表紙 > 漢文和訳 > 江戸時代の『通俗続三国志』口語訳-巻01

05) 諸葛瑾の孫、埋伏を看破

三国が統一される、最終決戦に参加できなかった、名臣の子孫たち。彼らがいま、孫呉の再興を賭けて、ふたたび戦います。
三国ファンが読みたかった場面だと思います。

初めて読みながら、直ちにこれを作っているので、ぼくも先の展開を知りません。けっこうドキドキしてます。

晋と呉とが、戦い始める

諸葛慎は、険隘の地に、柵塁をめぐらせた。
西晋の羅尚、劉弘、山簡らは、まったく抵抗を受けず、10万人で悠々と進軍していた。
「おや、あれは何だ」
晋軍は、関上に呉軍の旌旗がなびいているので、止まった。羅尚が先の地形を探らせると、両側が切り立った崖で、いちどに1人しか通れない狭い道である。
羅尚は言った。
「百万の兵士がいても、この隘路では、活かすことができない。呉軍を平地に釣り出して、戦うしかないのだが。はああ、困ったなあ」
羅尚はため息を吐き、天を仰いだ。

そのとき、天まで轟く、砲と鼓のBGMを響かせ、1人の呉将が突っ込んできた。周処である。2人の副将、莞恭と帛奉も、周処を追って、飛び出した。3人の呉将は、瞬く間に晋軍の死体の山を築いた。

ノリが『演義』です。いいねえ。

晋将の愈賛が、一騎討ちを仕掛けた。周処と愈賛は、30合ほど打ち合った。周処は一声のもと、愈賛を騎馬から叩き落とした。晋軍は、愈賛が敗れたので、驚き懼れた。

一騎討ちは、いかにも「小説」です。しかし、一騎討ちをせざるを得ないような、狭い戦場を舞台として用意したんだから、リアリティは担保されてると思う。

周処は、晋の主将・羅尚の車蓋を見つけて、進んだ。羅尚は敵わないと思い、逃げ出した。他の晋将もあきらめて、逃げた。呉軍は20余里を追撃した。晋軍は、1万余人を失った。

竹林の七賢の子、作戦を練る

敗れた羅尚は、駭(おどろ)き怒った。
「次こそ、呉軍を討つのだ。洛陽に申請して、もっと大軍を送ってもらおう
先鋒の周旨が羅尚の弱音を聞き、羅尚を諌めた。
「羅尚さまは、すでに大軍を与えられ、全権を任された立場です。ただ1回敗れただけで、あわただしく洛陽に伺いを立てては、朝廷の大臣に笑われます。再戦して、それでも呉軍に勝てなければ、初めて上奏をすれば良いでしょう」
羅尚は、周旨の意見を容れた。

羅尚が諸将に、アイディアを求めた。
「次は、どう攻めたら良いか」
山簡が言った。

山簡は、竹林の七賢・山濤の子です。

埋伏をしましょう。将軍たちが散らばって、1万人ずつで兵を隠します。先鋒がわざと負けて退却し、追ってきたところを包囲します。周処を捕えられます」

『演義』で荀攸がやった、十面埋伏の計の焼き直しだ。

晋将たちは大いに喜び、
「その計略は、甚だ妙だ。決して洩らすまいぞ」
と固く約束した。

呉の軍師、諸葛慎のいましめ

次の日の五更、晋将は出陣した。

「五更」は夜明け前。日暮れを起点にして、夜を五等分した言い方。江戸時代の読者の日常語でしょう。

晋の各軍は、静かに兵を伏せた。
晋将の羅尚と周旨は、呉軍の前に出て、大いに呉軍を罵った。
「おい、狭い場所に閉じこもってないで、出てきて戦わないか。この臆病ものめ!」
呉将の周処は、衝動的に飛び出そうとした。
諸葛慎が止めた。

諸葛慎は、この役目を期待されて、参謀になったんだもんね。

「晋軍が私たちを罵るのは、戦闘に誘っているからです。何か計略があるから、周処さんを怒らせています。自爆してはいけません。昼まで待って、晋軍が少し疲れたとき、急に出撃しましょう」

呉軍に戦う意志がない。晋将の周旨は、兵士に裸踊りをさせ、呉軍を罵った。
呉将の周処は、
晋人の悪むべき無礼、もう堪えられん! オレが関上から出陣し、晋将の1人や2人を斬ってきてやる!」
とキレた。
諸葛慎は、周処に言った。
「周処将軍、お気持ちは分かりました。出撃して下さい。もし晋将を斬ることができれば、一気に追い討ちをかけなさい。しかし、晋将が速やかに退いたら、これは敵の計略です。関上に戻ってきなさい」

無条件に、出撃を止めるのではない。諸葛慎は、よく周処の気持ちを分かっている。いや、ただ周処に制御が利かなくなっただけ?

諸葛慎は、こってりと周処に言い聞かせた。周処は、分かったと言って、飛び出した。周処が命じた。
「副将の莞恭と帛奉は、距離を置いて、オレに続け。もしオレが晋将を斬れば、追いついて一緒に攻めよ。もしオレが伏兵に囲まれたら、さらに外側から伏兵を包囲して、これを破れ」

周処は、ただ伏兵に突っ込むだけの、単細胞ではない。ただでさえ不利な呉軍の大将が、しかもバカなら、手のつけようがない。話は面白くなくなる。判官贔屓は、話を盛り上げるテクニックでもある。

諸葛亮&諸葛瑾と、同じ関係になるだろう

呉将の周処は、5000騎で関を降った。周処は、晋の先鋒・周旨の軍と向かい合った。
周処は、大声で言った。
「そこにいるのは、周旨か。いまオレたちは、呉と晋で別の国に仕えているが、もともと同じ周氏である。お前に勧めたいことがある。聞き入れる度量を持っているか」
周旨が答えた。
「試しに言ってみよ。内容によっては、同じ家の者として、親交を結ぼう。だが理屈の通らない申し出なら、お前と私の関係は、諸葛亮と諸葛瑾のようになる。兄弟としての情より、国事が優先だ。ましてお前と私は、兄弟でなく、ただ同姓というだけだしな」

晋将の周旨は、さらに言った。
「呉国は、天禄が終わって滅びた。周処の主君は、もういないのだ。潔く晋国に降って、周氏の家の祭りを絶やすな。馬援や竇融は、もとは後漢の敵だったが、光武帝に降って、歴史に名を残した。周処も晋に降るといい」
周処が言い返した。
「呉帝の孫皓さまは、残虐ではあったが、大きな過ちはなかった。だが晋軍は、理由なく孫呉を攻めた。オレは、晋に降らない。オレたちは東南の僻地で、孫呉を復興するのだ。周旨、いま雌雄を決しよう」

呉の周処が馬を進めた。晋の周旨は、一騎討ちに応じた。
40余合した。
晋将・周旨は、負けたふりをするため、周処の刀を受け止めた。だが呉将・周処の力が強いので、周旨は武器を破壊された。

疲れたから「敢えて」身を引くと、一気に漬け込まれる。ぼくは小学生のとき、相撲をさせられたのだが、同じ経験があります。

呉将・周処は、刀をそのまま振り下ろした。晋将・周旨は、肩骨を砕かれた。周旨は、武器を捨てて逃げた。

晋軍の先鋒が崩れて逃げてきたので、埋伏していた晋将たちは、混乱した。呉軍の後続である、莞恭と帛奉は、晋軍を討った。
晋将・周旨は、先鋒として敗れただけでなく、大量の兵士と軍資を失う原因を作った。晋将たちは慎重になり、洛陽に応援を求めた。