5)未完成の赤壁
『平話』がオリジナルの話を展開している、赤壁を見ていきます。
『演義』の赤壁は、陳寿からかなりアレンジされていますが、その原型が見つかるかも。
諸葛亮の雑な主張
諸葛亮が、金陵(この時期は秣陵、のちに建業)に孫権を訪問した。孫権がいるのは、柴桑のはずですが・・・。
諸葛亮が口を開いた。
「曹操が130万で南下中です」
「なぜそれを知っているのか」
「私の主君、劉備さまが敗走したからです」
「ああ、なんてことだ。オレ(孫権)はあなた(諸葛亮)を3回招いたことがあったが、会えなかった。だのに、あなたは劉備の下に入っていたのか!」
なぜか孫権が片思いを告白するところから、赤壁の舌戦は始まる。
諸葛亮は、劉備からの書状を孫権に提出した。劉備曰く、
「孫氏は、漢室の功臣です。曹操が漢を滅ぼしたら、必ず呉も侵略するでしょう。いま私(劉備)は、曹操に包囲されて、身動きが取れません。だから軍師の諸葛亮を送りました。どうぞ同盟をよろしく」
孫権が読み終わった。
張昭と呉範が進み出た。
「われわれは揚州に籠もって、防戦のみすべきです。耐え切れます。劉備のため、荊州に援軍を出せば、曹操の餌食です」
張昭が畳み掛けた。
「中原で、曹操に勝てた人はいません」
諸葛亮の反論。
「あっはっは。張昭さんと呉範さんは、降伏したいのですか。荊州の劉琮は、曹操に降伏しました。土地換えをされて、殺されました。あなたは孫権さまを売り飛ばすつもりですね。蔡瑁や蒯越と同じですね」
孫権は驚いた。
「ああ、諸葛亮の言うことは正しい。張昭たちは、オレが死んでもいいと思っているのか」
孫権は、諸葛亮の色気にやられているから、何も言う前から諸葛亮に有利です。『演義』にはない設定だ。諸葛亮の舌鋒を強調するなら、むしろマイナスの印象から逆転したほうが、物語として効果的だけど。
さて、お気づきでしょうか。『平話』の諸葛亮は、ミスを犯している。『演義』で張昭は、降伏せよと言っていた。だが『平話』で張昭は、
「降伏する必要はない、得意な水戦で凌ぎきれ、どうせ勝てないから陸戦を発生させるな」
と言っています。諸葛亮のさきの反論では、張昭をやり込めたことにならない。聞き間違いをしたか、頭の中が見当違いか。
『平話』はロジックが雑だから、諸葛亮の主張も雑ですね。
3日ディベートが続いたが、結論は出ず。
急報がきた。
「曹操130万が、夏口を包囲しました。曹操から書状が来ました」
曹操の使者は、書状を持参した。
孫権は、書状を見た。
「オレ(曹操)は、呂布・公孫瓉・袁譚・張茂・孔秀を滅ぼした」
まずは脅してから、曹操の書状は本題へ。
「黄帝や帝舜のとき、従わない勢力があった。従わない勢力がいたから、黄帝や帝舜は無道の君主だろうか。いちおう解説してやると、これは反語だ。いま劉備はオレに従わないから、オレは無道の君主になるのだろうか。これも反語だ。オレは無道の君主ではない。孫権よ、服従せよ」
孫権は、汗でビッショリになった。たっぷり重ね着をしているが、外側の羽織まで汗が染みた。
ふたたび張昭と呉範。
「曹操が長江を下ることを防ぐ。それだけに専心なさい。劉備は捨て置きなさい」
2人は、3日前と同じことを言った。主張がブレていないということは、張昭の論戦での有利を意味するでしょう。諸葛亮は驚愕した。
「劉備さまは、もうおしまいだ!」
諸葛亮は、剣を抜いて段を登った。曹操の使者を切り捨てた。孫呉の人たちは、騒ぎ出した。
張昭と呉範が、
「これで諸葛亮の悪知恵が発覚しました。曹操は、孫呉が使者を殺したと思うでしょう。諸葛亮は、曹操と孫権さまの関係を裂くつもりです」
