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02) ばあさんを噛ませた、王莽

井波律子『裏切り者の中国史』講談社1997
を読みました。

王氏を伸張させた26年間

宣帝のつぎは、糟糠の妻・許皇后とのあいだに生まれた、元帝。在位は、前49~前33年。元帝はおだやかな性格で、儒教を好んだ。
元帝の皇后は、王氏だ。王莽の伯母だ。

やっと前漢の終わりが見えてきた。

元帝が死ぬと、元帝と王皇后の子、成帝が即位した。前33~前7年。成帝の治世のとき、王氏が「五侯」を輩出した。

在位は26年間。ちょっと長い時間が、主体的に政治をした宣帝や元帝と、王莽の禅譲とを隔てる。年数の感覚をつかまないと。


王莽は『礼記』を学んだ。
前22年、王鳳が死んだ。24歳の王莽が、王鳳を看病をして、黄門郎になった。前16年、成帝は王莽を新都侯にした。
大司馬の地位は、王鳳-王根-淳于長とバトンタッチされそうだ。淳于長は、元太后の姉の子。淳于長は、ダンサーを皇后にしたいと言った成帝に味方したから、寵臣である。

姓がちがうけど、淳于長も王太后との血縁ゆえに、大司馬になれる。

王莽は、淳于長を陥れた。前6年、王莽が、大司馬になった。

3人の、ばあさんの争い

前7年、成帝が死んだ。成帝には、子がない。
つぎの哀帝は、元帝と傅昭儀の孫。つまり、元帝をめぐる女の戦い(王太后vs傅昭儀)が再燃した絵だ。王太后の血統が絶えて、傅昭儀が逆転したと言える。

この視点を、ぼくは全く持っていませんでした。「皇室の別系統が争っている」という認識があった。でも血筋の分岐点となった、2人のばあさんが存命なんだ。ロコツな憎みあいを見られる。

王莽は、都落ちをした。3年、地方暮らし。

前1年、哀帝が死んだ。哀帝にも、子がない。
つぎの平帝は、元帝と馮昭儀の孫。つまり、元帝をめぐる女の争い(王太后vs傅昭儀vs馮昭儀)が再燃した絵だ。

ついに三つ巴になってしまった。
元帝に侍った3人のばあさんが、全員まだ存命なのが酷い。


平帝をかつぎ出し、ばあさんの争いを過熱させたのは、王莽だ。
「馮昭儀は、哀帝を出した傅昭儀の家に、さんざん叩かれた。もし馮昭儀の家から皇帝が出れば、傅昭儀の家に仕返しをするに違いない。敵に、敵の敵を滅ぼしてもらおう」

王莽は、女心がよく分かる人だったのだろうか。
っていうか、井波氏は王莽が平帝を選んだ理由を、ばあさんを殺し合わせるための策略だと言っているが、どこまで史料の裏づけがあるんだろう?

ばあさんが叩きあった後、王莽は、生き残った皇后たちを殺した。

古文学者、劉歆

王莽の人気を盛り上げたのは、「古文派」の劉歆だ。
始皇帝の焚書以前に書かれた、古い文字を研究する人だ。前漢の主流は、焚書以後に隷書で書かれた「今文派」だった。劉歆は、「古文派」を巻き返すために、王莽に協力した。

予言書が「発見」された。大臣の名前が列挙されているが、リストにある王盛と王興という人がいない。同姓同名の人を探して、門番と饅頭売りを大臣にした。

王莽の禅譲や政策については、すでに以下でやったので省略。
東晋次『王莽』を読む


次回は「持続する裏切り」司馬懿です。