雑感 > 『反・反三国志』のあらすじ 1章

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1.長阪で徐庶が残り、阿斗が死ぬ

『反三国志』を超えて『反・反三国志』を作りたい
と考えており、「蜀ファンがもっともスカッとする三国志を」が目標。
先行作品の読解・分析が進んだので、『反・反三国志』のあらすじを考えてみる。先にあらすじを書いて、細部を詰めていくというやり方をしてみる。

周大荒『反三国志』を読解・分析する
桐野作人『破 三国志』の読解・分析

徐庶が帰ってきて、阿斗が頭を打つ

徐庶が曹操に屈服せず、劉備の手元に残ることで、その後の運命が変わってくる。ぼくが『反三国志』に求めたが、実現されなかった展開である。それなら、『反・反三国志』で是非ともやろう。

『反三国志』は、『三国演義』準拠なので、程昱のニセ手紙によって徐庶は母のもとにゆく。しかし、ぼくは正史にも目を配りたいので、『反三国志』とは違った展開になる。

こんな感じ。
208年、劉備が民衆たちと逃亡し、徐庶も同行している。

劉備が馬車を軽くするために子を投げ捨てると、徐庶が受け止めて戻す、というのが『蒼天航路』でした。劉邦を踏まえた話です。正史の徐庶は、逃亡のときまで、劉備とともにいる。

逃走経路や、今後の身の振り方について、劉備の相談に乗っていた隙に、徐庶母が混じっていたはずの民衆の集団が、曹操軍に連れ去れた。徐庶は劉備に、「曹操のところに行かせて下さい。母に会いたいから」と願い出る。

程昱伝 注引 徐衆評:徐庶母為曹公所得,劉備乃遣庶歸,欲為天下者恕人子之情也。

劉備は残念に思うけれど、徐庶を留めることができない。名残を惜しんでいると、民衆の世話をしながら、別経路で逃げていた諸葛亮が合流した。
孔明 「わが友の徐庶よ。あなたの母は、足腰が弱っていたので、関羽の船に優先して乗せておいた。曹操に捕らわれてなどいないよ」
徐庶 「ならば安心して、劉備さまに仕えることができる」
孔明 「私のことを劉備さまに巡りあわせておいて、自分は敵方の曹操に仕えるとか、そんな理不尽なことをしないでおくれ。一緒に軍師やろうね」
徐庶 「うん(涙)」
こうして徐庶は、劉備のところに残った。もちろん、関羽の船団と合流したとき、徐庶は母と再会を果たす。忠も孝も尽くすことを誓ったのだった。

「1スカッと」みたいな、蜀ファン向けのWeb拍手を設置して、数を集められるように努力する……とかやってみたい(笑)


苦しい逃亡をするなかで、阿斗がはぐれて、趙雲が救出する。劉備は、「趙雲のような勇将を危険にさらすなんて、こんな子、要らないよ!」と投げ捨てる。
ところが、劉備の子を受け止めるのが、『蒼天航路』以来、磨いてきた徐庶の得意技である。投げ捨てられた阿斗を、徐庶が身を挺してかばう。腹ばいになって、クッションになる。おかげで、泥まみれになり、しかも泥のなかに埋まっていた枝で切り傷をつくる。
劉備 「趙雲のような勇将だけでなく、徐庶のような賢者も危険にさらすなんて。やっぱり、こんな子、要らないよ! 私に必要なのは、プライベートな子孫じゃなくて、一緒に国家を作ってくれる人材なんだ
阿斗を原作以上に強く投げ捨てる。
阿斗 「……」
過酷な逃避行により、体力を消耗していた幼児の阿斗ちゃん。父親の渾身の一撃により、全身打撲をして、動かなくなった。甘夫人の必死な看病もむなしく、亡くなりました。

web拍手を設置したいところだ。……もしくは、阿斗は即死しないがダメージが残り、惜しいタイミングで病死する。このほうが良いかも。即退場させるには、惜しいキャラ。史実で窺われる範囲の「長所」だけを発揮し終わったころ、史実よりも早く病死。
@Mickey_Trunk さんはいう。諸葛亮活躍中に劉禅が崩御したら、諸葛亮は史実より蜀内の政治的な根回しに手間をとられて活躍が減りそうですね。
ぼくはいう。諸葛亮に苦労させることで、劉禅のすばらしさを逆に印象づけるという展開はおもしろそうです。死んだからこそ「惜しい人を亡くしました」と言えるように(笑) @Mickey_Trunk さんはいう。諸葛亮に対する劉禅の全幅の信頼は、やはり演義を盛り上げ、諸葛亮を活躍させる上で重要な要素だったように思いますね。白絹の君主は、諸葛亮を簒奪者にすることともなく、権力争いに明け暮れる政治家にすることもなく、漢朝復活の大義に戦う英雄にしたわけで。
ぼくは思う。蜀ファンが最もスカッとする三国志(イフもの)を書こうとしてますが、『破三国志』のようにすぐに決着がつくのでなく、史実・『演義』のように、諸葛亮が年数をかけて念願を達成する、その間の成都の制御もがんばる、という要素が欲しくなってきました。 年数の幅が必要です。
@ytomino さんはいう。『演義』仕様の劉備が大好きです。強いて言えば、2度も臣下に庇われた子にわざわざ止めを刺すのは気持ちよく劉備を支持できなくなりそうですのでもうひと捻り希望していいですか?
ぼくはいう。「劉禅が投げ捨てられて死んでほしい」という読者の声を受けて、ああなっているのですが(笑)…もっと偶然や不可抗力みたいな設定にして、劉備が悲しむような、反省するような、この一件が何かの伏線になるような話を考えてみます。劉備が阿斗を投げ捨てる。→徐庶がキャッチ。→史実とキャラの違う劉禅(やる気満々とか)という展開を思いついた。でもどこかで、史実からの修正の圧力が働き、史実なみになっていくとか(変化の理由や過程を考えるのが楽しい)
@ytomino さんはいう。劉禅の早世で諸葛亮(と読者)が劉禅の有り難みを思い知るという展開は非常に捨て難く、素人考えの浅はかさを反省してます。あああちらを立てればこちらが立たず。子殺しを応援できないというのはいかにも現代の価値観で、カニバリズムのエピソードすらある劉備にそれを求めるというのは現代人(私)の過ちっぽいです。追加で言い訳を捻り出すと、趙雲視点からも、徐庶が庇ったために逆に趙雲の戦果が台無しになるというのも……。実際には諸葛亮が法治主義だったのでありえなかったとは思いますが、もし劉禅が報恩主義でしたら、趙雲は超出世してたはずなどと素人考えして、そうすると劉備が劉禅を殺すというのは趙雲の将来を摘むということ。(屁理屈)
ぼくはいう。現代日本のぼくが現代日本に向けて書くので、工夫してみます。「古代中国の思想だから良いのだ」のゴリ推しでは「スカッとする」の趣旨に反しますし。ただし趙雲の戦果は、原典でも劉備が台無しにした(ように見えた)からこそ美談なんだと思います。…理解に苦しみますが。

@ytomino さんはいう。(賢者の贈り物……賢者の贈り物……賢者の贈り物……) 劉備は息子を趙雲は戦果を失いましたが、しかし、彼らはお互いの「思いやり」を受け取りました。この二人こそ賢者でした。うーん、美談という事で納得できそうな気も……。阿斗「
@ytomino さんはいう。やっぱダメです!互いに相手の知らないところで行うからこその美談です。夫が時計を売ったのを知って妻は鎖を買いました、妻が髪を切ったのを知って夫は櫛を買いました。ですと夫婦喧嘩か漫才です。

ここから先の展開は、おいおい考えます。

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2.曹操が隴を得て蜀を望む

徐庶が蜀にのこり、劉禅の健康に不安が残ったまま、だいたい史実どおりに時間が流れる。諸葛亮・趙雲・張飛が益州にいくとき、徐庶は関羽のところに残る。
しかしこれで徐庶が、関羽を機械的に抑えるだけの役割なら、『反三国志』が関羽・徐庶に対してやった、長所の相殺である。徐庶は、第二の故郷である荊州の北部を、劉備軍のものにするために動いている。
徐庶が成果を結ぶ=史実から分岐するのは、建安24年の正月。

徐庶が荊州北部の諸勢力を説得

二十四年春正月,仁屠宛,斬音。(武帝紀)
曹瞞傳曰:是時南陽閒苦繇役,音於是執太守東里袞,與吏民共反,與關羽連和。南陽功曹宗子卿往 說音曰:「足下順民心,舉大事,遠近莫不望風;然執郡將,逆而無益,何不遣之。吾與子共勠力,比曹公軍來,關 羽兵亦至矣。」音從之,即釋遣太守。子卿因夜踰城亡出,遂與太守收餘民圍音,會曹仁軍至,共滅之。

