表紙 > 漢文和訳 > 『魏書』列伝85「島夷桓玄」を翻訳/北魏目線の簒逆

2)建業との敵対

荊州の一隅を、手に入れた。父の桓温と同じ地盤だが、順調な相続ではなかった。荊州を完全制圧するため、動き出します。

殷仲堪との戦い

先是荊州大水,仲堪倉廩空竭,玄乘其虛而伐之,先遣軍襲巴陵。梁州刺史郭銓當之鎮,路逢玄,玄遣銓為前驅。玄發夏口,與仲堪書雲:「今當入沔,討除佺期,頓兵江口。若相與無貳,可殺楊廣,若其不爾,便當率軍入江。」別與桓偉書,今克期為內應,偉惶遽,以書示仲堪,仲堪慰喻遣歸,夜乃執之。仲堪遣龍驤將軍殷邁、振威將軍劉山民等統眾七千至西江口。玄聞邁至,複與其當苻永道領帳下擊之,邁等敗走。

これより先、荊州で洪水があった。殷仲堪は、備蓄を使い果たした。桓温は隙に乗じて、殷仲堪を攻撃した。

帝王の戦さではないよなあ。そもそも、いつから敵対したの?

まず桓温は、巴陵を襲った。梁州刺史の郭銓が、巴陵を守っていた。道で桓玄の軍と遭遇し、郭銓は桓玄に味方して、桓玄の先鋒となった。桓玄は夏口を発して、殷仲堪に書状を与えた。
「私は沔水に入って、楊佺期を討ち除いた。兵は江口に駐屯している。もし私に臣従する気があるなら、楊廣を殺せ。もし私に従わなければ、兵を率いて長江に入り、キミを攻めるぞ」

旧王恭派の中で、いつの間に桓玄がこんなに強くなったのだろう。旧王恭派は、建業の司馬氏に敗れて、腰が抜けた。桓玄は覇気のなさを怒り、もとの仲間の掃除から始めたか?

桓玄はべつに、桓偉に書状を与えた。
「東晋や旧王恭派を見限り、私に内応せよ」
桓偉は惶遽し、書状を殷仲堪に見せた。殷仲堪は、
「そんなに桓玄を懼れなくても、大丈夫だ。まずは自分の持ち場に戻れ」
と慰めた。だが殷仲堪は、夜に桓偉を捕えた。

弱気な味方は士気を削ぐし、ビビッて本当に桓玄に内応するかも知れない。殷仲堪も、なかなか腹がドス黒い人物だ。

殷仲堪は、龍驤將軍の殷邁、振威將軍の劉山民らに、7000を率いさせ、西江口に到った。桓玄は、殷仲堪の軍が迎撃の姿勢を見せたと聞くと、郎党の苻永道に、帳下の兵を与えて、攻めさせた。
桓玄の軍により、殷仲堪の将・劉邁らは敗走した。

玄頓巴陵,收其兵而館其穀,複破楊廣于夏口。仲堪既失巴陵之積,又諸將皆敗,江陵駭震,城內大饑,皆以胡麻為廩。初,仲堪之得玄書也,急召佺期,佺期曰:「江陵無食,何以待敵?可來見就,共守襄陽。」仲堪猶以全軍,無緣棄城迸走,甚憂佺期弗來,乃紿之曰:「比來收集,已有儲矣,可有數萬人百日糧。」佺期信之,乃率步騎八千,既至,仲堪惟以飯餉其軍。佺期大怒曰:「今茲敗矣!」不過見仲堪,使人於艦上橫射玄,玄軍亦射之,佺期乃退。玄乃渡軍於馬頭,命其諸軍進,破殺仲堪,殺楊廣、佺期、殷道護及仲堪參軍羅企生等。

桓玄は、巴陵を手に入れた。巴陵にいた兵を収容し、食料を自分のものとした。ふたたび桓玄は、楊廣を夏口で破った。殷仲堪は、巴陵の蓄積を奪われ、味方の諸將がみな桓玄に敗れた。江陵は駭震した。
殷仲堪のいる江陵の城内は、大いに飢えた。みなゴマを廩にして凌いだ。
はじめ殷仲堪が、桓玄から書状を受け取ったとき、急いで楊佺期を召した。

この時点で楊佺期は、いちど桓玄に破れて、ウロウロしてる。

楊佺期は、殷仲堪に言った。
「江陵には、食料の備えがないんだろ。どうやって敵(桓玄)を迎え撃つのですか。一緒に襄陽に移って、守りましょう」
仲堪猶以全軍,無緣棄城迸走,甚憂佺期弗來,乃紿之曰:「比來收集,已有儲矣,可有數萬人百日糧。」佺期信之,乃率步騎八千,既至,仲堪惟以飯餉其軍。佺期大怒曰:「今茲敗矣!」不過見仲堪,使人於艦上橫射玄,玄軍亦射之,佺期乃退。
桓玄は、馬頭で軍に川を渡らせ、諸軍に進むことを命じた。桓玄は殷仲堪を破って殺した。桓玄は、楊廣、楊佺期、殷道護および殷仲堪の參軍である羅企生らを殺した。

