表紙 > 読書録 > 「兵法三十六計」1行で分かる計略のコツ

02) 余裕をこいた勝戦の計

では計略の中身を見ていきます。

勝戦の計

◆01◆ 瞞天過海(てんをあざむいて、うみをわたる)
いつも「攻めませんよ」と示し、ある日突然に攻めろ。

人は見慣れたものには弱い、という性質を逆手に取った計略。隋が天下統一をするときの故事。南朝最後の陳皇帝(天)をだまし、海(長江)を渡って攻め入ったという話です。
陳皇帝は、
「北朝が長江を渡っても、南朝を滅ぼした前例がない」
とタカをを括っていたようです。つまり、隋の将軍が、派手な演習をくり返しても攻めてこないから油断したのではなく、初めから長江を頼みに思っていたから、不意を突かれたんだと思います。
ゆえにこの計略を真似るには、これ見よがしな擬態行動だけではダメです。小ざかしいだけで、単なるマヌケです。
「ジャンケンでいつもグーを出し、突然にチョキ!」
では、チョキを出すことに困難が伴わないから、効果は半分未満。
計略の前提として、ほぼ成功が不可能な(少なくとも相手がそう思っている)状況がないと、この計略のマネにはなりません。
ところで、
この計略により、後漢末以来400年の分裂時代を終えるのだから、感慨が深いなあ。太史慈が黄巾の包囲を突破したときも同じ作戦だが、どうにもダイナミズムに欠ける。だって、せいぜい孔融を救うため、せいぜい劉備が駆けつけるだけだ。隋の天下統一と比べるべくもない。


◆02◆ 囲魏救趙(ぎをかこんで、ちょうをすくう)
包囲を解かせたければ、包囲軍の本拠地を攻めろ。

流行の水平思考ですね。包囲を解かせたいが、包囲軍を正直に攻めると犠牲が大きい。包囲軍の本拠地を攻めれば、もはや攻城戦どころじゃなく、慌てて帰ってくる。
兵法書で有名な、斉の孫ピンの計略です。魏は趙を包囲していた。趙は斉に急援を求めた。斉は魏の本拠を攻めた。魏は慌てて帰ってきた。


◆03◆ 借刀殺人(かたなをかりて、ひとをころす)
邪魔者は、敵に片付けさせろ。

周瑜が、蔡瑁と張允を曹操に片付けさせた話。荊州の人たちは曹操に降服したが、信頼関係ができていない。離間して、水軍の指揮系統を潰してしまった、という物語です。
ちなみに、敵に刀を借りてきて、自分で殺人するのではない。これじゃあ敵にアゴで使われたことになり、もとの計略の教えと逆だ。刀を振るうという労力を借りるのです。あらゆる兵法に共通すると思うが、できるだけ手間が少ないのが上策です。
毎日の業務改善にも、通じると思う。いかに情報システムや他部署にルーチンワークをやらせ、自部署の仕事を減らすか。殺すべきは、殺すほどの憎い仇じゃなくてもさ、手間のかかる単純作業だっていいわけです (笑)


◆04◆ 以逸待労(いつをもって、ろうをまつ)
敵が疲れるのを待って、攻めろ。

隋末、唐の将軍が使った手。自軍はゆったり休み(逸)、強い敵軍が疲れる(労)を待ちなさいと。
タイミングを見極めろなんて当たり前すぎて、今さら言い立てるまでもない。戦機を得て勝利した先例を並べても、何の解説にもなりゃしない。
ぼくが教訓として引き出したいのは、自分は疲れず、相手が疲れるという状況を作れって部分です。官渡の曹操とか、五丈原の諸葛亮とかは、たしかに勝機を狙っていたに違いないが、敵よりも自分が疲れやすい状態だった。「逸」でも何でもない。落第です。
皇甫嵩が陳倉を攻めた作戦が、これに当たるそうです。


◆05◆ 趁火打劫(ひにつけこんで、おしこみをはたらく)
有利なら、一気に畳みかけろ。

みんながこの計略を「火事場泥棒」と言い換えるが、ぼくもこれ以上の日本語を知りません。
難しいのは、目の前の火事をどう捉えるかです。手放しで喜んでいいチャンスなのか、誰かのワナなのか。うーん。


◆06◆ 声東撃西(ひがしにこえして、にしをうつ)
フェイントをかけろ。

韓信が魏王豹を撃ったときの話。韓信は、黄河を渡ると見せかけた。敵が警戒すると、別の場所から渡河し、魏王を負かした。
朱儁がちぐはぐな方向へ太鼓を叩き、あざむいて黄巾の城を奪ったという話もあるそうで。
学生時代にぼくは剣道をしましたが、「メン」と言ってコテを打つ、という作戦はあまり有効ではなかった。下らなくてすみません。


以上が「勝戦の計」、すなわち自軍が有利なときに用いる計略だそうです。その割に、元になったとされる故事は、ピンチであることが多い。本当に有利ならばね、計略なんか要らないもんなあ。