03) 王朝の興亡を伝える史書
鶴間和幸『ファーストエンペラーの遺産』講談社より。
自分で史料を読む基礎をつくるため、通史をまとめ。
2つの漢王朝を区別するいい方
光武帝は、中興した。再興や復興ではない。断絶はないという認識。
後漢の1世紀は、民衆の時代。2世紀は、自然災害の時代。
前漢にたいして後漢、西漢にたいして東漢という。
地方社会の特徴が、現れた時代
後漢は、南陽を中心とした、豪族連合政権といわれる。
ちがう。前漢後半の流れをくむ、専制&官僚体制だ。中央集権した。
中央集権の根拠は、機密文書を、内朝の尚書がつかさどるから。
外朝の三公は、たんなる政務の執行機関になってしまった。
順帝のとき郡国は105あるが、国は20のみ。ほぼ郡県制だ。
霊帝は、武帝の州牧を再設置。地方の不正、在地豪族との不正を監視。
後漢の中央集権は、地方行政組織の充実に支えられた。
統一性や均一性より、地方の特徴を反映した時代。
『後漢書』の編纂
後漢の人は、中興と捉えた。王莽を暴虐と捉えた。
つぎの時代、漢魏革命を当然とする人は、
幼帝・外戚・宦官・黄巾・異民族を、後漢が滅亡した原因にする。
『史記』は青壮年の歴史だ。将来の自分(漢室)のために書かれた。
『漢書』は祖先の歴史だ。今とちがう過去を書く。
『後漢書』は、魏晋南北朝に、過去の権威がほしくて書かれた。
班固は、世祖本紀と、功臣の列伝をまとめた。
『漢紀』を2世紀に編纂。『東観漢記』と呼ばれた。1代の現代史。
東観とは、蘭台(国立図書館)に代わって史料編纂した宮殿。
興亡の全史が続々と編纂される
南朝の門閥貴族は、系譜を漢代にもとめた。
孫呉の謝承『後漢書』は、もっとも早い私撰の後漢史。
江南の人物に列伝がおおい。東夷に列伝をつくる。
両晋の後漢史は、汪文台が7種の『後漢書』の逸文をまとめた。
分裂期に後漢の歴史が注目されたのは、後漢が、
儒教思想を定着させ、統一王朝を200年継続させたから。
後漢については、衰退しつづけたボロ王朝ではないと、主張したいようです。歴史書の与えるイメージを除くという点で、とても賛同できます。
後漢をたもった、人間の処世に学んだ。
賄賂を拒絶して質素で、公平に政治し、親孝行した清廉な官吏。
郷里の貧者を救済する豪族。『後漢書』で称える処世だ。
国家は、地方豪族のやりすぎを抑圧し、貧民を救済する。
ぼくは渡邉氏が定義する名士を、南朝貴族が「カッコ良く描いた自画像」だと感じた。いま鶴間氏の本を読むと、的ハズレな感想ではないかも?
南朝宋の范曄の『後漢書』
范曄は『東観漢記』に拠って、異民族を従える中華帝国を描いた。
北朝の胡族政権にたいする、強烈な民族意識である。
唐の高宗と則天武后の第二子・李賢(章懐太子)が注釈した。
范曄『後漢書』は、『史記』『漢書』に劣るとされた。
唐の劉知幾『史通』は、更始帝の本紀がないことを咎めた。
任侠の風がある更始帝を、脆弱な人物にしたことを批判した。
次回、王莽政権の滅亡。通史にもどります。