建安24年、侯音が曹仁軍の徴発に苦しんで起兵するが、曹仁に斬られてしまう。もしもこれが関羽の北伐と連携していたら、もうちょい曹仁を苦しめただろう。

徐庶が調整することで、侯音の暴発を遅らせる。
徐庶 「曹仁の圧政には、オレも憤っている。侯音よ、お前たちの気持ちも分かる。しかしあと一年、待ってくれ
侯音 「今年も不作だ。曹仁軍の求める税を払えない。一年で、たくさんの同胞が飢えるのを見過ごせと?」
徐庶 「自棄になってはいけない。実は、劉備軍の軍師の諸葛亮は、オレの親友なのだが、こういう計画があるんだ。……」
侯音 「にわかには信じられない」
徐庶 「信じてもらうために、オレがお前らの村に留まる。もしもオレの言ったことが、単なる大言壮語であったら、この首を落とせばいい」
侯音 「そこまで言うのなら……」
曹仁軍が放った密偵が、仲間のふりをして近づいてくる。徐庶が機転を利かせて攪乱する。同時に関羽のところに定期的に帰って、きちんと「話をする」。諸葛亮の描いた全体像を、関羽の独断で崩さないように理解活動をする。

この前段として、徐庶と諸葛亮が、しっかりと話し合いをして、戦略を共有しておく必要もあるなあ。親友の語らい。
『破三国志』がやったように隆中対を実現するなら、まずは用武の地・荊州を完全に確保することである。当時は、「劉表が惰弱だから最初に取れる」という前提があるから、先に荊州を取れと言ったのだが、荊州を最初に完全に抑えることに注力するのが、劉備軍にとって有利であることには、変わりがない。
というか、荊州北部(州治のまわり)に、曹操軍が残っているのに、漢中から関中に北伐するのはおかしい。史実の曹叡期のように、呉蜀が関中攻めと荊州攻めを同時にやっても、成功しないのは道理なのかも。
『反三国志』は劉備が初めから荊州を得る。『破三国志』『関雲長北伐戦記』(以下『北伐戦記』)も、呂蒙を始末してから関羽が樊城を落としておく。


曹操が漢中から撤退する 撤退しない

同年春、夏侯淵が劉備に陽平関で殺された。3月、曹操は斜谷を出て漢中にゆき、陽平関に達する。劉備は籠もって出てこない。

九州春秋曰:時王欲還,出令曰「雞肋」,官屬不知所謂。主簿楊脩便自嚴裝,人驚問脩:「何以知之?」脩曰:「夫 雞肋,棄之如可惜,食之無所得,以比漢中,知王欲還也。」

曹操は還ろうと考えて、「鶏肋」という令を出した。官属には意味が分からない。しかし主簿の楊彪だけは撤退の準備を始めた。

ぼくは思う。建安24年春、曹操は劉備を攻めに斜谷を出るが、すぐに撤退。撤退の理由は何だろう。「鶏肋」の言葉遊びに回収され、掘り下げて論じられてこなかったのでは。漢中に来るのは2回目だから「地形の険しさを初めて見て諦めた」ではない。健康問題の悪化か。逆にどんな条件が整えば劉備と決戦したのか。
思いますに、建安24年の曹操の漢中撤退が、同時多発的な後方の反乱(魏諷や荊州北部)を恐れたものと仮定する。もしも徐庶が劉備軍にいて、ニート時代の地縁を生かして荊州北部の反乱勢力を結びつけ、関羽とも行動時期を調節して、遅らせたら、曹操は巴蜀に攻め込んだかも? というイフ設定を遊ぶための探求です。
@Rieg__Goh さんはいう。曹操が3月に斜谷を出て、夏(おそらく4月)に陣を払って、5月に長安に戻ったとすると、40~50日程要害に籠った劉備を攻めたという感じでしょうか。決戦を求める曹操に対して劉備は相手にせず防戦したので、魏は死者が増えるだけで埒が明かず帰ったのかなと。
ぼくは思う。辻褄は合っているんですが、曹操にしては(?)無計画に過ぎるような。開戦の見通しを付けてから遠征しろとか、劉備を釣り出す工夫をしろとか、粘りが弱いよとか。漢中の戦況以外の要因(曹操の誤算)を考えたくなります。/劉備が籠ったのは、益州の支配安定のほうが急務だし、曹操と戦っても勝ち目なし(もしくは勝っても利なし)と考えたからでしょうか。この冷静さが、劉備らしくない感じがして不思議です(悪口じゃなく、劉備への興味から疑問を発してます)
‏@Rieg__Goh さんはいう。劉備軍は長い間、一貫して曹操とはまともに戦わないと決めているみたいな動きをするので、「曹公雖來、無能爲也。我必有漢川矣」の言葉通り、漢中を曹操に取らせない事を優先したのかなと。
ぼくはいう。漢中は、そばに安定的な拠点を作りにくい地形だったので(まさに鶏肋)、劉備は戦いの回避なんて手を使えたんでしょうね。もし地形が異なれば、漢中だけを固守しても、周囲に着々と曹操軍の拠点を作られ、一時しのぎをしても、後で苦しくなるだけです。
@Rieg__Goh さんはいう。陸遜は劉備を狡猾だと言っていますが、その辺りを計算して漢中を守る自信を持っていたのでしょうね。どんな名将でも、劉備程の人が絶対に出撃しないと決めて要害に引きこもったらどうしようもないと思います。また、漢中盆地は強制移住で殆ど人もいない鶏肋だったりとか、許や宛の反乱があって本拠を空けておくのが怖いというあたりも、粘りのなさの理由と思います。
@Rieg__Goh さんはいう。あと、曹操は漢中に来る途上でぶっ倒れているので、健康のこともあったかなと。陸機の『弔魏武帝文』だと鎬京とありますけど、宛の反乱のせいだとしても長安滞在が不自然な長さなので、宛の対処に加え病気でさらに四旬の間動けなかったのだと思います。
@sidenp さんはいう。最晩年の曹操の行動を見ていると自分の死期を意識している節があり、漢中遠征前から既に病に侵されていたのではないかとも考えられます。自分が出なければ話にならないので出てきたものの、最後は病状の悪化で撤退せざるを得なくなったということなら辻褄が合うかと。少なくとも私はそう解釈して、曹操が戦の最中にダウンする前提でシナリオ組んだなあ。215年の時も間接的にはダウンしたことで引っ込んでもらったし。
@GiShinNanBoku さんはいう。漢中撤退は漢中と武都の撤退支援と考察した記憶があります。


劉曄は、蜀攻めを主張した。

劉曄伝:曄進曰:「今舉漢中,蜀人望風,破膽失守,推此而前,蜀可傳檄而定.劉備,人傑也,有度而遲,得蜀日淺,蜀人未恃也.今破漢中,蜀人震恐,其勢自傾.若小緩之,諸葛亮明於治而為相,關羽、張飛勇冠三軍而為將,蜀民既定.必為後憂.」
傅子曰:居七日,蜀降者說:「蜀中一日數十驚,備雖斬之而不能安也.」太祖延問曄曰:「今尚可擊不?」曄曰:「今已小定,未可擊也.」

劉曄 「劉備は人傑ですが、行動が遅い。蜀を得て、日が浅い。蜀の人は、まだ劉備を頼っておりません。いま漢中を破り、蜀の人は恐れています。いま蜀を取らないと、諸葛亮が統治し、関羽と張飛が軍を率い、蜀が安定します。あとで必ず憂いとなります」
蜀からの投降者 「蜀地では、1日に数十回の騒ぎがあります。劉備は、騒いだものを斬っていますが、追いつきません」

のちに曹丕の南征を諌めまくる劉曄が、ここでは積極策を唱えている。呉地には詳しいが、蜀地に関しては詳しくない、という見方もできるが。曹操が蜀を攻めるかは、重要な分岐点だったのでしょう。史料は「太祖不從」と続く。しかし本作では、司馬懿にこんなことを言わせる。
仲達 「魏王、後方の心配でしたら、要りませんよ」
曹操 「心配?」←知らないふりをして司馬懿を試している
仲達 「昨年、許都で吉本・耿紀・韋晃が兵を起こし、天子を担ごうとしました。しかし粛清は終わっており、許昌は平穏です。鄴には、名士の子弟が徒党を組む動きがありますが……」
曹操 「魏諷」
仲達 「(冷や汗)ご存知でしたか。太子が反乱に備えています」
曹操 「お前の指図でな」
仲達 「(冷や汗)いいえ、太子の発案です。ともあれ、鄴にも心配がない。孫権は、本心はどうあれ、臣従を申し出ております。他に懸念があるとしたら荊州」
曹操 「曹仁がいる」
仲達 「でも関羽がいます。関羽が北伐をするなら、とっくに動きがあるはずです。兵糧や武器の買い入れ、周辺の勢力との連携」
曹操 「関羽に動きがないのか」
仲達 「動きません。江陵で、沈黙しています」

じつは本作では、徐庶が水面下で(水面下になるように)やってます。少しずつ兵糧を増やして、呉軍から盗む必要がないように準備をしてあげてる。

曹操 「北西は黄鬚が治めたし……いてて(頭痛)」
仲達 「お見受けしますに、魏王の健康には不安があります。魏王の威名を以て、蜀地に進撃すれば、立ち所に平定できましょう。魏王の親征という(最後の)貴重な機会を、私は天下統一のために存分に活かすべきだと考えます。もし機会を改めれば、劉曄どのの言うように、劉備が蜀地を安定させてしまうでしょう」

仲達 「曹操の身の保全よりも、天下統一のほうが大事です。それが、私たち「名士」の価値観ですから。分かりますよね(無言の圧力)」


曹操 「劉備が籠もるなら、無視をせよ。成都まで、一気に進撃する。今からでも間に合うだろうか」
劉曄 「よくぞご決断を。あと数日 遅ければ、蜀地の治安は、小康状態となり、ご親征の意義が失われるところでした」

上に引いた『傅子』の、太祖延問曄曰:「今尚可擊不?」曄曰:「今已小定,未可擊也」を反転させています。

さらに……、
曹操 「ときに楊脩。お前はなぜ撤退の準備を?」
楊脩 「鶏肋とは……(ペラペラペラ)」
曹操 「一を知って二を知らないな。食材を粗末にするやつは、天罰が下る。捨てるのが惜しければ、新しい調理法を研究するという気概を持たんか。これだから、漢の旧勢力の出身者は、頭が硬いな。あっはっは(愉快)」
楊脩 「(無言のまま、お口をパクパク)」
なぞなぞを外した楊脩。じつは曹操が、問題を出したあとに正解を変えたから、ルール違反である。しかし曹操に花を持たせることで、逆に心証が良くなった楊脩は、史実よりも寿命が延びる。

序盤から、成都での大決戦という、作者泣かせの見せ場をつくってしまった。どうなるのだろう。目途なし!