と決めつけた。
「そのとおりだ。諸葛亮を縛れ」
孫権が命じた。
諸葛亮が、抗弁した。
「孫権さまは、間違っている。曹操の書状を、もう一度読みなさい。曹操は、敵対勢力をことごとく殺したことを、自慢している。あなたも同じ運命を歩む。でも私の主君・劉備さまは、対抗勢力を滅ぼしていない」
これに魯粛の弁護も加わり、諸葛亮の捕縛は止められた。孫権は奥に引っ込み、ママに相談して、開戦を決意した。ママのお墨付きをもらってから、孫権は机を斬った。
「劉備を救う。曹操と戦わないという奴は、この机のようにする」
『平話』では、難しい論争が起こりません。
なぜなら、講談の観客がバカだから。もしくは気楽に見たいから。客を置き去りにして論争しても、プロデューサーNGが出る。諸葛亮は、舌を使わずに、剣で相手を説得した。とてもお粗末な説得方法です。舞台栄えはするが。
全体を通して気づきますが、『平話』の諸葛亮はあまり頭が良くありません。
さっきは、曹操の使者を斬っちゃった。のちに南征・北伐でも、『演義』のような天才軍師ぶりを発揮しません。
彼の武器は智謀でなく、道術だ。赤壁のみならず、蜀攻め、夷陵の後始末、南蛮攻め、魏への北伐で、いちいち風を起こします。
庶民にとっての「すごい人」とは、頭脳明晰であるより、道術が使える人だったようだ。羅貫中が苦労して、知識人が満足できるように、諸葛亮をアレンジしたようです。羅氏、お疲れ様でした。
酒飲みの周瑜
細かく用例を引くとウンザリするのでやりませんが、『平話』の周瑜は、いつも酒を呑んでばかりいます。もしくは妻の小喬とジャレ合っています。庶民にとっての敵役とは、「遊び人の色男」だ。
『平話』の赤壁は、『演義』と配役が変わっている。例えば、曹操から10万本の矢をせしめるのは、諸葛亮じゃなくて周瑜です。
矢を奪われた曹操が、
「劉備には諸葛亮がいる、孫権には周瑜がいる。オレには・・・」
と苛立ち、蒋幹(周瑜の同郷人)を抜擢します。焦っているから、小人物をつかんでしまう。『演義』より、よくできた流れだと思います。
曹操が送り込んできた蒋幹をハメるのは、『平話』では黄蓋の役目です。周瑜は、酒を呑みながら黄蓋を鞭で打って、苦肉の計をやり、そのまま朝まで寝てしまう。
黄蓋は、蔡瑁が孫呉に通じているというニセ文書を、蒋幹に握らせた。黄蓋が直接、蒋幹に現状への不満を語る。だから蒋幹から曹操へ、黄蓋の投降希望が真実味を持って報告されます。
蒋幹は史実の赤壁に登場しません。フィクショナルな蒋幹のあしらい方は、『平話』が『演義』より円滑です。
『演義』では、諸葛亮のライバル・周瑜に花を持たせるために、蒋幹の接待を周瑜にやらせた。『演義』で周瑜は、不自然に酔いつぶれて寝るが、『平話』の名残でしょう。『平話』で周瑜は、寝てたのだから。
周瑜と幕僚たちは、曹操を倒す作戦を、手のひらに書くことにした。『演義』では、周瑜と諸葛亮が2人でやる遊びだが、『平話』はみんなでやる。
周瑜は「火」と書いた。
その他大勢も、「火」と書いた。
諸葛亮だけは「風」と書いてあった。周瑜は、1人だけ着眼点に優れた諸葛亮を警戒した――。
ここでも『平話』は、『演義』を上回っていると思います。『演義』では火計が機密みたいになっているが、誰でも思い浮かぶ。それより、火を使うときに足りない要素を、諸葛亮だけが見抜いていた。いい!
周瑜は劉備を警戒して、『演義』以上に身近に劉備を置く。馬で並走したり、楼に招いて喋ったり。だが漏れなく周瑜は酒を飲んでいて、劉備を取り逃がす。流れ的に、飲まなくてもいいときまで、飲む。