01) ことばを信じない変人?
岡本光生『2時間でわかる図解/韓非子』中経出版2000
を読みました。
この本を読んで、もとの『韓非子』を読んでみたくなりました。以前にやったように、三国キャラに講義をさせたくなりました。
今回は、その準備として、2時間の図解の紹介本の内容を、さらに短縮して書きとめておきます。
本ページが想定する読者
『韓非子』という書名だけは知っているが、具体的な内容はほとんど知らない!という人に、楽しんで頂けるかと思います。
なぜなら、まさに『韓非子』の名前だけしか知らないぼくが、自分のありのままの目線で書いているからです。
ちなみに『三国志』に、韓非子の名は2回出てきます。
1つめは、杜畿の子、杜如伝。
杜如が言うには、
「人事評価について、述べます。いまの人は商子や韓非子ら法家を重んじます。儒教は迂遠だとして、軽んじます。これは悪い風潮です」
2つめは、蜀の郤正伝。
「黄皓の朝廷はダメである。政治が乱れるから、矛盾が起きる。韓非子は能弁のくせに、立ち回りに失敗して、処刑された」
以上2つです。
意外と少ないが・・・魏で流行ったというのは、三国ファンが興味を持つ対象として、ポイントが高いと思います。主流でなくても、少なくとも杜如は流行だと感じたんだから、ポイントはやはり高い。
では、本の抜書きに移ります。まずは周辺知識から。
1章、韓非子のおもしろさ
ことばを額面どおり受け取ってはいけない。
だれが、どのような状況で発言したか、と関連して捉えるべきだ。停滞した組織では、とくに裏がある発言や、妙な勘ぐりが起きやすい。
今日の日本の多くの会社にも、教訓が当てはまる?
ことばを信じないのが、韓非子だ。
韓非子と違い、ことばの力を信じる人がいる。
ことばで他人を説得することに、自分の存在意義を見出す人がいる。現代のインテリゲンチャ、古代中国の遊説の士だ。
『論語』子路編には「正名」つまり、名を正すという思想がある。ものの秩序は、名の秩序と連動している。名を正せば、ものの秩序も回復されるはずだ、と。
これらは、韓非子と立場が違う。
韓非子は、ことばの無力を、エピソードで説く。
むかし衛の霊公は、1人の男を可愛がった。男は母が病気のとき、ルールを破って君主の馬車を使った。足切りに相当する罪だが、霊公は許した。むしろ男を褒めた。
「彼は足切りを覚悟して、母を見舞った。彼は親孝行なんだ」
歳をとり、男の容貌が衰えた。霊公は、前言を翻した。
「彼は、勝手に君主の馬車を使った。罰せよ」
韓非子がコメントする。
男の行動は同じなのに、霊公の心変わりによって、賞罰が変わった。霊公のことばなんて、いい加減なものだ。人に話をするときは、相手の虫の居所をチェックすべきだ。機嫌によって、許容も拒絶もされるだろう。ことばの内容は、二の次だ。
ことばの意味は、聞き手(君主)が握っている。
2章、韓非子は亡国の貴公子だ
韓非子が生まれたのは、戦国末期の韓。韓は、春秋末に、晋を3分割した国の1つ。いまでは秦に圧迫されて、亡国の危機だった。
書名とゴチャゴチャになっているけど、韓非子を書いたのは韓非さん。韓非は、公子の1人。公子ゆえに、後継者問題で警戒されて、不遇だった。宮中に閉じこもった。他の諸子百家は、諸国で宣伝活動をしたが、韓非は自国に引きこもった人だ。
『史記』によると、韓非は若いとき「刑名」「法術」を学び、性悪説の荀子に学んだ。荀子は、欲望をコントロールできない人間のモデルをつくった思想家だ。
韓非とともに荀子に学んだ同窓に、秦の宰相となった李斯がいる。
紀元前234年、韓王安が、韓非に頼んだ。
「西の秦に圧迫されて、わが国は滅びそうだ。秦で大臣をやっている李斯は、きみの同窓だね。韓非は、ひとつ秦まで外交にいって、和平を結んでくれないか」
ときの秦王政(始皇帝)は、韓非の著作の大ファンだった。
「この著者に会って交際できたら、死んでもいい」
というほどの熱狂ぶり。
秦王政は、外交にきた韓非を大歓迎してくれた。だが、李斯が韓非に嫉妬して、秦王政に告げ口した。
「韓非は、韓王の一族です。いくら、この秦が外国人を積極採用しているとは言え、韓非を使いこなすことはできません。韓非は、韓の国益のためだけに働く人間です。引きこもりであることが、その証拠です」
紀元前233年、韓非は秦で殺された。ほぼ50歳だった。
韓非が死んだ3年後、秦は韓を滅ぼした。
◆法家の時代
韓非が生きたのは、戦国末。
戦国時代、もとは独立してた邑が、戦国七雄の支配下に入った。支配者は、他人に命令を強いる。強制するため、人の善意を信頼していられない。孟子の性善説から、荀子の性悪説へとスライドした時代だ。
権力者は、法で国を治めた。
法のはしりは、紀元前536年の子産だ。子産は、刑法を鋳込んだ鼎を鋳造した。法を視える化して、守らせようとした。ルールは、君主の気分によって変わってはいけない。鼎に刻まれたまま不変である。これが法治だ。韓非が生きた時代の風潮だ。
韓非は後世に、法家にくくられた。実態は、引きこもりの孤独な思想家だったが。
次回から『韓非子』の内容に入ります。