曹操軍が蜀に攻めこむ

曹操が蜀に攻めこむ。

のちの曹真・曹爽の親子2代にわたる失敗は、漢中にすら入れずに、途中の険しい道で食い止められた。参考にならない。
参考になるのは、劉備が劉璋を平定したときの経路である。皮肉なことに。蜀を滅亡させるとき、姜維・鄧艾がやったルートは、別の機会に取っておこう。

すでに曹操は陽平関にいるから(史実)、白水関・涪城・綿竹と進んでいく。

参考になるルートは、劉備の劉璋攻め。
先主伝:先主大怒、召璋白水軍督楊懷、責以無禮、斬之。乃使黃忠卓膺、勒兵向璋。先主、徑至關中、質諸將幷士卒妻子。引兵、與忠膺等、進到涪、據其城。璋遣、劉璝、冷苞、張任、鄧賢等、拒先主於涪、皆破敗、退保緜竹。璋復遣李嚴、督緜竹諸軍。嚴率衆、降先主。

このとき劉備軍がどういう配置で望むのか、これから考えますが(というか劉備の益州平定について、史料を整理するほうが先)、法正がもっと頑張らなくてはならないのは、確実だろう。
もと劉璋軍の武将は、すんなり城を明け渡したり。

劉璋は、途中までは曹操と親和していた。法正・張松の陰謀によって、劉備に国を差し出すことになったが、かなり強引であった。

夏侯淵の棺を引きずりながら、夏侯淵が進むはずだったルートを、曹操がみずから進んでいく。史実では、もう健康問題の悪化で、ほぼダウンしている可能性がある。しかし、この作戦は、地道な攻城戦ではない。曹操が生涯かけて築いてきた名声(というか威名)をつかって、蜀を一気に転覆させようという作戦である。おかげで、成都近郊でも反乱が起きまくる。

劉備軍では、こんな会話が。
孔明 「ついに曹操と直接対決。伏兵をいっぱい仕掛けるぞ」
法正 「いや、戦場はオレに任せておけ」
孔明 「あなたは病気のために退場したのでは?」
法正 「曹操と戦うのはオレの役目だ。病気も吹っ飛んだよ。それに、劉備さまに益州を与えたのは、オレだ。やりかけた仕事を、投げ出すのは性に合わない(劉備政権が転覆したら、オレが益州の豪族たちに復讐されちゃうし)
孔明 「曹操と戦うなんて、またとない機会。戦場の指揮、やりたい!」
法正 「バカヤロウ。曹操との直接対決において、本当に厳しい戦場は、成都の近郊だ。劉備さまは漢中王を称しているが、お前のつくった幻想だ(と喝破する)。実効性を持つまでには、時間がかかる。まさに曹操に、そこを突かれたわけだが……。劉璋政権に慣れた豪族たちから見れば、劉備は国を奪った上に、僭称までしている梟雄に過ぎない。(そしてオレは、劉備を利用して、宿縁を晴らしている悪人に過ぎない)。毎日、成都では大小の騒ぎが起きているだろう。皮肉なことだが、劉璋政権は、それほど悪いものじゃなかった。治安を回復するのが、孔明に求められている仕事だし、そういうのが得意だろ」
孔明 「……(性格は好かないが、言うことは適切だわ)」

戦場では、馬超が活躍の場を得る。

風野真知雄『馬超―曹操を二度追い詰めた豪将』PHP文庫 2005 で描かれた、潼関で曹操を逃がした後、蜀に降るけれども、ふたたび曹操に肉薄する馬超。あれを取り込んで、物語を膨らませたい。

しかし曹操軍は、連戦連勝。劉備軍は後退する。曹操軍の強さを見せつけられ、劉備は危機になる。「いつものように逃げたいが、もう天下に逃げる先は残っていないし、寿命だって有限だ。ここが劉玄徳の正念場だ」

史実で、劉循が1年も籠城できた雒城。ここに劉備が籠もる。
法正 「曹操を防ぐなら、一気に成都まで引いて、そこで籠城すべき。雒城では小さいし、先年のわが軍の攻撃で、痛みが激しい。成都は、ほぼ無血開城だったから、修繕は完璧だし、備蓄もおおい」
劉備 「曹操の狙いは、益州だろうか」
法正 「何を言い出されます?(緊張の連続のあまり、ボケたのか)」
劉備 「曹操の狙いは、劉玄徳ではないだろうか
法正 「は?」
劉備 「数十年来、曹操のアンチテーゼとして振る舞ってきた。私を討ち取らない限り、曹操の事業は終わらない。やつも直感しているだろう。逆の立場なら、そう考える。少数の兵とともに雒城に籠もり、オトリになろうと思う。心配しなくても、雒城には充分な防御力がある。城外には、張飛・黄忠・馬超を残す。援護させる」
法正 「めちゃくちゃです」
劉備 「益州の民に、私のことを見てもらいたいのだ。成都を戦火にさらすより、私を危険にさらす。雒城の民を、今のうちに成都に移そう。兵だけを残すのだ」
法正 「(この『演義』仕様め!)もしも曹操が雒城を無視して、成都を攻めたらどうなりますか。漢中王は、雒城に孤立したまま、マヌケなことになります。曹操は、名よりも実を取るひとではありませんか」
劉備 「もしも成都の民が、曹操を迎えるなら、それを否定する権利がない。私はそのようにして劉璋を追い出したのだから。孔明が考えてくれた漢中王の称号、真実を含んだものだと信じている。もしも『漢中王』が民から見捨てられるなら、残念ながら漢の天命は旦夕に迫っている
法正 「(仕方がないから雒城を使った戦術を考えてやるよ。おや? やりようによっては、あながち無謀な作戦ではないのかも)」

法正の頭のなかは、募集中です……。

劉備 「すまない。わざと自滅の道を選び、行うことではないのだ。曹操が生涯をかけて培った威名をつかって、益州を脅迫にきた。だが私だって、それを覆すだけの徳を積んできたつもりだ。民よ!民よ!」
法正 「(面倒くさいが、劉備のために働きたくなってしまう)」

「雒城_落城」という、どこかのマンガで見たタイトルは、今回は現実のものにならない。劉備が半年以上、籠城して粘るうちに、曹操の寿命が尽きる予定。曹操が死ぬ前に、項羽と劉邦が『史記』で議論をした内容をパクり、劉備の正義を明らかにしたり。『史記』をまねるなら、幽州で拉致した、劉備の親族が見せしめにスープになるのかも。

この間、9月に魏諷が反乱するのは、史実に同じ。
改変によって、もっともプレッシャーを感じているのは、鄴県の曹丕。史実なら、5月には曹操が長安に戻る。しかし、益州の奥地に入って戻ってこない。親友?の司馬懿も、益州に行ってしまった。曹植も同じ。初めての「長い」お留守番である。

曹操が客死することで、劉備が活躍のキッカケをつかむ。本作においては、曹丕の兄弟が、いかに苦難と向き合うか、というのが隠れたテーマ。『反三国志』のように、幽州に逃亡して、袁尚みたいに首だけになって帰ってくるとか、ザツなことはしたくない。


関羽が北伐を開始する

史実ではこの歳の夏、関羽が樊城を包囲する。準拠する。
徐庶 「漢中王が、曹操に囲まれました」
関羽 「ウオオ! すぐにでも駆けつけたい!」
徐庶 「駆けつけるだけが、漢中王を助ける方法ではありません。かねてより、樊城の曹仁を攻めたがっていましたね。荊州が危機となれば、曹操は引きあげるかも知れません。魏領の守備兵は、どうしても数が足りないので」
関羽 「北伐の件、お預けを食らってきたが、いまが好機なのか?」
徐庶 「そうです。曹仁の支配する郡内にも、こちらに呼応する勢力がいます。彼らと同時に起兵すれば、きっと荊州を奪うことができます」

史実よりも有利です。

徐庶はニートのころ、荊州の北部に人脈をつくった。これを過大評価するあまり、孫呉に対する備えは、史実と同じように見落としている。兵糧を自前で供給できるから、「呉に開戦の口実を与えないという」程度の是正しかできない。しかし呉にしてみれば、口実は何でもいいわけで、江陵を狙いにくるだろう。

