表紙 > 漢文和訳 > 「呂蒙伝」:『三国志集解』を横目に、自分で翻訳する

03) 孫権に叱られて、蒋欽と学ぶ

呂蒙のことを、よく知るために、目ぼしい『三国志集解』の註釈を抜書きしながら、翻訳します。
『集解』の全訳でないことは、ご容赦ください。学術研究者ではなく、ファンにとって興味深い事実は、漏らさずに書くつもりです。どうしても主観で取捨選択してしまいますが。

呂蒙のお勉強の伝説

[一] 江表傳曰:初,權謂蒙及蔣欽曰:「卿今並當塗掌事,宜學問以自開益.」蒙曰:「在軍中常苦多務,恐不容復讀書.」權曰:
『江表伝』がいう。はじめ孫権は、呂蒙と蒋欽に言った。

いま言わなくていいが、蒋欽は、関羽を討つために漢水に入り、死んだ。呂蒙と死期が近いから、『江表伝』がカップリングした?

「いま呂蒙と蒋欽は、どちらも業務を担当している。学問をして、自ら知識を増やせ
呂蒙が言った。
「軍中で、つねに多忙です。読書の時間を取れません」
孫権が言った。

「孤豈欲卿治經為博士邪?但當令涉獵見往事耳.卿言多務孰若孤,孤少時歷詩﹑書﹑禮記﹑左傳﹑國語,惟不讀易.至統事以來,省三史﹑諸家兵書,自以為大有所益.如卿二人,意性朗悟,學必得之,寧當不為乎?宜急讀孫子﹑六韜﹑左傳﹑國語及三史.孔子言『終日不食,終夜不寢以思,無益,不如學也』.光武當兵馬之務,手不釋卷.孟德亦自謂老而好學.卿何獨不自勉勖邪?」
「オレは呂蒙と蒋欽に、経学を治め、博士になれと言ったか。本をザッと見渡し、過去のことを知れと言っただけだ。呂蒙は忙しいというが、オレより忙しいか。オレは幼いとき『詩』『書』『禮記』『左傳』を読んだ。『易』だけ読まない。オレは、兄の孫策を継いでから、三史や諸家兵書を読んだ。とても役立った。

何焯がいう。「三史」とは、『戦国策』『史記』『漢書』を指すのだろう。
潘眉がいう。このとき、謝承『後漢書』は、まだ成立しない。孫権が言ったのは『史記』『漢書』『東漢観記』だ。
孫呉の太子太傅だった張温は、『三史略』29巻を編纂した。

呂蒙と蒋欽は、意性が朗悟だ。学べば必ず得るものがある。なぜ学ばないか。急いで『孫子』『六韜』『左傳』『國語』と三史を読め。

いきなり多いよ!

孔子は言った。
『終日食わず、終夜寝ずに考えても、無益だ。学ぶほうがよい』
後漢の光武帝は、兵馬の務めに当たり、手から本を放さなかった。曹操は、老いて学問が好きになった。

『集解』はいう。曹操がわが子に「私は老いて、学問が好きになった」と言ったという史料がある。なぜ『江表伝』は、その史料を不用意に引用して、孫権のセリフを飾ったか。辞めてほしいものだ。

呂蒙と蒋欽だけ、なぜ学問をしないのか」

蒙始就學,篤志不倦,其所覽見,舊儒不勝.
呂蒙は学び始めた。呂蒙の志は篤く、学問を倦まなかった。呂蒙は、ふるい儒者よりも、広く読んだ。

趙一清がひく。孫権は呂蒙のため、西館の書庫を開いた。孫策が酒の席で居眠りし、夢で『周易』を暗誦した。孫策は驚いて起き、同席した人に質問した。呂蒙が、伏羲や周王の故事を補った。
『集解』を記した盧弼がいう。孫策は早死にした。呂蒙が学ぶ前である。この伝説はウソだろう。


後魯肅上代周瑜,過蒙言議,常欲受屈.肅拊蒙背曰:「吾謂大弟但有武略耳,至於今者,學識英博,非復吳下阿蒙.」蒙曰:「士別三日,即更刮目相待.大兄今論,何一稱穰侯乎.兄今代公瑾,既難為繼,且與關羽為鄰.斯人長而好學,讀左傳略皆上口,梗亮有雄氣,然性頗自負,好陵人.今與為對,當有單複以(卿)[鄉]待之.」.
密為肅陳三策,肅敬受之,祕而不宣.
のちに魯粛は、周瑜に代わった。
魯粛は呂蒙を訪ね、議論した。つねに魯粛は、呂蒙に押されっぱなしだった。 魯粛は、呂蒙の背をたたいて言った。
「大弟(呂蒙)は、武略しかないと思っていた。でも今は、學識は英博だ。もう吳下の阿蒙ではないな

周寿昌がいう。「大弟」「大兄」という表現は、歴史書に例が少ない。

呂蒙は言った。
士は別れて三日せば、即ち更めて刮目して相ひ待つべし。いま大兄(魯粛)は、なぜ穰侯のことばかり言うのですか。

穰侯は戦国秦の相国。『集解』もちくま訳も、意味不明という。あはは。
学のある人は、言うことが難しいなあ。これは皮肉ですよ。

いま兄(魯粛)は、周瑜から、難しい仕事を継ぎました。関羽と隣接します。関羽は、大人になってから、学問を好きになりました。関羽は、『左傳』をほぼ暗記しています。

『江表伝』だから、どうせウソだろうが。
魯粛は、関羽をほめている。自分と同類の人物をほめるとは、呂蒙は性格が悪い。自負心が強すぎる。すぐ下で呂蒙は、関羽を「自負心が強い」と批判するんだが。ほんと同類として、描かれている。

関羽は性格が明るく、雄氣があります。しかし関羽は、ひどく自負が強く、人を陵辱するのが好きです。いま魯粛さんは、関羽と向き合います。同郷人のように、関羽と付き合いなさい」

『集解』がいう。「單複」は、周魴伝や、文帝紀にひく『典論』にもある。
ぼくがテキストをもらったサイトでは、「卿」か「郷」か分からん。同郷人なら、少々の無礼も我慢するってことか。

ひそかに呂蒙は、魯粛に3つの策を教えた。魯粛は、呂蒙を敬い、策を受けた。魯粛は、呂蒙の策を、口外しなかった。

こんなところだけ、リアルにしなくていいのに。
『江表伝』の作者が、「呂蒙が述べたであろう、それっぽい策を、思いつきませんでした」と自白すべきだ。


權常歎曰:「人長而進益,如呂蒙﹑蔣欽,蓋不可及也.富貴榮顯,更能折節好學,耽悅書傳,輕財尚義,所行可,並作國士,不亦休乎!」
孫権は、いつも感嘆して言った。
「呂蒙と蒋欽は、成人してから、自発的に知識を増やした。呂蒙や蒋欽のような人には、敵わない。富貴で榮顯となりながら、さらにプライドを折って、学問を好む。書物を読みふける。金銭を軽んじ、義をたっとぶ。呂蒙と蒋欽は、どちらも國士となった。この風潮を絶やすな」

めでたく勉強の話は終わりですが。
いちばん有名な話が『江表伝』からとは、残念だ。。