表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』列伝52、蜀漢正統論の習鑿歯伝を翻訳

3)こじつけの漢晋禅譲説

東晋皇帝が、やっと習鑿歯に耳を傾けました。説明を求められています。
習鑿歯がどんな説明をするのか、ぼくもすごく楽しみです。意味が取れなかったらどうしよう・・・

三国鼎立の害悪

昔漢氏失禦,九州殘隔,三國乘間,鼎歭數世,干戈日尋,流血百載,雖各有偏平,而其實亂也,宣皇帝勢逼當年,力制魏氏,蠖屈從時,遂羈戎役,晦明掩耀,龍潛下位,俯首重足,鞠躬屏息,道有不容之難,躬蹈履霜之險,可謂危矣!魏武既亡,大難獲免,始南擒孟達,東蕩海隅,西抑勁蜀,旋撫諸夏,摧吳人入侵之鋒,掃曹爽見忌之黨,植靈根以跨中嶽,樹群才以翼子弟,命世之志既恢,非常之業亦固。景文繼之,靈武冠世,克伐貳違,以定厥庸,席捲梁益,奄征西極,功格皇天,勳侔古烈,豐規顯祚,故以灼如也。至於武皇,遂並強吳,混一宇宙,乂清四海,同軌二漢。除三國之大害,靜漢末之交爭,開九域之蒙晦,定千載之盛功者,皆司馬氏也。而推魏繼漢,以晉承魏,比義唐虞,自托純臣,豈不惜哉!

むかし後漢が統制を失ったとき、全国はバラバラになりました。
三国はその隙に乗じて、数世代、鼎立しました。三国は戦争ばかりしたので、無数の血が流れました。魏呉蜀の各国内が平和でも、全国レベルで見れば、乱世でした。
司馬懿は、戦役をこなし、屈辱に耐え、ものすごい苦労をして、魏朝で権勢を高めました。曹操の死後、南に孟達を討ち、東に公孫淵を討ち、西に諸葛亮を防ぎ、中原の周囲を鎮めました。孫呉の侵入を防ぎ、曹爽の一党を倒しました。祖先の霊や子弟の助けにより、司馬懿の仕事は確固たるものとなりました。司馬師と司馬昭が継ぎました。神がかりの武に敵う人はなく、蜀を平定しました。司馬炎のとき、呉を平定しました。四海を討ち清めた業績は、前漢・後漢に並ぶものがあります。
三国鼎立の大害を除き、漢末の交争を静めて、天下と統一したのは、全て司馬氏の手柄です。しかし歴史的事実では、魏が漢を継ぎ、晋が魏を継ぎました。唐虞(堯と舜)のときの正しさと比べると、司馬氏は禅譲の手続きを間違えました。残念なことです。

今若以魏有代王之德,則其道不足;有靜亂之功,則孫劉鼎立。道不足則不可謂制當年,當年不制于魏,則魏未曾為天下之主;王道不足于曹,則曹未始為一日之王矣。昔共工伯有九州,秦政奄平區夏,鞭撻華戎,專總六合,猶不見序於帝王,淪沒于戰國,何況暫制數州之人,威行境內而已,便可推為一代者乎!

もし魏に王の代用となる徳があったと仮定しても、魏に王の道は足りません。魏は乱を静めた功がありますが、孫権と劉備を鼎立させてしまいました。魏国は天下の主になっておらず、曹氏は王としての治世を始めていません。
むかし共工伯がいました。共工伯は九州(全国)を領有し、秦王政は中原を平定しました。しかし共工伯は漢民族と異民族をムチで従わせただけですし、始皇帝は戦国の6国を合わせただけです。帝王には数えられません。まして魏代には、呉蜀の数州の人が従いませんでした。魏の威令は自国内に留まります。どうして魏が、統一王朝に数えられましょうか。

