表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』列伝52、蜀漢正統論の習鑿歯伝を翻訳

5)蜀漢正統論ではない

習鑿歯の列伝を読み、『漢晋春秋』の成立時期を考えました。

劉備は無視

『三国志』に裴松之が引いた『漢晋春秋』を、網羅的に集めています。近日、このページでやるつもりです。
その内容と、今回の列伝を合わせて、共通して感じたこと。

『漢晋春秋』は、蜀漢正統論ではない。曹魏非正統論だ。

べつに、
言葉遊びをして、惑わしているのではありません。
ぼくたち三国ファンは、頭の中が、2択になっていませんか。曹操が正統か、劉備が正統か、という2択です。
もし曹操の正統を否定するならば、正統は劉備になる。そういう思い込みがありませんか。こういう思考回路に「陥っている」のだとしたら、『漢晋春秋』を正しく読むことができないと思う。
習鑿歯の歴史観を言うなら、
「曹操は正統ではないが、劉備も正統ではない。献帝から司馬昭の間は、正統な王朝がいない」
となります。曹操を否定しても、自動的に劉備が正統にならない。
蜀漢を正統とするのではなく、曹魏の正統を否定しただけ。ぼくが上の黄枠で言ったのは、そういう意味です。

『漢晋春秋』のアピールポイントは、臣下のくせに出しゃばった曹操を批判することです。桓温を諌めることが狙いだからです。
端的に言えば、劉備は無視だ。もっとも、劉備を批判する意図はない。だから、曹操をけなして、相対的に劉備が浮き上がることを、わざわざ妨げることもしてない。もう一度書きますが、劉備は無視だ。

本紀があるじゃないか

形式的な話をすれば、『漢晋春秋』では後漢献帝の次に、劉備と劉禅に本紀が立つ。そして司馬昭の本紀が立つ。
「ほら、蜀漢正統論に立って書かれているじゃないか」
というご指摘はあるでしょう。反論しておきます。

司馬遷が紀伝体を発明したとき、本紀には、天下の主催者の名前が置かれていました。紀伝体では、目次そのものが、編者の主張だ。そういう基礎知識を踏まえた上でも、ぼくは習鑿歯が劉備を正統にしていないと思う。
習鑿歯曰く、
「後漢が滅びて乱世になった。三国鼎立は、後漢末の乱世の延長だ。三国の国内は平穏になっても、全国では流血が絶えなかった」
「天下に君主はいなかった」
「司馬炎は、後漢以来の乱世を初めて平定した」
ここから浮かび上がる王朝の変遷は、「後漢-蜀漢-西晋」ではなく、「後漢-西晋」だ。
もうひとつ。
「司馬氏は、魏臣ではなくて、漢臣である」
と、習鑿歯は死ぬほど連呼した。だが、
「司馬懿は、劉備・劉禅の臣だった」
という表現が、ひとつも出てこない。っていうか、そんなのは当たり前の話で、司馬懿は劉禅に頭を下げていないんだぜ・・・そう笑い飛ばして終わりかと思いきや、ぼくはそうでもないと思う。習鑿歯は、
「司馬炎のときの受禅文は、歴史認識を誤っている。晋が魏から禅譲を受ける筋合いはない」
と、自分の主張のためなら、一級史料すら否定してしまう人だ。その気になれば、司馬懿が心の中で劉禅に忠誠を誓っていたという話を主張しただろう。でも、なぜしないか。やはり先に述べたのと同じく、
「司馬懿は、蜀漢ではなく後漢の臣である」
と、習鑿歯が考えていたからだ。司馬昭は劉禅から正統を継いだのではなく、献帝から正統を継いだのだ。
もうひとつ。
習鑿歯は列伝の直接話法の中で、後漢を「漢」といい、蜀漢を「蜀」というのみだ。蜀漢を「漢」とは、いちども言ってない。まあこれは、 『晋書』を書いた人が言葉を選んだかも知れないので、論拠とするには弱いが。

編集の都合

いちおう歴史書の体裁として、本紀が断絶してしまうのは、ツラい。だから、編集上の便宜として、劉備に本紀を立てておいた。積極的に劉備を選んだのではなく、曹操でなければ、誰でも良かった。
「劉備は、漢の宗室だから本紀を立てたが、魏呉より弱い」
これが、習鑿歯の蜀漢へのコメント。本紀を割りつけるべき、妥協の相手としては、孫権よりはマシだった。そういう言い訳が聞こえる。
陳寿は劉備を「先主」と書いたり、「皇后」伝を立てたり、死ぬという表現を変えたりして、蜀漢を敬った。習鑿歯は、配慮なし。 曹操に本紀を立てた陳寿の方が、習鑿歯より、よほど劉備に正統性を見出している。皮肉だ。

地方政権にカラい

「東晋は地方政権だ。地方政権に正統を見出すため、蜀漢を正統とする『漢晋春秋』が書かれた。多様な価値感を持った、新時代の歴史書だ」
という解説をよく見るが、100%違う。
習鑿歯は全国統一していない王朝に超キビシい。全く認めない。東晋に仕えている彼の身を心配したくなるほどだ。曹操(桓温)の憎さに身を焦がし、強い臣の批判にアクセントを置きすぎて、それ以外の論旨が二の次になった感があるが・・・
事実、『漢晋春秋』は、東晋で全く受け入れられなかった。

習鑿歯は桓温がキライだけど、北伐にいちばん熱心なのは、桓温。桓温のおかげで、東晋が統一王朝になれる可能性が、1%くらは見えてきているから、『漢晋春秋』は統一王朝の正しさを、執拗に語る。希望があるから、執着するのである。0%なら、人は意外にスッパリ諦められる生き物だよね。

『漢晋春秋』の意義

なんだか蜀ファンの夢を壊しただけの話をしましたが・・・
『漢晋春秋』の意義は、「劉備に本紀を立てる」という新スタイルを示したことだ。習鑿歯の特別な意図がなくても、 「魏を正統とすべきだ」 という呪縛を解いたのは事実。 多様な三国文化が生まれる出発点になった。
「司馬懿は魏臣ではない」
という、トンデモ仮説を証明するために、歴史をいじりまくった。妥当性はともかくとして、『三国志』を題材にして知的遊戯をやるお手本を示した。

習鑿歯その人は、
「中原に都する統一王朝が、誰が何と言おうと正統だ」
という、東晋の現実的国力を省みない頑固者。
だが習鑿歯が曹操を正統の座から降ろしただけで、トランプのピラミッドを突いたみたいに、これまでの歴史認識が相対化された。三国鼎立という異例な状況が長引いた歴史は、無数の解釈を許す。素材は揃っていたのに、習鑿歯が『漢晋春秋』で一石を投じるまで、あまりやられなかった。

習鑿歯は、持論が不発の無念さを抱えて死ぬ。だけど華北では、まず習鑿歯を捉えた前秦の苻堅が、新しい時代を作るんだね。秦漢帝国からずっと縛られた、漢族による正統王朝の呪縛に手を加えていく。090813