表紙 > 漢文和訳 > 「呂蒙伝」:『三国志集解』を横目に、自分で翻訳する

02) 周瑜に従い、曹仁を攻める

呂蒙のことを、よく知るために、目ぼしい『三国志集解』の註釈を抜書きしながら、翻訳します。
『集解』の全訳でないことは、ご容赦ください。学術研究者ではなく、ファンにとって興味深い事実は、漏らさずに書くつもりです。どうしても主観で取捨選択してしまいますが。

赤壁のあと、凌統を見捨てる

是歲,又與周瑜﹑程普等西破曹公於烏林,圍曹仁於南郡.益州將襲肅舉軍來附,瑜表以肅兵益蒙,蒙盛稱肅有膽用,且慕化遠來,於義宜益不宜奪也.權善其言,還肅兵.
この年(208年)周瑜と程普らは西に行き、烏林で曹操を破った。

孫権の臣下の親玉は、程普。呂蒙は、程普の部下かなあ。

周瑜たちは、曹仁を南郡で包囲した。
益州の部将である襲肅は、軍をあげて、周瑜に降伏した。

胡三省がいう。甘寧が夷陵を取り、益州と隣接した。だから益州の部将が、周瑜に投降したのだ。
ちくま訳の索引を見るに、襲肅は他に出てこない。ここだけ。

周瑜は上表した。
襲肅の兵を割き、呂蒙の兵を増やしましょう」

周瑜は、なぜ呂蒙を増員しようとしたのかなあ。いろいろ、妄想の入り口となりそうです。

呂蒙は、襲肅の膽(キモ)が座った、有用な人物だと称えた。

自分の隊を解体される悲しさは、呂蒙がいちばん知っている。

呂蒙は言った。
「襲肅は、孫権さまを慕い、遠くから来ました。義のため、襲肅の兵を増やすべきです。襲肅から、兵を奪ってはいけません」

何焯はいう。呂蒙のやり方は、1万人を率いる人の度量だ。

孫権は、呂蒙の発言を認めた。襲肅に兵を還した。

瑜使甘寧前據夷陵,曹仁分攻寧,寧困急,使使請救.諸將以兵少不足分,蒙謂瑜﹑普曰:「留淩公績,蒙與君行,解圍釋急,勢亦不久,蒙保公績能十日守也.」又說瑜分遣三百人柴斷險道,賊走可得其馬.瑜從之.
周瑜は甘寧に命じ、さきに夷陵に拠らせた。曹仁は兵を分けて、甘寧を攻めた。甘寧は困急して、急ぎ救いを求めた。味方の諸将は、兵が少なく、甘寧を助けられない。
呂蒙は、周瑜と程普に言った。
「凌統を曹仁の前に留めます。私(呂蒙)と周瑜さん、程普さんは、急いで甘寧を救いましょう。甘寧を包囲する軍の勢いは、長続きしません。凌統なら、私たちが甘寧を救う間、10日は耐えられると思います」

呂蒙が謎だ。なぜ主将の2人が去り、凌統だけが残るの?
凌統伝によると、この戦功で、凌統は校尉になる。つまりこの時点で、凌統は校尉より低い。つまり呂蒙は、凌統を切り捨てて、甘寧を救おうと言ったのだ。甘寧と凌統をライバルと言う人がいるが、甘寧がずっと上である。

また呂蒙は、周瑜に説いた。
「300人を分けて、柴で険しい道を分断します。曹仁は逃げ、曹仁の軍馬を得られるでしょう」
周瑜は、呂蒙の提案を認めた。

軍到夷陵,即日交戰,所殺過半.敵夜遁去,行遇柴道,騎皆舍馬步走.兵追蹙擊,獲馬三百匹,方船載還.於是將士形勢自倍,乃渡江立屯,與相攻擊,曹仁退走,遂據南郡,撫定荊州.還,拜偏將軍,領尋陽令.
周瑜、程普、呂蒙の軍は、甘寧のいる夷陵に到った。着いた日に、交戦した。呉軍は、曹仁の別働隊を、半分以上も殺した。
魏軍は、夜に逃げ去った。曹仁の別働隊は、柴で塞いだ道にぶつかり、馬を捨てて、徒歩で逃げた。
呂蒙は、追撃した。馬300匹を得て、船で運んだ。

呂蒙が、周瑜に言った計略が、ヒットした。

呉軍の勢いは、倍加した。長江を渡り、北岸に駐屯した。(凌統と)合流して曹仁を攻撃し、退かせた。
ついに呂蒙は、南郡に拠った。荊州を、平定した。呂蒙は、京城に帰還した。呂蒙は、偏將軍となり、尋陽令を領した。

呉下の蒙ちゃんじゃない!

魯肅代周瑜,當之陸口,過蒙屯下.肅意尚輕蒙,或說肅曰:「呂將軍功名日顯,不可以故意待也,君宜顧之.」遂往詣蒙.酒酣,蒙問肅曰:「君受重任,與關羽為鄰,將何計略,以備不虞?」肅造次應曰:「臨時施宜.」
魯肅は、周瑜に代わり、陸口に行こうとした。魯粛は、呂蒙の屯下を通りかかった。魯粛は気持ちとして、なお呂蒙を軽んじていた。

史料にないが、周瑜もまた、呂蒙を侮っていたんだろうね。
ちょっと計略を当てたぐらいでは、「士」と「兵」のギャップは埋まらん。

ある人が、魯粛に言った。
「呂蒙将軍は、功名が日に日に、顕れています。元のままの気持ちで、呂蒙を、待遇してはいけない。魯粛さんは、呂蒙を顧みるべきだ」
ついに魯粛は、呂蒙を訪ねた。酒を飲んだ。
呂蒙が、魯粛に問うた。
「魯粛さんは、重任を受けました。関羽と隣接します。どういう計略で、関羽に備えれば、関羽を虞れず済みますか?」
魯粛は、その場で応じた。
「時に望み、適宜に計略を施すのさ」

『集解』がいう。魯粛は、軽んじている呂蒙から質問され、ろくに考えずに、答えてしまったのだ。


蒙曰:「今東西雖為一家,而關羽實熊虎也,計安可不豫定?」因為肅畫五策.肅於是越席就之,拊其背曰:「呂子明,吾不知卿才略所及乃至於此也.」遂拜蒙母,結友而別.[一]
呂蒙は、魯粛に言った。
「いま東に孫権さま、西に劉備がおり、同盟関係です。しかし関羽は、クマやトラです。どうして、関羽への計略を、予め定めないのですか」
呂蒙は、5つの方策を述べた。

具体的な5つの内容が、史書にない。ぼくが創作するか。笑
裴註『江表伝』では3つである。適当なんだ。。

呂蒙が5つの方策を言い終ると、魯粛は席を立った。魯粛は、呂蒙の背を叩いて、言った。
「呂子明よ。あなたの才略が、ここまで及ぶとは思っていなかった」
魯粛は、呂蒙の母に挨拶した。魯粛は呂蒙と、友人関係を結んだ。

次回、呂蒙の勉強ぶりを『江表伝』から。