劉備の籠城と並行して、関羽が北伐を開始。
武帝紀によると、8月に漢水が溢れて、于禁が水没。徐晃が戦線に投入される。史実では、曹操が于禁・徐晃を注ぎこむけど、ここは曹丕の采配。「父ならどうするか」を必死に考えて、合格点の政策をうつ。

呉では、曹操・司馬懿という、史実における同盟の交渉相手が、中原にいないから連絡が取れない。曹丕・蒋済の合議により、史実なみに、呂蒙軍が関羽の背後をつくことを決定するのだろう。
これより先、史実では、曹操が「天子を許都から移そうか」と相談すると、蒋済が制止する。しかし本作では……

蒋済伝:辟爲丞相主簿西曹屬。令曰「舜舉皋陶、不仁者遠。臧否得中、望于賢屬矣」關羽圍樊、襄陽。太祖以漢帝在許、近賊、欲徙都。司馬宣王及濟說太祖曰「于禁等爲水所沒、非戰攻之失、於國家大計未足有損。劉備孫權、外親內疎。關羽得志、權必不願也。可遣人勸躡其後、許割江南以封權。則樊圍自解」太祖如其言。權聞之、卽引兵西襲公安、江陵。羽遂見禽。

曹丕 「魏王が不在のあいだに、天子が関羽に奪われたら、私は責任を取らされる。天子を、この鄴に連れてきて、保護したい」
蒋済 「于禁は戦わずに水没しただけです。孫権・劉備は、利害が対立しております。劉備が雒城に閉じこめられ、関羽の背中がガラ空きです。孫権に関羽を攻めさせたら、樊城の包囲は自然と解けるでしょう(史実なみ)」
曹丕 「しかし(史実に反して、徐庶のせいで)侯音ら反乱勢力が、あちこちで暴れている。樊城が持ちこたえても、荊州の支配には不安が残る。やはり天子を動かそう。掌中の玉を失ってからでは、目も当てられない」
蒋済 「魏王に許可を取られた方が……」
曹丕 「オレのことを頼りない二世だと思っているな。益州まで使者が往復しているうちに、天子が奪われたらどうする。そんな理由で失敗すれば、魏王も決して許してくれまいぞ。蒋済を斬って、天子を同座させる(震え声)」
蒋済 「副丞相・王太子の決定ならば、従います……本当にいいのかな」

司馬懿がいないから、曹丕は自分で決めるしかない。
このページでは前後してしまったが、9月の魏諷の反乱は、鄴に動いたあとの天子を奪うものというのがおもしろいか。

「天子を動かしたからね」という事後報告は、早くも洛陽の夏侯惇の耳にふれ、「天子を動かすな!」と叱られる。天子は、黄河を渡る直前まで行ったところで、連れ戻される。とか、曹丕は手際の悪いことをする。
天子は、許都に戻ってきたのでした。

天子がウロウロしたとき、誰かと接触する展開を用意したい。また考える。曹丕と献帝に会話させて、ふたりの関係性を描いておくチャンスでもある。


天子の同座は、弱気な政策であったが、ともあれ孫権軍が動いた。孫権を動かしたことは、曹丕の功績としてカウントされたのでした。
夏侯惇は(史実なみに)摩陂に進み、関羽を迎え撃つ。夏侯惇が天子を許都に戻したのは、「オレが止めるから」という責任の取り方をするから。

夏侯惇に叱られる曹丕。半人前だと叱責されて、弟たちと協力しないと、国家を運営できないことが身にしみる。


曹操が客死する

曹操は潤沢に兵がいるから、雒城と成都を同時に攻めることもできる。しかし、「劉備さえ撃てば、成都はおのずと開城する」という見通しのもと、雒城を囲む。
張郃・郭淮といった主要な将は、むしろ外に出して、益州の各郡の平定をさせる。雒城を落とした後のことを考えて、兵を動かしている。雒城ひとつを囲むのに、全軍は必要ないから。張飛・黄忠らは、もちろん転戦して抵抗する。
曹操と劉備の総決算の戦い(をこれから考える)

建安25年、春正月、ついに雒城を落とせないまま、曹操は陣没。これは史実なので動かさない。

関羽・孫権の戦いも、同時に起きている。もちろん、きっちり描く予定だが、曹操の結末だけを先に決める。
ぼくは思う。使命感に取り付かれ、不健康を押して陣没する曹操。演義の諸葛亮の最後と重ね合わせれば、悲劇性をうまく表現できるかも。帰り道で反乱する(主導権を奪取しにくる)魏延の役目は、長安の曹彰。ただし曹彰の反乱は誤解で、曹操軍の収容に協力的。

喪を伏せて、陣中にいる曹植・楊脩が主導して、撤退戦をやる。もちろん司馬懿も協力せざるを得ない。楊脩・司馬懿という、奇跡のコンビを結成する。

どうやって撤退するのかも、これから考えます。

魏王の印綬を、曹植が責任をもって送り届ける。長安まで帰ったとき、曹彰が印綬のありかを聞く。
賈逵 「曹彰が尋ねることではない」
曹植 「兄さん、ここだよ」
曹彰 「オレに貸せ。王太子に届けてやる。曹植は、よくがんばったから、もう休め。関中は、曹洪が固めているから、心配はいらない」
曹植 「はあー、疲れた。撤退戦、辛かったよ(涙)」
曹彰 「よしよし(撫)。魏王が客死するという、異常事態が起きてしまった。兄弟で協力していくしかない
曹植 「でも曹丕 兄さんは、ぼくらを排除しようとするんじゃ?」
曹彰 「あるいは、わが国が盤石なら、オレたちを虐げたかも知れない。しかし、劉備が大きくなってしまった。幸か不幸か、内輪でいがみ合っている余裕はない」
曹植 「じゃあ劉備を始末したら、兄さんたちは……」
曹彰 「そんな先のことを考えて、心配している暇はないぞ。これからは、お前も軍務が多くなる。酒はほどほどにな」
曹植 「韜晦の必要がないなら、飲むのを辞めるよ。もともと、ぼくにはアルコールの分解酵素がないから、酒を飲むのがしんどかったんだ」
曹彰 「……(何を言ってやがる)」
こうして、曹植・楊脩が長安に留まって、劉備の北伐に備える一方で、曹彰は曹操軍の主力を率いて、鄴に向かったのだった。

曹彰と曹丕は出会うと、曹丕は軍勢を率いてきたことを咎める(原典なみ)。しかし曹丕が不安ゆえに、ヒステリックになってるだけ。曹彰から印綬+曹操の棺を渡され、曹丕は高陵をつくる。


次回、先行作品がもっとも心を砕いている、関羽の最期(にならないかも知れない)の戦いについて。150714

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3.龐統のおかげで関羽が死なない

曹操と劉備の最期の戦いと並行して、関羽は北伐している。その北伐に関するお話を、今日は考えます。

関羽が生き残るには、『破三国志』では、法正から(史実より早く)丞相に推された諸葛亮が、呉より先に江陵を接収。『関雲長北伐戦記』では関羽が麦城から強行突破し、法正の組んだ船団が呉から江陵を奪還。江陵の取り扱いに懲りたい。

『反三国志』よりも、蜀ファンがスカッとする三国志を、という趣旨の『反・反三国志』ですので、『反三国志』の長所を継承したい。
『反三国志』のなにが不満だったかって、関羽・徐庶、張飛・龐統が荊州に残って、留守番をするだけで、ほぼ活躍しない。龐統は、益州に行かずにすむから、最終回まで生きている。よし、龐統を生かして、龐統に関羽を助けてもらおう。

『反三国志』や『北伐戦記』では、龐統の死後から話が始まるので、この展開はできない。『反三国志』は益州に行かないという、元も子もない理由で龐統が生き残ったから、ありがたみがない。「徐庶のおかげで龐統が生き残る」という展開にする。


龐統の素志

時代は少し遡り。もとは龐統は、司馬徽の門下というか、龐徳公の血縁として、諸葛亮・徐庶の人脈とはつがなりが強い。『反三国志』の物語は、司馬徽の門下が豊富を語り合うシーンから始まるというのを、いま思いついた。

司馬徽の弟子たちが、鼻息を荒くして将来を語っている。
徐庶 「天下の英雄といえば、誰だろうか」
孔明 「曹操。彼のところに就職できたら勝ち組だろう。能吏として、もっとも力を振るう場に恵まれている。しかし彼は漢室をないがしろにする姦臣。彼にだけは仕えたくない(徐州で殺戮をしたし。身が引き裂かれる思いだ)」
徐庶 「曹操のところは、組織が完成しており、入り込む余地がない。程昱のような小人物ですら(演義で他人の母を騙すようなヤツのくせに、史書で人肉を振る舞うくせに)、初期に加入したから、高い地位を得ている。遅れて加入しても、能吏として力を振るうことはできないよ。むしろ無能な創業メンバーの下で、派閥争いに付き合わされ、精神的に疲弊するだけ」
孔明 「じゃあ徐庶は、誰が英雄だと?」
徐庶 「劉玄徳」
孔明 「野蛮かつ弱小の軍閥――ですらない」
徐庶 「孔明は保守的な人間だから、安定志向なのだ。気持ちは分かる。しかし、乱世である。10年前の『もっとも仕官したい君主名鑑』に載っている君主のうち、どれだけ存続しているか。15年前のランキングなんて、もう歴史資料だ」
孔明 「袁紹・袁術。彼らが『花形』業種だったのか……」
徐庶 「そうだ。『もっとも結婚したい男ランキング』にも、『袁氏の門生故吏』が、条件の3位に挙げられている。曹操の名なんて、欄外のネタ扱いだった。乱世だ。価値観も優劣も、すぐにひっくり返る。むしろ、劉備のために働いて、彼の国家の創業メンバーになり、やがて宰相となる。そのほうが、人生が楽しいぞ」
孔明 「しかし、なぜ劉備なんだ?」
徐庶 「それが分からん。深遠な仁徳……玄徳。あざなどおりの人格を、彼は持っているような気がする」
孔明 「気がする? ずいぶん、いい加減だ」
徐庶 「まだ会ったこともないしな。新野に駐屯しているらしい。

