表紙 > 漢文和訳 > 『魏書』列伝85「島夷桓玄」を翻訳/北魏目線の簒逆

5)器量が小さい人の末路

以降に描かれるのは、桓玄が滅びていく過程です。

裸の王様

德宗彭城內史劉裕因是斬徐州刺史桓修環境京口,與沛國劉毅、東海何無忌收眾濟江。玄加桓謙征討都督,召侍官皆入止省中。玄移還上宮,百僚步從。赦揚、豫、徐、兗、青、冀六州。遣頓丘太守吳甫之、右衛將軍皇甫敷北拒劉裕于江乘。裕斬甫之,進至羅落橋,又梟敷首。玄外粗猛,內恇怯,及聞二將已沒,志慮荒窘,計無所出,日與巫術道士為厭勝之法。乃謂眾曰:「朕其敗乎?」黃門郎曹靖對曰:「神怒民怨,臣實憂懼。」玄曰:「民怨可然,神何為怒?」對曰:「移晉宗廟,飄泊無所;大楚之祭,不及于祖。此其所以怒也。」玄曰:「卿何不諫?」對曰:「輦上諸君子皆以為堯舜之世,臣何敢諫。」

東晋の彭城内史・劉裕は、徐州刺史の桓修を、京口の境界周辺で斬った。劉裕と、沛國の劉毅と、東海の何無忌は、兵を収めて長江を渡った。
桓玄は、桓謙に征討都督を加え、侍官を召して、みな省中に閉じ込めた。 桓玄は上宮に戻り、百僚は徒歩で従った。桓玄は、揚、豫、徐、兗、青、冀六州に大赦した。頓丘太守の吳甫之、右衛將軍の皇甫敷に、北で挙兵した劉裕を、江乘で防がせた。劉裕は、吳甫之を斬り、羅落橋に進んで、吳甫之をさらし首にした。
桓玄は、外面が粗猛だが、内面は恇怯である。派遣した2人の将軍が戦死したと聞いて、志慮が荒窘し、対処法が何も思い浮かばなくなった。巫術の道士に、厭勝之法を祈らせた。

叛乱軍が迫ってくると、ワケが分からなくなるのは、奇しくも尊敬する王莽と同じである。よかったね、桓玄。

桓玄は、臣下たちに言った。
「朕は敗れるのか?」
黄門郎の曹靖が答えた。
「神は怒り、民は怨み、私はじつに憂懼しています」
桓玄が言った。
「民に怨まれるのは分かるとして、神はなぜ怒るのか?」

民に怨まれることは、認めちゃうのかい・・・

「晉室の宗廟を移し、飄泊として次の場所が決まっていません。大楚の祭祀は、桓玄さまの祖先に及びませんでした。これが神の怒りを買っています」
「卿(あなた)は、なぜ諌めなかったのか?」
「輦上にいる諸君子は、みな堯舜之世のように、楽しんでいました。どうして私が、(危機感も反省もない桓玄さまたちを)敢えて諌められましたか」

輦は、例の30人乗りだ。よほど不興を買ったらしいね。


玄使桓謙、何澹之屯於東掖門,卞範之屯覆舟山西,眾合二萬。又遣武衛庾賾之配以精卒利器,援助謙等。謙等大敗,玄聲雲赴戰,將子侄出南掖門,西至石頭。先使殷仲文具船於津,遂相與南走。經日不得食,左右進以粗粥,咽不能下。玄子升五六歲,抱率胸而撫之,玄悲不自勝。玄挾德宗發尋陽,至江陵,西中郎將桓石康納之。張幔屋,止城南,署置百官,以卞范之為尚書僕射,殷仲文為徐州,其餘各顯用。玄謂諸侍臣曰:「卿等並升清塗,翼從朕躬,都下竊位者方應謝罪軍門,其見卿等入石頭,無異雲霄中人也。」

桓玄は、桓謙、何澹之を東掖門に駐屯させ、卞範之覆舟山の西に駐屯させた。桓玄軍は、全部で2万になった。また、武衛の庾賾之に、精兵と鋭い武器を持たせて、桓謙らを援助させた。
桓謙らが大敗すると、桓玄は自らが出陣すると言い出した。南掖門から出て、西に行き、石頭城に到った。さきに殷仲文に津で船を準備させて、桓玄は南に移動した。
戦さをやっている数日間、桓玄は食事をしなかった。左右の人が、粗粥を進めたが、桓玄は飲み下すことができなかった。桓玄の子・桓升は、5歳か6歳だった。桓玄は、幼子を胸に抱いて撫で、言いようもないほど哀しんだ。

