表紙 > 漢文和訳 > 「荀彧伝」:赤壁を撤退させ、曹操の天下統一を妨げたのは荀彧だ

03) 徐州の虐殺を、遠慮なく糾弾する

荀彧について考えを深めるチャンスに恵まれたので、
その成果を書き留めます。
 ◆赤壁を撤退させ、曹操の天下統一を妨げたのは荀彧である。
 ◆荀彧は、全土統一という目標に殉じた。漢室に殉じていない。
これを示すために、『三国志』の列伝を抄訳します。

曹操が荀彧を頼る、はじめての事件

興平元年,太祖征陶謙,任彧留事.
會張邈、陳宮以兗州反,潛迎呂布.豫州刺史郭貢帥衆數萬來至城下,或言與呂布同謀,衆甚懼.貢求見彧,彧將往. 惇等曰:「君,一州鎮也,往必危,不可.」 太祖自徐州還擊布濮陽,布東走.

興平元年(194年)曹操は陶謙を征伐した。荀彧に、留守を任せた。

徐州の虐殺は、曹操のウッカリです。ほんと曹操は、、

たまたま張邈と陳宮が、兗州で曹操に背いた。張邈と陳宮は、ひそかに呂布を迎えた。
豫州刺史の郭貢は、数万を率いて、兗州の鄄城の城下にきた。「郭貢は、呂布と通じている」と言う人がいた。兗州軍は、ひどく懼れた。郭貢は、荀彧に会いたいと言った。荀彧は行こうとした。夏侯惇が言った。
「荀彧は、一州の鎮である。荀彧が郭貢に会いに行けば、兗州が危うい。行くな」

彧曰:「貢與邈等,分非素結也,今來速,計必未定;及其未定說之,縱不為用,可使中立, 若先疑之,彼將怒而成計.」貢見彧無懼意,謂鄄城未易攻,遂引兵去. 又與程昱計,使說范、東阿,卒全三城,以待太祖. 太祖自徐州還擊布濮陽,布東走.

荀彧は、夏侯惇に言った。
「郭貢と張邈は、もともと結びついていない。いま郭貢が兗州に速く駆けつけたのは、まだ張邈との作戦が定まらない証拠だ。

郭貢の意図が分かりませんが。変事を聞いて、張邈とは同盟せず、独自に兗州を奪いに来たんだろう。まずは様子見をしつつ。

荀彧が言う。
「いま郭貢を説き伏せれば、曹操軍の味方に付けるのはムリでも、中立させることはできる。もし先に郭貢と張邈の繋がりを疑えば、郭貢は怒って、張邈と協力するだろう」
荀彧は、郭貢と会った。郭貢は、荀彧が懼れないのを見て、鄄城を攻めにくいと思った。郭貢は、兵を引いて去った。

荀彧の初めての大手柄。ここで荀彧が動揺すれば、曹操は滅びた。
曹操は袁紹の一武将に終わっただろう。荀彧は、いちど辞めた袁紹に、ふたたび仕えるハメに。イヤすぎる。

荀彧は程昱と計り、范県、東阿県を説得させた。荀彧は3城を全うして、曹操が徐州から帰るのを待った。曹操は徐州から戻り、呂布を濮陽で撃った。呂布は東に逃げた。

曹操の意見を、きつく却下する

陶謙死,太祖欲遂取徐州,還乃定布.彧曰:
昔高祖保關中,光武據河內,皆深根固本以制天下.將軍本以兗州首事.是亦將軍之關中、河內也,不可以不先定.
若舍布而東,唯鄄城、范、衛可全,其餘非己之有,是無兗州也.若徐州不定,將軍當安所歸乎?

陶謙が死んだ。曹操はさきに徐州を取り、もどって呂布を平定しようと考えた。荀彧が、曹操に反対した。

曹操は「徐州、兗州の呂布」の順を欲した。荀彧は「兗州の呂布、徐州」の順で片付けろと言います。曹操の正反対を言っている。

「むかし高祖は関中を保ち、光武帝は河内に拠りました。どちらも根拠地を固めて、天下を制しました。曹操将軍は、兗州から事業を始めました。兗州は曹操将軍にとって、関中や河内に当たる根拠地です。先に平定すべきです。
もし兗州に呂布を放置して、東の徐州に出兵したら、どうなるか。鄄城、范城、衛だけを残して、兗州の残りすべて呂布に奪われます。曹操将軍は、兗州を失います。もし徐州遠征に失敗したら、曹操将軍は、どこに帰ってくるつもりですか」

杜預がいう。「衛」とは、濮陽である。
荀彧は、過去の曹操の失敗を、ほじくり返して諌めた。強気だ。3城だけを残し、曹操の首の皮が繋がったのは、荀彧のおかげだ。荀彧ナシでは、何もできないことを念押しした。


且陶謙雖死,徐州未易亡也.彼懲往年之敗,必堅壁清野以待將軍.略之無獲,不出十日,則十萬之衆未戰而自困耳.

荀彧は、さらに言う。
「陶謙は死にましたが、徐州を攻め滅ぼすことは、易しくありません。徐州は先年の敗北に懲りて、必ず堅壁清野して、曹操将軍を迎え撃つでしょう。兵糧を現地調達できず、10日もすれば、10万の曹操軍は困窮してしまいます」

堅壁清野を却下したのは、劉璋。この話はマイナーか?


臣松之以為:云十萬之衆,雖是抑抗之言,要非寡弱之稱. 益知官渡之役,不得云兵不滿萬也.

裴松之は考える。荀彧は「10万の曹操軍」と言った。水増しした数字ではあっても、少なく見積もった数字ではないはずだ。のちに官渡の戦のとき、曹操の兵は1万未満だとされるが、つじつまが合わない。

荀彧は、兵糧を確保する難しさを言いたければ、多く言うだろう。これを指摘すれば、裴松之の指摘は覆る。
「抑抗之言」とあるが、「抗」には「もちあげる」の意味がある。


前討徐州,威罰實行.其子弟念父兄之恥,必人自為守,無降心,就能破之,尚不可有也.願將軍熟慮之.

荀彧は言った。
「さきに曹操将軍が徐州を討ったとき、威罰がしっかり行われました。

荀彧なりに曹操に遠慮した、婉曲の表現。
「威罰」とは、虐殺のことです。『曹瞞傳』が誇張して伝える。でも、死体で川が止まるとは、常套句。実態はどれほどだろう。

曹操将軍が殺した人の、子や弟は、父兄の恥を忘れません。曹操将軍に降る心はありません。もし徐州を破っても、保持することは難しいでしょう。曹操将軍には、熟慮してほしいですね」

けっこう痛いことを、正面から言いますよね。言葉の多いちくま訳だと、このロコツさには気づかなかった。


太祖乃止.布敗走,兗州遂平.

曹操は折れて、荀彧に従った。曹操は呂布を敗走させた。曹操はついに、根拠地の兗州を平定した。

力関係が、逆転してないか? 荀彧が上のようだ。


次回、曹操が荀彧に「脅迫」されて、献帝を迎えます。