司馬氏は魏臣ではなかった

若以晉嘗事魏,懼傷皇德,拘惜禪名,謂不可割,則惑之甚者也。何者?隗囂據隴,公孫帝蜀,蜀隴之人雖服其役,取之大義,于彼何有!且吳楚僭號,周室未亡,子文、延陵不見貶絕。宜皇帝官魏,逼於性命,舉非擇木,何虧德美,禪代之義,不同堯舜,校實定名,必彰於後,人各有心,事胡可掩!定空虛之魏以屈於己,孰若杖義而以貶魏哉!夫命世之人正情遇物,假之際會,必兼義勇。宣皇祖考立功於漢,世篤爾勞,思報亦深。魏武超越,志在傾主,德不素積,義險冰薄,宣帝與之,情將何重!雖形屈當年,意申百世,降心全己,憤慨於下,非道服北面,有純臣之節,畢命曹氏,忘濟世之功者也。

もし司馬氏が魏に仕えたと言うなら、晋の皇徳が傷ついてしまいます。懼ろしいことです。司馬炎の禅譲文にこだわって、「司馬氏は魏に仕えた」と言い張るなんて、気が狂っています。晋は魏の旧臣ではない。

一級史料にケチをつけるなんて、習鑿歯はすごいな・・・

なぜか?
後漢初、隗囂が隴地方に割拠し、公孫述が皇帝を称しました。隴蜀の人は、隗囂や公孫述の命令を聞きましたが、どこに大義がありましたか。春秋時代、呉楚が王を僭称したとき、周室はまだ滅びていなかったので、子文と延陵は抵抗しました。
もし司馬懿が魏に仕えたなら、晋の正統性は無効になってしまいます。司馬懿は漢に仕えて、大きな手柄を立てたのです。

公孫述は一地方で皇帝を称した。公孫述に従った人に大義はない。公孫述はチッポケな印象だから、大義のなさは感覚的に分かる。同じ構図で、曹氏は「一地方」で皇帝を称した。曹氏に従った人に大義はない。司馬氏が魏に仕えたなら、司馬氏は公孫述の部将と同じになる。公孫述の部将のような家に、皇帝になる資格はない・・・
曹氏の位置づけを貶めれば、納得できないでもない。

曹操は権勢が超越し、漢帝を傾ける志を持っていました。もとより曹操は徳を積まず、義は険しくて、薄い氷みたいでした。こんな最低の曹操に、どうして司馬懿が共感して仕えるでしょうか。司馬懿は曹操に従ったように見せかけても、心の中では憤慨していました。
史実で司馬氏は、曹氏の命運を終わらせました。もし司馬氏が曹氏に本気で仕えたなら、裏切り者です。司馬氏は、世を救う志を忘れたバカ野郎だということに、なってしまいますよ。

そのバカ野郎なんじゃないのか?司馬氏は・・・

夫成業者系於所為,不系所藉;立功者言其所濟,不言所起。是故漢高稟命于懷王,劉氏乘斃于亡秦,超二偽以遠嗣,不論近而計功,考五德於帝典,不疑道於力政,季無承楚之號,漢有繼周之業,取之既美,而己德亦重故也。凡天下事有可借喻于古以曉於今,定之往昔而足為來證者。當陽秋之時,吳楚二國皆僭號之王也,若使楚莊推鄢郢以尊有德,闔閭舉三江以奉命世,命世之君、有德之主或藉之以應天,或撫之而光宅,彼必自系于周室,不推吳楚以為代明矣。況積勳累功,靜亂寧眾,數之所錄,眾之所與,不資于燕噲之授,不賴於因藉之力,長轡廟堂,吳蜀兩斃,運奇二紀而平定天下,服魏武之所不能臣,蕩累葉之所不能除者哉!

そもそも業績を成せるか否かは、本人行いで決まります。所属団体では決まりません。言い換えれば、立てた功の大きさは、誰をどう助けたかによって決まります。誰の下で行動を起こしたかでは決まりません。
前漢の劉邦や、春秋時代の呉の闔閭が立派なのは、上記の基準を満たしたからです。
司馬氏が呉蜀を倒して、天下を統一したことが凄いのであって、曹氏に仕えていたことは本質的な問題ではありません。

もう少しだけ、習鑿歯がねばります。