だれが取材したのか分からない。「いかにもありそうな」という、歴史家の脚色かも知れないけど、こういうのが好きだ。

桓玄は、司馬德宗を連れて、尋陽を発して、江陵に到った。西中郎將の桓石康は、桓玄と司馬徳宗を迎え入れた。幔屋を張り、城南に止まり、百官を署置して、朝廷の体裁を整えた。卞范之は尚書僕射となり、殷仲文は徐州の長官となり、その他の桓玄に属する人々は、位を与えられた。
桓玄は、侍臣たちに言った。
「卿等並升清塗,翼從朕躬,都下竊位者方應謝罪軍門,其見卿等入石頭,無異雲霄中人也。」

ストレス耐性のなさ

玄以奔敗之後,懼法令不肅,遂輕怒妄殺,逾甚暴虐。殷仲文諫之,玄大怒曰:「漢高、魏武凡遇敗,但諸將失利耳。以天文惡,故還都舊楚,而群小愚惑,妄生是非,方當糾之以猛,未宜施之以恩也。」荊、江郡守,以玄播越,鹹遣使通表,有匪寧之辭,玄悉不受,乃更令所在表賀遷都。玄在道自作《起居注》,敘其拒劉裕事,自謂算略無失,諸將違節度,以至於敗。不暇謀議軍事,惟誦述寫傳之。

桓玄は敗れて逃げた後、懼れてしまい、法令の内容は肅でなくなり、すぐに怒って、殺すべきでない人を殺した。桓玄は、ひどく暴虐になった。

トップはつねに精神衛生を良くしていなければならん。べつに桓玄のように皇帝じゃなくとも、部下を1人でも持つなら、求められることだよね。

殷仲文がこれを諌めると、桓玄は大いに怒って言った。
漢高(劉邦)や魏武(曹操)が敗れたときは、諸将は戦利を失っただけだった。私の敗北だって、戦利を得られなかっただけで、インパクトの大きなことではない。いま私は江陵にいるが、天文が悪いから、楚の旧都(建業)に戻ろうと思う。だが、群小が愚惑し、妄りに是非を生じている。クズどもを猛威で糾弾しよう。クズどもに恩徳を施す必要はない」
荊州と江州の郡守は、桓玄に使者を送ってきたが、匪寧之辭(無礼な言葉)があったので、桓玄は全て受け取りを拒否した。桓玄は、郡守たちに上表させ、遷都を祝福させた。
桓玄は道中、みずから《起居注》を作った。桓玄は、劉裕を防いだこのときの戦さについて、こう書いている。
算略は無失し、諸將は節度を違い、以て敗るに至る。謀議軍事を暇とせず、惟だ誦して述寫し、之を傳う」

こんな戯言を書き記しているキャパがあるなら、もっと目の前のことに必死になって下さい。自分で『起居注』を書いちゃうなんてね、珍しいことですよ。桓玄は、皇帝としての自意識は強いようで。


劉裕遣其冠軍將軍劉毅發建鄴,追之。玄軍屢敗。玄常裝輕舸於舫側,故其兵人莫有鬥志。玄乃棄眾而走,餘軍以次崩散,遂與德宗還江陵。初,玄留德宗妻子巴陵,殷仲文與玄同舟,乃說玄求別舫收集散軍,遂以德過妻歸於建鄴。玄入江陵城,南平太守馮該勸玄更戰。玄欲出漢中,投梁州刺史桓希,夜中處分將發,城內已亂,禁令不行,將親近腹心百許人出城北。至城門,左右即于暗中斫玄面,前後相殺,交橫盈路。玄僅得至船。德宗入南郡府。玄既下船,猶欲走漢中。玄屯騎校尉毛修之誘以入蜀,遂與石康等沂江而上。達枚回洲,為益州參軍費恬而迎射之,箭如雨下。玄中流矢,子升輒拔之。益州督護馮遷抽刃而登玄艦,玄曰:「是何人也,敢殺天子!」遷曰:「我自欲殺天子之賊耳。」遂斬玄首並石康等,斬升於江陵市,傳送玄首,梟於朱雀門。

