表紙 > 漢文和訳 > 江戸時代の『通俗続三国志』口語訳-巻01

04) 陸遜の孫が、西晋を拒む

天下統一の仕上げが始まります。

孫呉の残党狩り

280年正月、西晋は南征を始めた。4月に呉を平定。5月に武帝は、呉の最後の皇帝・孫皓を引見した。
杜預と張華が、上言した。
「呉の皇帝は、わが晋に従いました。しかしいくつかの州郡は、まだ降っていません。虎を養って、患いを残すことのないよう、平定しましょう」
「そうしよう」
武帝は、羅尚、劉弘、山簡、周旨、弓欽、ユ賛、皮初、応セン、劉喬、陶ヨウらに10万人を率いさせた。

原書には肩書きが付いてますが、省略です。ごめんなさい。

西晋軍は、嶺南、交州や広州を征伐した。
また賈模に節を持たせて、夏侯駿、解系、皇甫重、辛冉、李微を率いさせ、10万人で湘東建平を討伐した。

つまり、羅尚と賈模を大将とする、2つの方面軍が編成されたのだ。

陸遜の孫が、孫呉の再興を誓う

場面は、孫皓が降服する少し前に戻る。 広州刺史の陸晏という人がいた。陸遜の孫で、陸抗の長子である。

三国ファンに美味しそうなキャラが出てきました。

陸晏は『六韜』『三略』に通じており、生まれつき明敏な人物だ。祖父たちの才能を、引き継いでいた。陸晏は、西晋軍が4路から攻めてくると聞くと、諸将を集めた。
陸晏は、作戦会議を開いた。
広州の副守は、滕修、あざなは顕先という人だ。この人も、きわめて知識が優れた人で、南陽郡西鄂の人だ。

滕氏は孫呉の官吏で、孫皓の正室は滕氏である。『三国志』には滕胤の列伝があるから、その血縁でしょう。

滕修は、陸晏に提案した。
蒼梧太守の王毅、始興太守の閭曹らを集めて、西晋に抵抗しましょう。孫呉を守るのです」
陸晏は、ただちに賛成した。2人の太守に使者を出した。太守は、兵を率いて陸晏のところに集まった。交南留守の莞恭、帛奉たちも、精鋭5万人を率いて、陸晏に参加した。

諸将が集まって、宴会を開いた。陸晏は、集まってくれた味方を、もてなした。そのとき、滕修が駆け込んだ。
「王濬に、首都の建業が破られました。わが皇帝・孫皓さまも、降服なさったそうです!」
諸将は、顔をおおって大哭きした。

広州は、建業よりも奥地だ。首都防衛に加われなかった無念さよ。

滕修は、言った。
「こんな風に哭いても、仕方ありません。私たちは東方を守り、ふたたび孫氏の皇帝を立てましょう。忠を尽くしましょう」
陸晏が応じた。
「皆さんに孫氏再興の志があれば、こんなところで、終わってはいけない。そのうち西晋軍が、東方にも攻め入るはずだ。私の率いる広州軍は、先鋒として戦う。皆さんが心を合わせれば、心配は要らない」
姚信という人が言った。
「私たちは東南を守るために配された、呉臣だ。晋を退けて、孫皓さまの恥を雪ごう」
この日の宴席は終わった。

西晋から、陸晏への誘い

翌日、諸将がまた集まった。
「陸晏さまのところに、西晋の武帝から、書状が来ています。曰く、孫呉の残党では、西晋に敵うわけがない。降服せよ、と」

赤壁の「会猟状」と同じだ。陸氏は名族だから、誘いが来る。
国を越えたネットワークを持つ名士同士の話し合い(馴れ合い)で、戦わずに解決すれば、それが一番だ。

陸晏が言った。
「私たちは代々、呉の禄を食んできた。孫皓さまは残虐だったが、大罪を犯す人ではなかったから、私は孫呉に仕え続けた。

孫皓は、無条件に慕う良君ではないわけね。不可ではない、という消極的な評価しかされていない主君だ (笑)

だが西晋は、理由なく軍隊を発し、みだりに建業を攻め落とした。私は西晋に敗れて恥ずことはあっても、西晋の招きを受けない
王毅が言った。
「陸晏さまの忠誠は、太陽を貫くほどだ。いま孫皓さまが降服した。だが呉臣たちは、おめおめと西晋に降り、安定した身分を求めていいはずがない

孫皓に対する批判に聞こえるのですが・・・

陸晏が言った。
「西晋は、大軍で脅しをかけるだろう。苦戦を強いられるだろうが、頑張ればいい。逆に困るのは、孫皓さまの書状だと偽って、降服を誘われた場合である

伏線だ。じつはこの戦いの、結末の予言なのが・・・まだ内緒だ。


ここで、情報が飛び込んだ。
西晋の羅尚が、10万を率いて、長沙郡から南下しています。すぐに広州の国境に到着するでしょう。人民が驚かないように、守りを備えて下さい」

羅尚は、蜀漢に仕えた羅憲の兄の子だ。ここで陸氏と対決とは・・・

陸晏は、大いに怒った。
「おのれ羅尚め。さて、どうやって防ぐべきか」
1人が進み出て、言った。
「羅尚は、1本道を来ています。呉の猛将1人を選び、1万人を与えて、道を防がせます。チン嶺で、道の狭まったところを固めれば、羅尚が100万人を率いていても、飛び越すことができません。

狭い道なら、いちどに戦闘できる人数は限られる。寡兵側の作戦だ。

羅尚が停滞しているうちに、主要な道路を断ち、羅尚の兵糧が尽きるのを待てば、敵は自ら撤退するでしょう。撤退を始めたら、そこを攻撃すれば勝てます。勝ちに乗じて、孫呉を再興しましょう!」
こう提案したのは、陸晏の従弟で、南蛮校尉の陸玄だ。

あとから名前を明かすのは、小説的な手法ですね。
漫画だったら、シルエットで表現されるところだ。

「それはいい作戦だ。しかしその役目を、誰に任せるか・・・」
陸晏が悩んだ。
そのとき、閃き出た武将がいた。豹の頭、虎の首、狼の眼、獅の眉、身長9尺、紫のほおヒゲで、腕力は誰よりも強い。
これは周処で、あざなは子隠である。周魴の子だ。

『三国演義』のテンションだ! 動物を合わせまくったキメラだ。
周魴は、曹休をだまして石亭の勝利を演出した人だ。

周処は言った。
「私にお任せ下さい。晋兵を防いでみせましょう」
陸晏は喜び、周処を先鋒に任命した。周処の副将は、莞恭と帛奉だ。

諸葛瑾の孫が、参謀につく

周処は出陣に臨んで、自信たっぷりだ。
「私には方略がある。陸晏さまも陸玄さまも、心配は無用です」
周処は生まれつき剛猛だ。陸玄は、周処が興奮して敵の計略に引っかかることを怖れた。陸玄は提案した。
1人の長者を参謀にして、周処を助けさせよう」
陸晏は、誰がいいか、と聞いた。
陸玄が答えた。
中軍司馬の諸葛慎がよいです。はかりごとが得意で、知識が深くて広い。それに諸葛瑾の孫です。万にひとつも、過失はないでしょう」

諸葛恪の子かな? でも名が、諸葛恪と同じ立心偏というのはおかしい。諸葛珪と諸葛瑾がおじ&おいだったり、変な家だなあ。

諸葛慎は、陸玄に推薦されたことを喜び、周処に従った。