表紙 > 読書録 > 「兵法三十六計」1行で分かる計略のコツ

03) 機転と瞬発力で勝つ、敵戦の計

計略の最短ダイジェスト。
次は、敵との接近状態で使う計略です。

敵戦の計

◆07◆ 無中生有(むちゅうに、ゆうをしょうず)
ワラ人形を人間に見せかけ、敵の判断を狂わせろ。

唐で、安禄山を負かした計略。ワラ人形(無)を城壁から降ろし、敵に射かけさせた。敵から、矢をせしめた。次は城壁から、本当に兵(有)を降ろした。敵はワラ人形だと思い、矢を射なかった。兵は奇襲した。
『演義』で諸葛亮がやった10万本の矢に似ていますが、違います。諸葛亮は実際に船に乗っていて、マジに射抜かれたら困るんだ。無ではない。また、矢を得ただけで満足してしまい、翌夜に本当に攻めかかるという、変幻自在の二段構えでもなかった。
赤壁のとき、諸葛亮の敵は曹操ではなく周瑜だから、こんな内向きのしょーもない自己満足な逸話になったのでしょう。


◆08◆ 暗渡陳倉(ひそかに、ちんそうにわたる)
こっそり迂回して勝て。

珍しく固有名詞の地名が入ってます。前の「無中生有」が、きわめて抽象度の高いボキャブラリで語られていたので、ギャップにビックリ。
韓信は、漢中から関中に攻めたいと思った。韓信は大騒ぎして、桟道を修復した。関中の敵は、桟道の出口に守りを固めた。だが韓信はひそかに迂回して、陳倉を攻略した。
勝戦の計「声東撃西」と何が違うんだろう。守ったところを攻めず、守らないとこを攻めるのは同じだ。計略が収録された章の違いから推測すると、、勝っているときは誤報や素振りだけで敵を惑わせる。だが対等なときは、わざわざ自分が迂回して敵を惑わせ、ってことかな。
さて、韓信と違って残念なのは、諸葛亮です。桟道を修理せよと号令したあと、桟道から攻め上がる。陳倉を攻めろと号令したあと、正直に陳倉を城攻めして、郝昭に阻まれる。つまらん男です。


◆09◆ 隔岸観火(きしをへだてて、ひをみる)
敵の自滅を見守れ。

趙が、秦の白起と范ショを対立させた故事より。三国ファンには、袁譚と袁尚の争いを、曹操が助長した故事の方が、ピンとくると思います。
ぼくが今見ている本は、マキャベリを引き、
「人は嫉妬深いから、誰かを褒めるより、けなす方が好きだ」
と、火事の原因を暴いています。
ここで疑問が出ますね。勝戦計「趁火打劫」すなわち火事場泥棒と、この計略の棲み分けはどうなるんだ。敵の家が火事になったら、トドメを刺すべきか、静観すべきか。
これもまた、収録された章の違いで解けるでしょう。勝利が確実なら、火事場泥棒をして良い。だが勝利が半々なら、慎んで見物しておけ。下手に飛び込むと、自分まで大火傷をするのです。
ただし現実世界には、絶対に勝てる局面なんか、ほとんどない。つまり火事場泥棒は辞めておけ、ってことだろうね。
三十六計の構成が見えてきた。勝戦計はフィクションで、敵戦計のリアリティを浮かび上がらせるために、わざとあり得ない奇跡的な成功を紹介しているんじゃないか?


◆10◆ 笑裏蔵刀(わらいのうらに、かたなをかくす)
謙虚にニヤついて、油断を誘え。

周代、鄭の武公が異民族を欺いた手法。
また『孫子』が言うには、
「謙虚な奴が、一方で軍備増強していたら、警戒しろ」
ぼくは宮城谷昌光さんの小説で教えられたことですが、全ての局面において大切なのは、謙虚に振る舞うことです。だから、べつに相手を出し抜くという底意がなくても、 笑いを絶やしてはいけないのです。
この計略は生き方の一面を言い表したに過ぎず、これで全部だと思うと、薄っぺらい人間になってしまう。敵を倒したいときだけ謙虚になったら、態度の変化を怪しまれるしね (笑)


◆11◆ 李代桃僵(すももが、ももにかわってたおれる)
小さな犠牲を出しても、大きく生き残れ。

春秋時代の晋で、忠臣が犠牲になって、主君を守ったという故事。しかしこれはただの結果論だよな。
この計略を用いるのが、主君の側だとしたら、忠臣を踏み台にする鼻持ちならない人物だ。
用いるのが忠臣の側だとしたら、特攻隊が玉砕する美学でしかなくて、賢いとは言えない。最小の労力で最大の効果を得るべき兵法と、矛盾する。はじめからこの計略を念頭に行動する忠臣は、じつは視界が暗いよ。
「戦果を総取りするのは、不可能だよ」
くらいの戒めだと、ぼくは受け取ります。


◆12◆ 順手牽羊(てにしたがって、ひつじをひく)
小さなチャンスも逃すな。

羊飼いが油断したチャンス(手)を活かして、ヒツジを盗むことに成功した旅人の話より。
春秋時代に呉王の後継争いがあった。政敵はサカナ料理が好きである。それを活かし、献上したサカナ料理の腹の中に短刀を隠して、暗殺に成功した。どんな小さなチャンスも見逃さなかった故事だ。
勝戦計「以逸待労」は、自らチャンスを作り出す&招き寄せる余裕があった。「順手牽羊」は、そんな余裕がないので、僅かな一瞬を見逃さず、狙い撃ちにする作戦だ。こちらの方が現実的だが、なお難しいよなあ。


敵戦の計はここまで。
乾坤一擲、イチかバチかの局面で、機転を利かせて乗り切るような計略が多かった。ぼくは瞬発力に乏しいので、なかなか使えそうにない計略ばかりでした(他の計略が使えるという意味ではないです)