徐庶が劉備に会いに行き、人柄に惚れるシーンが必要。三顧の礼もお約束通りにやる。少し簡単にするけれど。『反三国志』は三顧の礼すらカットして、興ざめだった。

わずか数年で目まぐるしく君主が滅び、武将が死に、もしくは降ってきた。しかし劉備だけが、しぶとく生き抜いてきた。軍閥としての潜在能力としても、劉備が優れている……などと分析すれば、孔明は満足なのだろうが、オレが劉備を推す主な理由は、そこではない」
孔明 「理由は?」
徐庶 「だから、深遠な仁徳……」
孔明 「話にならん。ところで士元。あなたが生き残るシナリオのために、この会話を始めたというのに、喋らければ、同席しなかったも同然となるでしょうが……。というか、泥酔して寝てますね。会議に出席したが、発言もせずに寝ているなんて、生産性の敵である」
龐統 「ぐーぐー」
徐庶 「(蹴り)起きろ、士元。お前は天下の英雄ならば、誰だと思う。誰に仕えたいか、という話をしている」
龐統 「痛いぜ。ちゃんと聞いていた。オレは孫堅を挙げる
孔明 「死にました」
龐統 「じゃあ孫策」
孔明 「死にました。なぜ孫堅・孫策を?」
龐統 「故郷(襄陽)を、董卓軍の略奪から救ってくれたのが孫堅だった。孫堅軍に保護されて生き残る……というのが、オレの原体験だしな。オレたちの世代は、幼少期から群雄を見つめてきた。孔明が曹操を憎んでいるように。

なんか、龐統の設定を、即興で作ってしまったw

強いて、存命者のなかで英雄を探すなら、次点で孫権か」
孔明 「なぜ?」
龐統 「孫策の弟だから……というのは冗談で、フロンティアの揚州を制圧しているというのは、これから数百年、強国の条件となる。曹操に対抗できるなら、唯一、孫権だろう。孫堅の子でもある」
孔明 「劉備では対抗できないのか?(興奮)」
徐庶 「どうしてお前が劉備を庇うんだよ……」

そういうわけで、龐統は孫権に味方して、周瑜と密着した。周瑜の死体を、送り届けるほど、呉と親和した。呉の名士とジョークを飛ばしあうほど、呉のシンパである。

劉備は、司馬徽から聞いた「鳳雛」を得たいが、龐統は心を開いてくれない。劉備軍に残った徐庶が説得にあたるが、龐統は、あくまで劉備を「周瑜の戦略を継ぐもの」と位置づけて、益州攻略に協力する。
益州ゆきに先立ち、関羽に「呉と揉めるな」と釘を刺す。その言い方が、関羽を怒らせて、余計に対抗心を煽ってしまう。龐統は関羽のことすら、うっすら見下している気配がある。徐庶がなだめる。
龐統は、「劉備を呉軍の先鋒として使う」という戦略を捨てきれずにいる。周瑜の死後も、脳内補完している。その意味で、呉蜀の同盟を支持する。劉備の部下になったつもりがないから、県令の仕事は、酔ってサボる。

益州に行くに先立ち、徐庶が龐統にいう。
徐庶 「お前は劉備を、孫権の手駒だと思っているな」
龐統 「そうだろう。そのために、赤壁でなんの功績もなく、江陵から曹仁を追い払うときにも功績がなかった劉備に、荊州南部を貸したのだから」
徐庶 「見解の相違は、おおいの結構。しかし、お前自身のために言おう。見せかけでも、劉備を君主として仰げ。劉備の周りは、彼の信望者で固められている」
龐統 「お前とかな」
徐庶 「黙って聞け。劉備の面目を冒すようなことをすれば、お前の身が危うくなる。まして益州は敵地、戦場である。何が起こるか分からない」
龐統 「脅迫するのか?」
徐庶 「同門の友の助言を、素直に聞けんのか。ひねくれ者」
龐統 「だれに仕えようが、友は友。それがオレたちの流儀だ。ありがたく聞いておくよ(ヘラヘラして不真面目)」
徐庶 「……もしも益州でお前を失うことになれば(落涙)」
龐統 「それにしても、暑苦しいな、おい」

龐統が生き残る

さて龐統は、劉備に従って雒城に進軍する。馬に振り落とされた。『演義』第63回の逸話から、本格的に分岐する。
劉備 「私の白馬を貸そう」
龐統 「貸してくれても、オレはあんたに心服しませんぜ」
劉備 「へんな勘ぐりは止してくれ(誠意)」
龐統 「じゃあ、ありがたく……、いや辞めておきましょう。劉備どのの白馬は、頭領のシンボル。オレなんかが乗ってはバチが当たります(徐庶に戒められたし、面倒ごとは避けたい。劉備に借りを作るのもイヤだし)」
劉備 「どうしても、受けてくれぬか」
龐統 「ええ、そうです」
劉備 「(心の底から落胆)」
龐統 「重苦しいな、おい」
いちどは譲った馬である。劉備は、今さら自分が乗る気にもならない。栗毛(白くなければ何色でもいい)替え馬を2頭つれてきて、劉備と龐統が乗った。白馬は、負傷した従者が乗った。
・・・・
張任 「あの白馬に乗ったのが劉備だな!撃て!(命中!)イエス!」

成都の攻略にも参加して、龐統はなにか役職をもらう。巴郡あたり。
単刀会が勃発したときは、孔明の策略によって、成都で留守番させられる。もし、龐統が劉備に従軍して、荊州に出張ったら、劉備に不利益な行動を取るから(不必要なところで史実を帰られたら、作者が困るから)。魯粛・関羽による「湘水を境界とする」という盟約を、龐統は守りたい・守らせたいと考えている。

魯粛とは、けっこう意見が一致しており、「劉備を外から操る」のが魯粛なら、「劉備を内から操る」のが龐統である。この人材配置は、もともと周瑜が決めたもの。


龐統は、ちっぽけな県令ではなく、酔っているヒマがないような大郡を預かる。周瑜の戦略の一環として働いているつもりが、統治の仕事そのものがおもしろくなり、「益州に劉備の国を建てる」ことが目的化してくる。
孔明は微笑ましく見ているだけ。ひねくれ者の龐統に、
「最近は、劉備のために働いてくれてありがとう」
と言えば、また飲んだくれに戻ってしまう。黙って、難易度の高い仕事を、劉備から絶えず振ってもらうことが大切。
曹操軍が巴蜀に侵入したとき(上記参照)あわや転覆という重要な局面で、龐統の治績のおかげで、劉備の益州支配が保たれるという、イベントがほしい。

徐庶が生き残ること1つをトリガーにして、なるべく無理がないように、原典を変えているつもりです。慎重に、慎重に。
『北伐戦記』をいま再読してますが、ドラスティックに勢力地図が変わり、軍が大陸の端から端まで走り回るから、リアリティがない。オセロのように、ころころ変わる。あの作者は、ミクロな籠城戦を描くのが得手ですが、戦略を描かせると、いまいちです。


龐統が関羽を生かす

呂蒙が病気と称して、前線を引いた(関羽を攻める予兆)
孫権と呂蒙が、関羽を攻めるという判断をして、江陵・公安に調略にくる。呂蒙が蜀の狼煙システムを壊して、ひたひたと軍を進めた。呉の落とした江陵に、ふらりと立ち寄った客がある。

劉備に「夷陵の戦い」をやってもらいたいから、江陵は落ちてもらうことにした。龐統が防ぐのは、呂蒙が江陵から出撃すること。江陵を維持してしまえば、劉備軍が有利になりすぎる。

龐統 「呂蒙はいるかい」
呂蒙 「?? これはこれは、軍師さま」
龐統 「ここで何をしてるんだ?」
呂蒙 「(龐統は呉のシンパだから話しても大丈夫だろう。すでに兵を見られたから、ごまかせない)公安・江陵を関羽から返してもらったのです
龐統 「魯粛が決めた境界線を、越えている」
呂蒙 「先に境界線をおかして、兵糧を盗んだのは関羽のほうです
龐統 「そんな事実があるのか? 益州・荊州の連絡を統括しているのは私だが、聞いたことがない。言い掛かりじゃなかろうな」

