2)胡族政策のない司馬炎
劉淵が、そろそろ社会に出ます。
すり寄ってくる漢人たち
姿儀魁偉,身長八尺四寸,須長三尺餘,當心有赤毫毛三根,長三尺六寸。有屯留崔懿之、襄陵公師彧等,皆善相人,及見元海,驚而相謂曰:「此人形貌非常,吾所未見也。」於是深相崇敬,推分結恩。太原王渾虛襟友之,命子濟拜焉。
劉淵の姿儀は魁偉だった。身長は八尺四寸あり、ヒゲは三尺餘あった。ヒゲの忠臣に、赤い毛が3本あり、長さは三尺六寸だった。
屯留の崔懿之と、襄陵の公師彧らは、人相を見ることができた。劉淵と会ったとき、2人とも驚いて言った。
「この人のルックスは普通ではない。こんな凄い人を、見たことがない」
人相見の2人は、劉淵を深く崇敬して、関係性を深めた。
後漢末の人物批評家も、人材発掘が当初の目的だった。仙人ではない。世俗的なんだ。
太原郡の王渾は、虚心に劉淵との友情を温めた。王渾は、子の王済に命じて、劉淵と付き合わせた。
漢人官僚からの反発
咸熙中,為任子在洛陽,文帝深待之。泰始之後,渾又屢言之于武帝。帝召與語,大悅之,謂王濟曰:「劉元海容儀機鑒,雖由餘、日磾無以加也。」濟對曰:「元海儀容機鑒,實如聖旨,然其文武才幹賢於二子遠矣。陛下若任之以東南之事,吳會不足平也。」帝稱善。孔恂、楊珧進曰:「臣觀元海之才,當今懼無其比,陛下若輕其眾,不足以成事;若假之威權,平吳之後,恐其不復北渡也。非我族類,其心必異。任之以本部,臣竊為陛下寒心。若舉天阻之固以資之,無乃不可乎!」帝默然。
咸熙中(264-265、魏末)、劉淵は任子として、洛陽にいた。司馬昭は、劉淵を深く可愛がった。
泰始(265-274)の後、王渾はしばしば司馬炎に、劉淵の話をした。司馬炎は、劉淵を召し出して、言葉を交わした。劉淵との会話に、司馬炎は大いに悦んだ。司馬炎は、王済に言った。
「劉淵は、容儀が機鑒である。由余や日磾でも、劉淵を上回るところはないだろう」
王済は、司馬炎に答えた。
「劉淵の儀容が機鑒なのは、司馬炎さまの仰るとおりです。しかし劉淵の文武の才幹は、司馬炎さまが比べた異民族の2人より、遠く勝っています。もし劉淵に、東南のことをお任せになれば、呉郡や会稽郡は、平定する必要がなくなります(孫呉は、たちまち西晋に帰順するでしょう)」
司馬炎は、王済の意見を支持した。
「劉淵は、物珍しがる対象としての、ただの助っ人外人ではありません。西晋の臣のレギュラーとして、一人前以上に役立つのです」と言った。
孔恂と楊珧は、進み出て言った。
「私たちが劉淵の才幹を見たところ、おそらく当代のナンバーワンでしょう。もし司馬炎さまが、匈奴の民族を軽く見れば、孫呉を平定しただけで、ことは済まないでしょう。もし劉淵に威権を与えれば、孫呉を平定した後、ふたたび北方に戻るに違いありません。彼は漢族ではありません。胸のうちに、必ず異心があります。劉淵に西晋の軍権を与えることについて、私たちはひそかに司馬炎さまのために、心を寒くしています。劉淵が雄飛するチャンスを作らなければ、西晋のメリットになります。分かりきったことじゃないですか」
司馬炎は、黙ってしまった。
ぼくは前者だと思う。もし劉淵が漢族でも、適当な理由をつけて、足を引っ張られただろう。このときの匈奴に、かつての強さはない。孔恂と楊珧が心を寒くすべきほど、現実的な脅威ではない。匈奴は光武帝に降伏し、曹操に5分割され、ほぼ実体がない。漢族との同化が進んでいる。
孔恂と楊珧の、ケチな出世欲と嫉妬心が、劉淵の中に、西晋に対する恨みを蓄積するんだ。なんとデメリットの大きなことか。
涼州を任せない
