08) 関羽の孫、龐氏から逃げる
劉禅は降服したが、蜀漢にゆかりのある人物たちは、
君臣の血筋とも漏れなく、北方に逃げました。
王平の子になった、西晋末の独立勢力・王弥
劉封の子・劉霊は、逃げながら思い出した。
「王弥は、王平の子にして、私の親友だ」
たまたま王姓の武将が蜀漢にいたから、血縁まで設定された。
劉霊は悩む。
「王弥は優れた人物だ。もし王弥が魏に味方したら、蜀漢の再興チームにとって、大きなダメージだ。王弥は、劉禅さまが黄皓を重んじたことに失望して、門を閉ざしていた。王弥が、蜀漢をとっくに見限っている可能性がある」
王弥と劉霊の関係について、ちょっと過去の経緯を解説。
40年前、劉霊の父・劉封は、関羽を救援しなかったから、劉備と諸葛亮に殺された。
劉霊は、父を殺されたことを怨みに思って、蜀漢への出仕をやめた。王弥は、劉霊を心配して、交際をしてくれた。王弥と劉霊は、異姓の兄弟となった。
また劉霊は、王弥の仲介のおかげで、関羽の子たちと仲直りできた。劉霊と王弥と関氏は、仲が良かった。
関羽の子孫を逃がせ
蜀漢が滅亡を迎えたいま、劉霊は王弥を訪問した。王弥は、毅然とした態度で、嘆じた。
「劉禅さまの堕落ぶりを見て、今日みたいな日が来ることを、予想していた。蜀漢が滅びるのは、仕方ない。だが、関興の子供たち(関羽の孫)が幼いので、心配である。かつて私は、関興から、我が子を頼むと言われているんだ」
関興の幼子たちは、王弥を頼った。
龐徳の子・龐恵が、成都に侵入し、関羽の一族を皆殺しにした。だが関興の子は、王弥に保護され、殺害を免れた。
王弥が脱出を図ると、関興の子・関謹が言った。
「北門には鄧艾がいます。東西の門も、守備が堅い。南門だけが、地形が険しいので、包囲が手薄です」
「わかった」
王弥は、南門を出た。魏将・李因に呼び止められた。
「逃がさんぞ」
「お待ちなさい。私は異郷の出身で、ちょっと成都に逗留していただけです。故郷に帰るだけです。通して下さい」
まあ王平の子という、架空の設定を守ったとしても、王平は魏の降将だから、あながちウソにはならないが。
「いや、誰であろうと、見逃せない」
魏将が立ちふさがったので、王弥はピンチに陥った。
そこに、李厳の孫(李豊の子)が助太刀に現れ、王弥たちは逃げることができた。李氏が言う。
「祖父の李厳は、諸葛亮の譴責を受けて、辺境に流されました。父の李豊は、参軍となりましたが、適性がないので退職させられました。しかし李氏が蜀漢を復興させたい気持ちに、偽りはありません」
「私たちは同志ですね」
王弥は、涙を流して礼を述べた。・・・次巻につづく。
巻01を口語訳し終えて
意外につらい (笑)
原文にある、複雑すぎる描写を除き、面白さに貢献しない設定を省き、分かりにくい箇所には言葉を補い・・・それでも分かりにくいままで・・・なかなか進みません。
原書『通俗続三国志』はね、読者にムリを強いるのです。
元禄時代に、きっとそれほど安くない木版?の出版物を買う。中国史の小説を読むことは、知的教養のステータスだから、読者は、分かりにくくても諦めない。執念深く、読み返してくれるのです。
しかしぼくが目指すのは、お菓子を食べながら「へええ」と読み流し、サクサクとスクロールできるような文章です。
斜め読みでも道に迷わないように、主語を過剰なまでに入れてます。周処と周旨は、どちらが晋将でどちらが呉将が分からなくなるので、余計なまでに説明したつもりです。
王濬と王渾が競ったのは史書にあることだから、口語訳と称して、改変するわけにもいかないし・・・
まだまだ文体が確立できないので、試行錯誤です。文体へのご感想やリクエストを、掲示板でお待ちいています。
しかし『通俗続三国志』は37巻まであります。まだ37分の1です。果たして最後まで出来るのか・・・100130