龐統が、劉備の領土の2州の連絡を仕切っているとは、たった今、決まったことですが。呉蜀のバランス・舵取りを、周瑜の遺志を継いでやろうとしている龐統なら、やってもおかしくない。
というか、関羽がつくった粗忽な狼煙システムは、呂蒙によって壊された。ところが、劉備にすら内緒のウラの諜報システムが龐統によって作られており、呂蒙の接近を察知したから、ここに来たという話にしよう。もちろん孔明は気づいていたが、黙認してた。

呂蒙 「(関羽が兵糧を盗むのは原典の設定だった。 本作では徐庶が兵糧の手当をするから、関羽が零陵から兵糧を盗まないんだった)あわわ」
龐統 「周瑜の描いた天下二分の計。形が変わってしまったが、呉蜀の連携があれば、まだ実現可能だ。(本作のオリジナル設定で)曹操が益州に深入りしてきた。天下二分の計は正念場である。それなのに、呉蜀が対立している場合か。おおかた、魏に騙されたのだろう。呉軍がやるべきことは、劉備軍と連携して北伐するタイミングを待ち、武器を研ぐことじゃないのか」
ひるむ呂蒙。
呂蒙 「お言葉ですが、劉備は荊州を盗みました。盗まれたものを、取り返す。道理はこちらにあります。恐れながら……軍師は、劉備の人柄とやらに惚れこみ、籠絡されてしまったのでは? 軍を引き返すわけにはいきません」
龐統 「バカもの」
呂蒙 「呉の名士の全氏や陸氏と知り合いだからって、威張らないで下さい。これ以上、わが軍を妨害されるなら、軍師を捕らえます。劉備が追いつめられ、関羽が背中を見せている今が、呉にとって好機なのです」
龐統 「劉備を傭兵のように使役するのは、周瑜が決めたこと。湘水を境界にするのは、魯粛が決めたこと。後任の呂蒙は、おのれの一存で覆すのか。荊州・関羽を失えば、劉備は弱体化する。劉備なしで、孫権軍だけで曹操と戦えるか。この行軍は、孫権ではなく曹操を利する」
呂蒙 「孫権さまの指示なんですけど(なんでオレが叱られるの?)」
龐統 「よろしい」
呂蒙 「(分かってくれたのかな)」
龐統 「孫堅・孫策は英雄だった。しかし孫権は、目先の利に釣られて、大局を見失うような凡愚だと分かった。関羽を攻めたければ攻めろ。私が劉備軍の軍師となって、お前たちの退路を断ってやる
呂蒙 「呉を裏切るのですか」
龐統 「裏切りを行ったのは、孫権・呂蒙である。お前たちは、劉備を裏切ったのではない。周瑜・魯粛を裏切ったのだ。許すことはできんぞ」

堂々と軍営を立ち去る龐統。呂蒙は、彼を追うことができない。
劉備軍は、益州で曹操と戦闘中だから、便利な趙雲を連れてくる(『破三国志』)などの解決策が使えない。
龐統は、弁舌と計略を尽くし、呂蒙の関羽出撃を止めたのでした。

龐統によって、孫皎が人質になっているとか?
もしくは江陵・公安の2城は、城壁のある部分を突くと壊れる仕組みになっている。秘密を知るものなら、外からでも発動できる。龐統は、公安の城壁を壊して見せて、江陵も同じだぞと脅す。江陵の城壁を直していたら、関羽を攻めるのが遅れる。しかし城壁を放置して関羽を攻めれば、呉軍は江陵を失う。仕方ないから、江陵に籠もっていよう……とか。足止できれば可。

こうして関羽は、安心して樊城の包囲を続けることができました。

『破三国志』では、孔明が江陵を鎮圧するところが書かれる。奇襲とか説得で終わり、大規模な戦闘にならない。こんなノリで良いと思う。
『北伐戦記』なんて、江陵の攻略(蜀が呉を攻める)までで、上巻の枚数の大半が割かれてしまう。攻城戦を書きたい、という作者のニーズは分かるが、ここで大規模な戦闘をやれば、曹操の思うツボ。やや冗長。下策。


曹操の死後の動き

関羽は、樊城の包囲を継続するが、なかなか落ちない。原典では呂蒙の妨害があって、関羽は引き返すことになった。本作の場合、関羽が引き返すことはないが、曹操が遠隔地にいることから、却って曹仁が奮起して、やっぱり城が落ちない。徐晃も粘る。関羽軍には徐庶がいるが、籠城されてしまえば、何もできない。

ふらりと龐統が現れて、「関羽・徐庶。いつまで悠長に城攻めなんて、やってるんだい」と冷やかす。徐庶・関羽が怒ると、「呂蒙軍に背後を突かれるところだったぞ」と龐統が種明かしをする。青ざめる徐庶・関羽。

曹丕は、孫権軍を動かすのに失敗するし、天子の動座を夏侯惇に怒られるし、いいところが一つもない。夏侯惇を助けるため(認めてもらうため)に摩陂にゆきたい! 関羽と戦いたい!と騒ぐが、「太子が行かなくても同じです」と諌められる。

曹操の棺を担いで、長安に帰っていく曹操軍。曹植・楊脩・司馬懿は、数々の名将の力を借りて、棺を持って帰る。これを追撃する劉備軍。
馬超、みたび曹操の肉薄。地形を生かして急接近することで、棺と喪章を見る。曹操が死んだことを劉備軍が知る。劉備は、がっかりして、追撃を停止。曹操を追悼するようなことを言い、敵味方を越えて、みなで涙する。

『反三国志』で劉備は、いやらしく喜ぶけど……修正!
『破三国志』『北伐戦記』は、いずれも荊州の問題を片づけると、約束のように、関中の北伐の話になる。大抵が、馬超が活躍する。踏襲するだけではつまらない。

孔明 「いまこそ北伐の好機(目の色が変わる)。馬超が健在のうちに、関中に攻め上がれるなんて、さすがイフ物語ですね」
法正 「曹操が死んで、魏軍は団結しているでしょう。曹丕では力不足ですから、魏の動揺を待ちましょう。漢中までは奪還すべきですが、それより北に出るべきでない。もともとが敵地であり、羌族たちとの交渉もまだ」
孔明 「しかし……(チャンスを活かさないと、原典なみに『六出祁山』をすることになり、しんどいぞ)北伐したいな……」

劉備は法正を採用して、漢中までは出てゆく。無残に破壊された漢中王の祭壇を修繕しつつ、ひと息ついていると、伝令があり、「江陵・公安が呂蒙軍に奪われました」と教えた。
劉備 「雲長は?」
伝令 「呉軍は江陵から撃って出ず。関将軍は、かわらず樊城を囲んでおられます」
劉備 「雲長が危ない」
尚書郎の蒋琬が進み出た。
蒋琬 「秦川から関中に出ようとしたが、曹彰の妨害にあって、曹操の棺を奪うことができませんでした。道が険しいのが原因です。それよりも、船をつくって、漢水・沔水から上庸方面に出て……、

蒋琬伝:昔諸葛亮數闚秦川、道險運艱竟不能克、不若乘水東下。乃多作舟船、欲由漢沔、襲魏興上庸。
諸葛亮の反省を受けて、蒋琬は漢中から攻めることを計画した。蒋琬が病気になったので実現されなかったが……、いまこそ発動のチャンス!

……孟逹・劉封と合流し、関羽将軍を援護しましょう。魏は、夏侯惇のみならず、張遼まで投入するという噂があります。樊城を得たものが、荊州を得て、荊州を得たものが天下を得るでしょう」

漢中・荊州北部は、漢水で連絡がとれる。江陵の失陥は痛手であるが、荊州北部を劉備軍が固めれば、維持することはできる。

劉備 「よい策だ。誰に行かせようか」
黄忠 「わしに。故郷の奪回を、みずからの手で」

黄忠は南陽のひと。関羽・曹仁の戦場が、黄忠の故郷であることは、『北伐戦記』で強調されていた。うまいと思ったので、頂きます。

そういうわけで、黄忠が漢水を下る。足許の支配がおぼつかないから、外出を迷っていた孟逹を、黄忠が叱咤して、関羽のところに向かわせる。
さらに数ヶ月かけて、樊城が落ちる。曹仁の最期は、きっと徐庶との八門金鎖リターンズ。しかしギャグにならないように注意。

劉備・諸葛亮・張飛は成都に帰って、魏延に漢中を任せ、曹操軍との戦いで荒れた国土の復興にあたる。
劉備 「そういえば、龐統がいないが
孔明 「われらが曹操軍と戦っているとき、任地を離れたようです。長江に沿い、荊州に行きました」
劉備 「私に断りもなく? よほどの事情があったのだろう(いい人)」
孔明 「じつは……(現場に行ってないのに、見てきたように語ることができる。さすが孔明は、何でも見通している)」
劉備 「それが本当なら、雲長が危なかった」
孔明 「龐統は所在が不明。何を考えているか分からないところがある」
劉備 「彼は天才肌だからな」
孔明 「(嫉妬)そうでしょうか」
劉備 「孔明は秀才肌だよ。伏龍と鳳雛、協力してくれたら天下が取れるのだが、なかなか難しいようだ」

徐庶が劉備のところに残ったことで、龐統が死を免れた。半協力的な龐統のおかげで、劉備は、ぶじに荊州北部を得ることができました。関羽が北伐を開始する前と比べると、荊州中部(江陵)を呉に奪われ、北部(樊城)を魏から奪った。
ただし、漢中と荊州北部の連絡が良いからといって、遠隔地には変わりない。結節点の房陵には、劉封・孟逹がいるけれど、人間関係・忠誠心がいまひとつ。もし彼らが魏軍に調略されたら、荊州北部は孤立する。

