表紙 > 読書録 > 赤壁の開戦前、張昭が孫権に『六韜』を講義したら

01) 曹操からの降服勧告

三国志の登場人物に仮託して、
小説風の問答形式で、取っつきにくい古典を読もうという趣旨です。

以前、10年のお正月休みを使い、
郭嘉が曹操にマキャベリ『君主論』を講義したら
という文章を書きました。今回はその第2弾です。

リクエストを頂きましたので、

ロールシャッハ様、ありがとうございました!

登場人物は張昭と孫権です。

講義に使うテキストは、正統派の中国古典『六韜』です。なぜこれを使うかと言えば、
守屋洋『完本 中国古典の人間 名著二十四篇に学ぶ』
プレジデント社2004

の中で『六韜』の面白い文章を見つけたからです。君主が人材を見分けるポイントとして、
「酒に酔わせてみて、その態度を観察する」
があがっており、用いてはならない人間として、
「趣味に溺れて、与えられた職責をおろそかにする奴」
なんだそうです。
ひやっとした! どちらも気をつけているものの、ぼくは酒の席で油断してしまうことがあります。仕事中も、趣味に連なる話題が出たら、ソワソワしてしまいます。

飲み会にて、上司が訓話の中で中国古典を用いたとき、やばかった!
上司を押しのけて、自分の知っていることや、考えていることを語ってしまった。ちょっと引かれた。部下として、最悪である。

これを戒める『六韜』とは、どんな本なのか。知りたいので、
林富士馬訳『六韜』中央公論社1987
を買ってきました。手に入れたのは、2005年の文庫版ですが。

場面設定

西暦208年、中原をあらかた制圧した曹操が、南下した。荊州は、たちまち曹操に降服した。
圧倒的な強者・曹操は、揚州を実質的に治める孫権に対し、
「領地を明け渡せ」
とプレッシャーをかけた。
孫権は群臣に諮った。群臣たちは、
「曹操の命令に従うべきです」
で全会一致した。
だが孫権は、何も言わずに自室に閉じこもった。孫権だけが、曹操に従いたくない。
孫権はこのとき、数えで27歳だ。19歳で兄を嗣ぎ、群臣たちの意見を調整し、なんとか領国経営を取り回してきた。だが、今日ほどの正念場は初めてだ。

決断前夜の出来事

孫権は酒を飲んで、気を紛らわした。日暮れ、従者が薄く戸を開けて、
「張昭さまがお見えです」
と告げた。孫権は、
「また説教か」
と独り言を吐き、
「オレはいない、と伝えろ」
と従者に命じた。従者は、分かりました、と言って去った。
孫権は、先頭を切って曹操への降服を説いた張昭を、憎み倒している。

しばらくして、猛々しく床を踏み鳴らす足音が近づいてきた。
「孫権どの、いますよね」
張昭の怒声だった。孫権は、急いで引き戸を押さえにかかった。
「開けなさい」
孫権は、黙ったままだ。張昭が戸に手をかけた。力は孫権の方が強いから、開かない。孫権は、深くため息をついた。
「孫権どの、開けたくないなら、それも良いでしょう。私の声は聞こえていますな」
孫権は答えない。
「曹操の件、これはしばらく措きます。それより今宵は『六韜』を講義いたしたく。宜しいな」
「なぜだ」
「いつもと同じ、一人前の君主になって頂くための教育です。孫権どのは、私の講義を受ける義務があります」
「なぜ、今日?」
「いえ、今日だからこそ」
「張公、オレは疲れている。1人にさせてくれ」
「そんな、人間みたいなことを申されては困る」
「オレは人間以下か」
「否。孫家の当主であり、揚州の領主です
「だが『六韜』なら、すでに張公に言われて読んだ。要らん」

孫権は、父代わりでもある張昭を敬って「張公」と呼んだらしい。このページでも孫権に、「昭」と呼び捨てにさせません。

「では答えなさい。あなたは『六韜』に何を学び、実践していますか」
「・・・」
「だから、あなたは青二才だと侮られるのです」
「オレを侮っているのは、張公だ。張公がそういう態度を取るから、いつまで経っても、オレの江東支配が固まらない」
「自らの不足を、他人のせいにしますか。そんな男なら、即刻に曹操のクツを舐めるべきです。ああ、見損なった・・・亡き兄・孫策さまに、合わせる顔がない・・・

孫策は死ぬとき、張昭に孫権を托した。
「孫権に器量がなければ、張昭が代わってくれ」と。

「黙ってくれ。どうしてもと言うなら、戸外で講義しろ」
「宜しい。孫権どの、『六韜』の形式はご存知か」
「当たり前だ。周の文王と武王の問いに、太公望が答える形式だ。太公望のセリフの中に、この本の教訓が入っている」

殷を倒して、周を建国した名君&名軍師です。彼らの対話形式で書かれているが、実は創作物。『六韜』が書かれたのは漢代?らしい。

「可です。しかし本日は、原書の問答形式をいちいち引用せず、要点だけ掻い摘んで話します」
「張公が、太公望に千里と及ばないからか」
「違います。孫権どのが、文王や武王に百万里ほど及ばないからです
「もういい。始めてくれ」