を渡ったとき、すでに王濬が孫皓を引き取った後だと聞いた。王渾は、怒鳴った。
「老賊(王濬)の妖怪野郎め。王濬は副将に過ぎない。私は主将である。王濬は副将のくせに、止まれという私の命令に逆らって、孫皓を確保してしまった。呉兵を多く破ったのは、私である。老賊は、帆を揚げて、長江を下ってきただけだ。老賊がすんなり長江を通れたのは、私が敵将をあらかじめ片付けたからだ。功績を盗みやがって。王濬は、謙譲を知らない奴だ」

名門・王渾の部下たちは、考えた。
「もし上司である王渾さまが、王濬にトップの功績を奪われると、俺たちの分け前も小さくなる。だから王渾さまを、もっと怒らせて、権利を主張してもらわねば」

目ざとく、浅ましい。が、正しいね。

部下たちは言った。
「俺たちは死力を尽くして、呉将の張遵や張咸を斬ったのです。それなのに・・・。私たちが耕して育てた粟を、王濬がタダで食うのを許しますか。私たちは、何の見返りもないのにウサギを追いかける走狗(猟犬)と同じです」
王渾は、部下の狙いどおり、ますます怒った。
「私が王濬に止まれと命じたのは、作戦会議を開こうと思ったからだ。しかし王濬は、私が手柄を競うため停止を命じたと勘違いし、止まらなかった。軍令違反だから、王濬を罪に落として、この恨みを晴らしてやろう」

「恨みを晴らして」って言ってる時点で、手柄を得させないための命令だったと、バレていますが。いいのか?

「そうです王渾さま、そうすべきです」
部下たちは煽った。王渾は、王濬を捕らえる準備を始めた。

冤罪を受けそうな、王濬の怒り

寒門・王濬にシンパシーを持つ人が、王渾の動きをリークした。王濬もまた、怒った。
「私は前線に立ち、矢石に身を晒したのだ。私が孫呉を平定したことは、朝廷で認められている。王渾の妬みのせいで、冤罪を着せられては敵わん。私は王渾の軍を、兵を揃えて迎え撃つ。手を縛られ、王渾に捕えられるのは耐えられない」

参軍の何ハンは、驚いて王濬を諌めた。
「王濬さんが、王渾さまと戦うとは、本気ですか」
「本気だ。私は罪がないのに、王渾に陥れられようとしている。どうして抵抗せずにいられるか」
「いけません。王濬さんが、自分の功績の高さを誇っては、鍾会と同じです

鍾会は、蜀漢を平定するときの総大将でした。鍾会が強敵と戦っている間に、鄧艾が山岳を回りこんで、劉禅を手に入れてしまった。鍾会は、鄧艾を罪に落とした。
鍾会は、名門の主将だ。鄧艾は、叩き上げの軍人だ。例えるなら「鍾会:鄧艾=王渾:王濬」の構図だと思うが・・・逆じゃん。
ここで何ハンは、鍾会が鄧艾を片付けた後に、成都で独立しようとした野心を指しているのでしょう。

何ハンは、さらに王濬に言った。
「王渾さまは、皇帝の命令を受けて、全軍を仕切る権限を持っています。王渾さまの命令は、皇帝の命令と同じです。王渾さまが発した、止まれという命令を無視したことは、王濬さんの犯罪その1です。いま王渾さまと戦おうとすれば、犯罪その2が生じます」
王濬の怒りは消えない。だが何ハンが必死に止めたので、王渾と戦うだけは思いとどまった。

武帝によるジャッジ

名門・王渾は、手柄第一が王濬に行ってしまったので、気持ちは鎮まらなかった。王渾は、王濬の悪口をせっせと奏聞した。
「王濬は、孫皓から宝物を受け取っています。この宝物を、自分だけのものにしたいから、王濬は孫皓の投降を受け入れたのです。主将である私の命令を破って進んだのは、孫呉の女官を手に入れるためです」

だが武帝は、寒門・王濬に下心がないと知っていた。だから武帝は、王渾の奏聞を取り合わなかった。ただ、主将の命令を聞かなかったことだけを、王濬に咎めた。
けれども王渾は、王濬の弾劾を辞めない。武帝は仕方ないから、賈充と王渾に8000戸を与え、王渾を郡公に進めた。寒門の王濬を邑公に留め、王渾のほうを上にした。

邑が集まったものが、郡だ。郡公のほうが偉い。