まだ物語には反映されないが、例えば司馬懿などは、この弱点を見抜いている。

江陵には呂蒙軍がおり、防御を固めている。
龐統が呂蒙の動きを止めたが、成都には詳細を報告しないから、劉備軍と孫権軍が「正式に」衝突したとは言えない。孫権は外交が自由自在。
次回は、曹操の死後、後嗣がどうなったか。魏呉の外交がどうなるか。という話から、劉備軍への影響を膨らませます。150715

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4.関羽が許都を窺い、曹丕が革命に失敗

曹丕が魏王になる

史実で曹操は洛陽で死ぬ。建安25年正月、同月中に曹丕が魏王となるのだが、本作では曹操が客死するので、夏4月くらいまで遅れる。
3月ごろ、曹植が、曹操の棺を長安に運ぶ。
長安を守る曹彰 「おやじ!」
諌議大夫の賈逵 「長安を過ぎたら、蜀の追撃もないだろう。喪を発せよ」
曹彰 「おやじの印璽はどこだ?」
賈逵 「国に儲副有り。先王の璽綬 君侯の宜しく問ふべき所に非ず。しかし魏王の客死という、緊急事態である。曹彰は、印璽のありかを聞いたからには、責任をもって魏国の太子に届けろ。さもなくば罪に問う」
曹彰 「任せとけ」
曹彰が長安でバトンタッチして、鄴県に棺を届ける。豫州を過ぎたころ、青州兵が鼓を打ち、曹彰の指揮から離脱。賈逵はそれを黙認せよという。各地に長檄を送って、青州兵に食料をほどこさせ、帰郷を助けてやる。

曹彰×賈逵というカップリングができた。史実では、喪を秘するなといい、印璽のありかを聞いた曹彰を叱り、青州兵の帰郷を許すのが賈逵である。以後の賈逵は、曹彰とともに転戦するという、史実と違う運命が決定づけられました。史実でも、一時期、劉備との戦いに参加している。ムリではない。


曹彰が鄴に至る。曹操の棺にすがって、曹丕が泣く。
中庶子の司馬孚 「匹夫のように泣いてるんじゃない。曹丕さまの号令を、みんなが待っております。
尚書の陳矯 「詔命を待たずに、魏王を嗣がれませ」
漢帝は華歆をつかわし、魏王・丞相・冀州牧を追認した。このとき漢帝は、「曹丕は弱虫で、朕のことを関羽から守れるかも分からないくせに、かってに官爵を名乗るなんて、無礼者だよね」と近臣に漏らす。近臣とは、楊彪である(と今決めた)。

魏国では、太中大夫の賈詡を以て太尉と為し、御史大夫の華歆を相国と為し、大理の王朗を御史大夫と為す。曹操の死に場所のズレによる、月遅れがありつつ、曹丕の初期体制が史実なみに整う。
曹丕 「曹彰を鄢陵国に行かせる(時期・内容とも史実なみ)」
夏侯惇 「劉備は樊城を得た。きっとヤツは、中原を狙ってくるだろう。曹彰は、烏丸を平定するなどの功績がある名将である。彼を長安に戻して、備えとせよ」
曹丕 「戦さ下手の劉備が出てきたら、私が親征する」
夏侯惇 「曹彰のほうが戦さがうまい。有為の人材を飼い殺している余裕が、この国にあるだろうか(曹操が客死したので、史実よりも寿命を粘っている)」
曹丕 「……(兄弟を虐待している場合じゃないってことか)」
鄢陵侯の曹彰は(史実では兗州にある藩国に行くが)劉備に備えるために長安に帰任した。曹彰は、この後、劉備と激戦をやる予定。

『反三国志』のように、田豫・牽招のような異民族の兵が活躍するのだが、西の大将は曹彰である。 劉備が優勢になる → 魏軍が危機感のために緊張して強化される → さらにそれを劉備が打ち破る、というパターンで行きます。


関羽が夏侯惇を破り、許都に迫る

建安25年→延康元年は、春に関羽が樊城を落として、夏に宛城の外で徐晃を破った。徐晃との戦い方は、また考える。

献帝のサイドによる「延康」という、漢王朝の継続を願ったような年号は、劉備の思いとも一致したので、この作品は「延康」の年数で書くことにする。史実では、建安を26年まで使って、そのあと蜀オリジナルの年号に切り替わる。

宛城まで手に入れた関羽が狙うのは、地理的にも、意義的にも、許都である。
曹丕は、関羽の威を恐れて、やはり遷都をしたい。徐晃が敗れたころ、摩陂の夏侯惇が南下して、関羽を迎撃する。夏侯惇は、残った目を射貫かれて、「スタッフがおいしく頂きました」となり、表舞台から引退する。

夏侯惇は、「盲目の元勲」として、鄴都の奥深くで、魏王の曹丕の行動を導くのです。しかしその存在は、魏臣にも伏せられている。曹丕が判断に迷うと、奥深い部屋にご神託を聞きにいき、助言をもらっている。
曹丕が夏侯惇の言いなりになるためには、何か決定的な失敗・負い目が必要だ。夏侯惇の反対を押し切って、孫権軍と結んだが、関羽を撃つことができなかったという失敗をクローズアップしよう。


曹彰を長安に置いた。曹丕はおもしろくない。
さすがにアル中の曹植は使い道がなかろうと、爵位を下げて監国謁者を付けて封国に行かせ、恫喝しようとする。すると盲目の夏侯惇が、
「曹植を許都に置き、禁軍を率いさせよ」と命じる。
曹丕 「しかし弟は、派閥をつくっています。目障りです」
夏侯惇 「孟徳を失って、曹氏は一丸となるべき。それとも子桓。お前だけで、孟徳の代役が務まるとでも思っているのか」
曹丕 「(史実では死んでるはずの従父が、やたら張り切ってる……)」
こうして許都の人事が一新された。
(史実では曹操が殺害済の)楊脩が、父の楊彪とともに献帝のそばを固めて、曹植が許都を守るのを支援する。(史実ではこの時期に殺害される)丁儀・丁廙も、許都の守備につく。

沛国の丁氏は、準皇族である。夏侯氏と並んで、頼りになる。あ、でも楊彪・楊脩だけで、充分に曹植の派閥を表現できれば、彼らは出さなくてもいいかも。

曹植は、キリキリと働いて、関羽軍を迎える準備をする。「さすが曹操の息子だ。それでいて、曹操のような横暴さ・狡猾さが感じられない。曹植は有能じゃん」と、朝臣たちの評判がいい。楊脩の助けによるところが大きい(史実なみ)
しかし関羽は、すぐに北伐をしてくるわけじゃない。荊州北部の支配の安定、樊城の修復などに取り組んでいる。

『北伐戦記』では、すぐに関羽が許都に突っこんできて、たちまち孤立する。べつに、スピード=戦果、という状況ではないから、急ぐこともない。というか、そんな速戦即決はリアリティがない。


馬超が涼州を乱す

夏、涼州で反乱が起きる(史実なみ)

王 安定太守の鄒岐を以て涼州刺史と為す。西平の麴演 旁郡と結び乱を作し以て岐を拒む。張掖の張進 太守の杜通を執へ、酒泉の黄華 太守の辛機を受けず。皆 太守を自称して以て演に応ず。武威の三種胡 復た叛す……。

郝昭の活躍で、河西が平定される……かと思いきや(史実から逸脱して)馬超が介入する。武威郡・金城郡のあたりで、曹丕の任じた涼州刺史が追い返される。 曹彰が守る長安を、蜀軍がすぐに攻めることはない。しかし、遠く西方では、馬超の活躍が始まっていた。孔明・劉備は、馬超に裁量権を与えている。

『反三国志』・『破三国志』・『北伐戦記』をひきつぐ。これら先行作品と異なるのは、『陳志』文帝紀に書かれている実際の涼州反乱を踏まえて、膨らませていること。むしろなぜ先行作品は、文帝紀を無視して、フィクションで固めたのか。
作中の設定を決めておく。なぜ史実と異なって、馬超が涼州に復帰できたか。曹操の棺を追いかけるとき、橋頭堡となる拠点をひとつぐらい、劉備軍に余計に与えておく必要がある。また、棺を担いで逃げていく曹操軍を見て(←史実にない話)、涼州の諸勢力が「おや? 魏軍は落ち目なんじゃ?」と勘ぐったとか。

馬超が羌族の軍団を組織して、(史実の反乱に便乗しつつ)武威・敦煌に介入する。曹丕に下ろうとした黄華を襲撃して、涼州の西部をふたたび混乱に陥れるとか。この混乱は、延康元年に始まって、しばらく続く。