劉裕は、冠軍將軍の劉毅に、建鄴を出発させて、桓玄を追わせた。桓玄の軍は、敗北を重ねた。
桓玄はつねに舫側で輕舸を裝したから、桓玄の兵は闘志を失った。桓玄は、兵たちを捨てて逃げた。残された軍は崩散して、司馬徳宗とともに江陵に入った。
はじめ桓玄は、司馬徳宗を巴陵に留めていた。殷仲文と桓玄は同じ舟に乗っていた。乃說玄求別舫收集散軍,遂以德過妻歸於建鄴。玄入江陵城,南平太守馮該勸玄更戰。
桓玄は、漢中に脱出したいと思い、梁州刺史の桓希を頼った。夜中處分將發,城內已亂,禁令不行,將親近腹心百許人出城北。至城門,左右即于暗中斫玄面,前後相殺,交橫盈路。
玄僅得至船。德宗入南郡府。玄既下船,猶欲走漢中。玄屯騎校尉毛修之誘以入蜀,遂與石康等沂江而上。達枚回洲,為益州參軍費恬而迎射之,箭如雨下。玄中流矢,子升輒拔之。

なんか、訳すも訳さないも、見たまんまなので、、手抜きですみません。

益州督護の馮遷は、刃を抜いて、桓玄のいる艦に登った。桓玄は、言った。
「どんな奴が、天子を殺すなんてことをやるのか」
馮遷は答えた。
「オレは天子の賊を殺したいだけだ」

桓玄は自分が(楚の)天子だが、目の前に正対している男には、(晋の)天子に歯向かった賊だと言われた。信条の違いはね、話し合いじゃ解決しない。
平行線を辿って、喧嘩別れするしかないなあ。
「永続する晋」という幻想が、生まれつつのあるのかな。漢ほど強くなくても。もしくは、ただ桓玄の支持率が低かっただけか。きっと後者だ。

ついに馮遷は、桓玄や桓石康らの首を斬った。幼子の桓升は、江陵市で斬られた。桓玄の首は傳送され、朱雀門にかけて晒された。


玄既敗,桓謙匿於沮中。桓振逃于華容之浦,陰聚黨數千人,晨襲江陵,克之。桓謙亦聚眾而出。振既至,問玄子升所在,知升已死,欲殺德宗,謙苦禁之。於是為玄舉哀,諡為武悼皇帝。謙率群官複立德宗,振自為都督八州、鎮軍將軍、荊州刺史,謙複本職,又加江豫二州刺史。後德宗益州刺史毛璩殺桓希於漢中。桓振寇江陵,為唐興所斬。其餘親從,或當時擒獲,或奔散外境,數年之間,並敗滅之。

桓玄はすでに敗れ、桓謙は沮中に隠れた。桓振は、華容之浦に逃げた。桓振は、ひそかに残党の数千人を集めて、明け方に江陵を襲って、勝った。桓謙は兵を集めて、江陵を出た。
桓振が到ると、桓謙は桓玄の子・桓升の所在を聞いた。桓升がすでに死んだと知ると、桓振は司馬徳宗を殺してやりたいと思った。桓謙は苦労して、桓振に東晋皇帝の殺害を止めさせた。
ここにおいて、桓玄のために哀悼を挙げ、「武悼皇帝」とおくり名した。

桓玄には、諡号があったんだね。どれだけ弱くても、どれだけ政事が下手でもいいから、味方や子孫がわずかな期間でも生き残っていれば、諡号がもらえる。王莽、残念。

桓謙は、群官を率いて、ふたたび司馬德宗を皇帝に立てた。桓振は、都督八州、鎮軍將軍、荊州刺史に自らなり、桓謙はもとの官職に戻って、江豫二州刺史を加えた。
のちに益州刺史の毛璩は、桓希を漢中で殺した。桓振は江陵を寇して、唐興に斬られた。桓振の残党は、桓振に親從して、擒獲される人もいれば、外境に奔散する人もいた。
數年之間に、桓氏はみな敗れて滅亡した。

仕事の忙しい一週間でした。初めて副社長報告資料を作って、あちこちの言い分が違って、パチンコの銀球のように反射しまくったのです。最後は気が抜けました(笑)090905