意味は分かってるものの、桓玄の話ではないので、先を急ぎます。
読んでいたら、ぼくまで腹が減ってきたので、チョコチップクッキーを食べよう。

桓玄を討てとの詔

德宗以玄為持節、都督荊司雍秦梁益甯江八州及揚豫並八郡諸軍事、後將軍、荊江二州刺史。玄大論功賞,以長史卞范之領南郡相,委以心膂之任。乃斷上流,禁商旅。德宗下書曰:「豎子桓玄,故大司馬不腆之息,少懷狡惡,長而不悛,遂與王恭協同奸謀,阻兵內侮,三方雲集志在問鼎,窺擬神器。賴祖宗威靈。宰傅神略,忠義奮發,罪人斯殞。玄等倡狂失圖,回舟鳥逝。便宜乘會,殲除奸源,於是同異之論,用惑廟策,遂使王憲廢撓,寵授非所。猶冀玄當洗濯胸腑,小懲大誡,而狼心弗革,悖慢愈甚,割據江湘,擅威荊郢,矯命稱制,與奪在手。又對侍中王謐放肆醜言,欲縱凶毒,陵陷上京。無君之心,形於音翰;不臣之跡,日月彌著。是可忍也,孰不可懷!宜明九伐,以寧西夏。尚書令、後將軍元顯可為征討大都督、督十八州諸軍事、驃騎大將軍、儀同三司。」

東晋は桓玄を、持節、都督荊司雍秦梁益甯江八州および揚豫並八郡諸軍事、後將軍、荊江二州刺史とした。
桓玄は、殷仲堪を討った功を大いに賞した。桓玄は、長史の卞范之に南郡相を領ねさせ、心膂之任とした。長江の上流に、商人が移動することを禁じた。司馬德宗は書を下した。
「クソガキの桓玄は、なき大司馬・桓温の愚かな息子である。若いくせに狡惡を抱き、長じては不悛である。王恭とともに奸謀して、あちこちから兵をかき集め、問鼎した。

春秋の楚王の故事。皇帝の権力を相対化することは、大逆です。
司馬徳宗(安帝)の猛々しい糾弾は、ただ烈しいだけで中身がないので、中略とします。訳しても、書き下し文にしかならないし。

桓玄は、荊州や郢州で好きにふるまい、朝廷の命令を勝手に変えている。日に日に臣下にあるまじき行動が、桓玄に現れている。私は東晋皇帝として、桓玄のことを、忍ぶべきか忍ばざるべきか。っていうか、耐えられるわけない。天下の兵を動員して、西夏を安寧にせよ。尚書令・後將軍の司馬元顯、キミを征討大都督、督十八州諸軍事、驃騎大將軍、儀同三司とするから、桓玄を討て」

荊州のことを、西夏というのか?


以劉牢之為前鋒,行征西將軍,權領江州;命司馬尚之入沔水。
玄聞元顯處分,甚駭懼,欲保江陵。長史卞范之說玄東下,玄甚狐疑,範之苦勸,玄乃留桓偉守江陵,率軍東下。至夏口,乃建牙傳檄曰:

司馬徳宗は、劉牢之を前鋒として、征西將軍を行(か)ねさせ、江州を領させた。司馬尚之に命じて、沔水に入らせた。
桓玄は、司馬元顯に自分を討てと命令が下ったことを聞き、はなはだ駭懼して、江陵を保ちたいと思った。長史の卞范之は、桓玄に東に下る(建業を攻める)ことを勧めた。桓玄は江陵に残りたいから、卞范之の勧めを、はなはだ狐疑した。卞范之は苦労して桓玄を説得した。桓玄は、桓偉に江陵を守らせて、軍を率いて東下した。夏口に到り、牙を建てて檄を伝えた。

牙を建て、なのかなあ。単純にレ点を付けたらそうなりますが(笑)


案揚州刺史元顯:兇暴之性,自幼加長;犯禮毀教,發蒙如備。居喪無一日之哀,衰絰為宵征之服,弦觴于殷憂之時,窮色於罔極之日,劫略王國寶妓妾一朝空房,比基惡之始,駭愕視聽者矣。
相王有疾,情無悚懼,幸災擅命,揚州篡授,遂乃父子同錄,比肩連案。既專權重,雙行險暴,恐相王知之,杜絕視聽。惡聲無聞,佞譽日至。萬機之重,委之廝孽,國典朝政,紛紜淆亂。又諷旨尚書,使普敬錄公。錄公之位,非盡敬之所。苟自尊貴,遂悖朝禮。又妖賊陵縱,破軍殄民之後,己為都督,親則刺史,于宜降之日,輒加崇進。弱冠之年,古今莫比。宰相懲惡。,己獨解錄,推禍委罰,歸之有在,自古僭逆未有若斯之甚者。
取妾之僭,殆同六禮,乃使尚書僕射為媒人,長史為迎賓,嬖媵饕餮,賀同長秋,所謂無君之心,觸事而發。八日觀佛,略人子女,至人家宿,唐突歸妾。慶封迄今,甫見易室之飲;晉靈以來,忽有支解之刑。喜怒輕戮,人士割裂,治城之暴,一睡而斬。又以四歲孽子,興東海之封。吳興殘暴之後,橫複若斯之調。妖賊之興,實由此豎。居喪極味,孫泰供其膳;在夜思游,亦孫泰延其駕。泰承其勢,得行威福,雖加誅戮,所染既多。加之以苦發樂屬,枉濫者眾,驅逐徙撥,死叛殆盡。改號元興,以為己瑞,莽之符命,于斯尤著。否極必亨,天盈其毒,不義不昵,勢必崩喪,取亂侮亡,實在斯會。三軍文武,憤踴即路。

司馬元顯の悪口を言っているだけで、新しい発見がないのですが・・・。初見の悪事があるわけでもなく。気が向いたら逐語訳しましょう。


次回、いざ桓玄が建業に乗っ取りをかけます。