きっと馬超は、曹操の死を知り、わが手でトドメを刺せなかったことを悔いて、メンタルに問題を抱えて姿を消したのだろう。姿を消す前に、劉備との友誼を作品中で見せて、読者を安心させてから消える。いきなり黄華を襲撃するシーンで、再登場する。そんな遠方にいたのか!とびっくり。
『北方三国志』のように、馬超がここに架空の集落をつくって、定住してもいい。西域との交易の面倒を見てくれるとか。あまり馬超が活躍しすぎると、『反三国志』のように面白くなくなる。『破三国志』のように刺客に刺されるという補正とか、余分だし。暗殺は話をつまらなくしますね。
武威や敦煌は、漢中から戦線をつなぐには、あまりに遠すぎる。まだ魏にとって、遠吠えのレベルであるゆくゆく毒が回ってくるはず(毒を回します)
文帝紀はここに涼州の平定を配置してるが、遠隔地だから本編に影響しないし、すぐに結果が伝わるとも思えない。2~3年の時間の幅をもって出来事があったと考え、作品のなかに記述を散らそう。


孟逹が徐庶に斬られる

6月(史実なみ)曹丕は南巡する。
秋7月(史実なみ)孫権が曹丕に使者をよこして、奉献した。

関羽に荊州北部を取らせてしまったが、魏呉の関係は、まだ史実と同じである。

孫権からの献上品を見ながら、仲達が曹丕と会話する。彼は、曹操の棺とともに蜀地より帰ってから、絶えず曹丕のそばにいて相談に乗っている。曹植・楊脩が健在なので、史実よりも曹丕に依存されている。

曹丕 「魏王になったものの、天下は破れ目だらけ。鎮圧したかと思った涼州の乱は、長引く一方。関羽は荊州にいる。どこで失敗したのかな」
仲達 「私が中原にいても、魏王と同じように考えて、先王に進言したでしょう。孫権を使って関羽の背後を突けと(『晋書』宣帝紀どおりに)。計略としては高品質です。これが失敗したのは、天命のいたずらでしょう」

※徐庶が劉備軍に残り、龐統が生き存えたイフ展開のせい。
龐統は、樊城を囲む関羽を冷やかした後、姿を消している。どうやって現れるんだろう。ワクワクする(先を考えずに、これを書いてるから)

曹丕 「関羽は連戦のため、一時停止しているが、いつ北上を再開するか分からない。大軍をぶつけようと思うがどうだろうか」
仲達 「下手くそ」
曹丕 「なんだって?」
仲達 「空耳です。関羽に正面から当たるのは、良くありません。夏侯惇将軍ですら、両目を失って押しのけられたのです。先王が益州に突入したムリが祟り、しかも青州兵が離脱したため、魏軍は往事よりも弱い。これ以上、兵を失ってはいけない」
曹丕 「じゃあ関羽に北伐を許せと?」
仲達 「孟逹と劉封が、いがみあっています。関羽が樊城を攻めたとき、加勢が遅れたとか……のちに漢中から降ってきた蒋琬と合流して、関羽軍に加わったようですが。劉封は、劉備の仮子ですが、後嗣となる野心を疑われています。孟逹は蜀軍のなかで立場が悪いようです。ここを分断すれば、関羽は孤立する」

「新城」太守の「孟達」に関する正史類を収集
孟達の説得を聞かず、成都に帰った劉封伝
正史に準拠して、孟達の伝記をまとめる
史実(文帝紀)では、このタイミングで孟逹が魏に降る。関羽が荊州北部にいるおかげで、孟逹が降る意味が大きくなって、妄想が進む、進む。

曹丕 「イイネ!!」
仲達 「関羽は許都を狙うあまり、背後がガラ空きです。髭の手入れが完璧でも、背中に意識が向かないのが、彼の欠点ですな。昨年は江陵を失いました。今回は房陵を失うわけです。ふははは、今度こそ関羽を撃ちましょう。魏軍のみの力で」
曹丕 「やっと魏王としての面目が立ちそうだ」

孟逹は、仲達・曹丕と手紙をやりとりして、魏に降る準備を決めた。
しかし、関羽のところには徐庶がいる。同じ失敗をくり返すことはない。成都の許可を取らずに、神速で孟逹のところに駆けつけ、処断した。まるで史実で司馬懿がやったように。

原典で諸葛亮が「してやられた!」と悔しがる話を、逆に仲達に対して食らわせてやった!という趣向です。スカッとしたいので。


孟逹 「宛・洛 巴・蜀を去ること八百里、吾〈宛城〉を去ること一千二百里なり。吾が舉する事を聞き、當りて天子 漢中王に表上し、相ひ反覆する比、一月の間なり。則ち吾が城 已に固く、諸軍 足辦す。則ち吾 深險に在る所、司馬公 関公 必ず自ら來たず。諸將 來り、吾 患ひ無し。……(関羽が到着して)吾 事を舉げて八日、而れども兵 城下に至る。何ぞ其れ神速なるや(『晋書』宣帝紀より)」

青龍偃月刀が、裏切り者の首をスパッ! 蜀ファンがスカッ!
曹丕 「……厚遇する準備はできていた(史実どおりなら)」

江國香織です。


孟逹から「魏に降ろう」と勧誘を受けても、突っぱねていた劉封(劉封伝)
史実では、孔明によって始末されるのだが、要地を守るための人材が必要なので、史実よりも長生きする。もともと房陵太守の蒯祺を斬って、ここを劉備軍のために接収したのが劉封である。功績のある彼を外す理由が見当たらない。

阿斗ちゃんの投げ捨て問題を、本作でどのように扱うか決めておかないと、劉封の始末がひとつに決まらない。劉封を殺すだけなら(史実準拠で)いつでもできる。
劉封伝:關羽 樊城・襄陽を圍みてより、封・達を連ねて呼ぶも、兵をして發し自助せしめず。封・達、辭するに、山郡 初附し、未だ動搖す可からざるを以て、羽の命を承けず。……本作では、蒋琬に「命を承けず」を解決してもらった。
関羽が死んでないから、劉備が劉封を恨む理由がない。


漢魏革命を思いとどまる

曹丕は里帰りして、譙県で父老をもてなす。
左中郎将の李伏・太史丞の許芝らが(史実どおり)禅譲を提案する。曹丕は、嬉し恥ずかしで辞退しつつ、許都にゆく。
冬10月、許都で禅譲を迫る。すると、楊彪・楊脩が革命に反対する。まさかの(史実とは異なる反撃に)驚いた曹丕は、曹植に話を通そうとする。曹皇后(曹丕の妹)と、曹植が、やはり禅譲に反対する。

禅譲に反対する曹植というのは、『反三国志』です。

曹植 「関羽が目前に迫って、明日にも許都が攻められようとするときです。兄は大軍を連れて、陛下を守りにきたかと思いきや、その兵で陛下を脅そうとする。アベコベではありませんか。せめて関羽を退けてから、再度、発議をなさるべきでは」
曹操の娘×3 「「「そうよ!そうよ!そうよ!」」」

曹皇后が、曹丕の肩を持つのか、献帝の肩をもつのか。これより、『演義』李卓吾本・毛宗崗本を区別できる。今回は、献帝の肩をもつパターンで。

曹植 「兄さんも辞退したではありませんか」
曹丕 「ポーズとしてな。ここで革命をやらないと(史実から大きくズレるから、設定が複雑になってしまうぞ)」
曹植 「ぼくは漢臣です。禁軍の指揮官です。兄さんが『大逆』を企むなら、戦わねばなりません。曹氏のためにも、いまは革命の時期ではないと思います。分かってください。関羽の存在はそれほどに大きい

曹操が魏主で、夏侯惇が長らく漢臣だった。この二人三脚の協力関係・バランス装置を、夏侯惇は、曹丕・曹植に移植した……ということにしよう。


受禅に失敗した曹丕は、許都から離脱した。
12月、洛陽にゆき(史実なみ)建造の現場を視察する。きたるべき漢魏革命のとき、洛陽を天下の中心とするためである。建物の意匠を見ながら……
曹丕 「西域の大珠がほしいな(史実なみ)」
侍中(の蘇則)「馬超が猛威を奮って、交易どころじゃないです」

蘇則は馬超に掛かりきりで、このとき、史実なみに洛陽に居られないかも知れない。発言者は誰でもいい。

曹丕 「洛陽を立派に造営しよう(史実なみ)」
侍中の辛毗あんたは曹叡か。関羽が迫っており、それどころじゃない」
曹丕 「冀州の十万戸を、河南に移そう(史実なみ)」
辛毗 「民が飢えており、関羽が迫っている。なんど言えば分かるんですか。(史実なみに統一王朝の君主として;史実でも統一王朝じゃないけど)威信を示す政策なんて、やめてください」
曹丕 「じゃあ逆はどうだ。河南の人口を、魏の本国の冀州に移せ。河南は、関羽に晒されて危険なんだろう」
辛毗 「民の移住には、膨大な犠牲が伴うものです。董卓が天下から背かれたのは、強制的に遷都したからです。先王ですら、呉との境界・居巣のあたりで失敗しました。移す場所の問題ではなく、移すこと自体に慎重になるべきです」
曹丕 「……うるさい。もう辛毗に会いたくない」
辛毗 「あほか。民心を失いますよ(史実なみ)」

関羽が南陽から、虎視眈々と許都を狙って、進軍の機会を窺っている。そのせいで、曹丕の帝業が史実よりも大きく遅れている。史実では、漢の延康元年→魏の黄初元年とシフトするが、本作では「延康二年」が出現する。西暦の換算は、黄初と同じです。150715

おまけ(勢力図のイメージ)
http://twitpic.com/d14pxg からいただきました。
うまく塗れなくてすみません。



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