後秦涼覆沒,帝疇咨將帥,上党李憙曰:「陛下誠能發匈奴五部之眾,假元海一將軍之號,鼓行而西,可指期而定。」孔恂曰:「李公之言,未盡殄患之理也。」憙勃然曰:「以匈奴之勁悍,元海之曉兵,奉宣聖威,何不盡之有!」恂曰:「元海若能平涼州,斬樹機能,恐涼州方有難耳。蛟龍得雲雨,非複池中物也。」帝乃止。
のちに、秦州や涼州が、異民族によって覆沒した。司馬炎は、誰に平定を任せるべきか、意見を集めた。上党郡の李憙は、言った。
「司馬炎さまは、匈奴の5部の軍兵を、自在に動員することができます。もし劉淵に将軍号を与えて、西に進軍させれば、たちまち平定できます」
孔恂が反論した。
「いまの李憙さんの発言は、西晋にとってのデメリットを、充分に検討していないぞ」
李憙は、勃然として言った。
「匈奴は、勁悍な民族である。劉淵が率いる兵は、西晋の聖威を広めるだろう。どこが検討不足なんだ」
孔恂が答えた。
「もし劉淵が涼州を平定して、禿髪樹機能を斬っても、涼州で(劉淵が原因で)兵難が起きるだけだ。蛟龍が雲雨を得てしまえば、もう池の中に潜んでいる大人しい姿とは別物だぞ」
司馬炎は、劉淵に涼州平定を命じなかった。
孔恂に、ライバルの足を引っ張る悪意がないとしたら、よほどのペシミストなのか?けっきょく西方の叛乱は長年平定できず、難民を生じて、西晋を破壊します。劉淵に任せて、ささっと平らげたほうが良かったんじゃないか。
後王彌從洛陽東歸,元海餞彌于九曲之濱。泣謂彌曰:「王渾、李憙以鄉曲見知,每相稱達,讒間因之而進,深非吾願,適足為害。吾本無宦情,惟足下明之。恐死洛陽,永與子別。」因慷慨歔欷,縱酒長嘯,聲調亮然,坐者為之流涕。
王弥が洛陽から、故郷の山東に帰るときのこと。劉淵は、九曲之濱で王弥を見送った。劉淵は、泣きながら王弥に言った。
「王渾や李憙は、故郷が近い知己だから、私を司馬炎さまに推薦してくれる。だが、親しいからと言って、やたら推薦してもらうのは、私の本意ではない。役人になり、皇帝に取り入ろうという気持ちは、私にはない。王弥さんだけにでも、これを伝えたかった。私は洛陽で死ぬだろう。王弥さんとは、永く会えなくなるな」
劉淵は、感情が昂ぶって酒を飲み、歌った。その声は明るかった。同座した人は、切なくて涙を流した。
劉淵はなぜ泣いたのかな。劉淵の本意とは、故郷の人脈を頼らずに、実力のみで司馬炎に認められ、西晋に貢献することだろうね。しかし魏晋は、出世=人脈の世界だから、劉淵の望みどおりにいかない。だから泣いた。
劉淵の進出を拒んでいるのは、孔恂のような連中だ。孔恂が劉淵を邪魔するのは、劉淵が力不足だからではない。派閥争いをしているだけだ。劉淵の鬱屈した気持ちは、さらに募っただろう。
注意したいのは、西晋で活躍できないのが、劉淵の無念だとということ。「匈奴が西晋に服従している」からって、民族的な屈辱に苦しんでいない。
齊王攸時在九曲,比聞而馳遣視之,見元海在焉,言於帝曰:「陛下不除劉元海,臣恐並州不得久寧。」王渾進曰:「元海長者,渾為君王保明之。且大晉方表信殊俗,懷遠以德,如之何以無萌之疑殺人侍子,以示晉德不弘。」帝曰:「渾言是也。」
斉王の司馬攸が九曲にいたとき、劉淵の評判を聞いて、面会をした。司馬攸は、兄の司馬炎に言った。
「劉淵を除かなければ、并州が久しく安寧のままではないでしょう」
王渾は進み出て言った。
「劉淵は、長者です。私は、西晋の皇帝や諸王のために、劉淵を生かしておくべきだと思います。この大晋帝国は、異なる習俗を取り込み、儒教の恩徳によって、遠方の異民族を手なずけています。もし劉淵に、あらぬ疑いをかけて殺せば、大晋帝国の恩徳は広まりません」
司馬炎は、「王渾の言うとおりだ」と言った。