01) 三国志に通じる普遍性?
ナツメ社の図解雑学シリーズです。
本の企画の性質上『戦争論』につき、それほど詳しいことは書いてないだろうが、だいたいの要旨もどきは分かるはず。
本では、クラウゼヴィッツが経験した西洋の戦いが例に使われているのだが(当たり前です)三国志で当てはめたら何が言えるかなあ?という実験です。
序章「戦争論」を読み解くカギ
クラウゼヴィッツは、戦争を2つに区分した。戦争手段を準備する行動と、準備された戦争手段を使用する活動だ。前者は、防衛力の建設と維持(兵器の研究開発を含む)、兵士の徴募や訓練、後方支援(兵站=ロジスティクス)などの活動。後者は、戦略や戦術。
クラウゼヴィッツは後者で独自の理論を展開した。
戦争理論には2つの型がある。
ジョミニ『戦争術概論』は「どうやって勝つか」を説明した。戦争には不変の勝利する法則があると考えた。政治や社会等の要因を、戦争から切り離した。アメリカの南北戦争で実践された。
クラウゼヴィッツ『戦争論』は「戦争とは何か」を説明した。戦争を、政治や社会も含めて考察した。現代でも使い回しが聞くが、その反面で難解になった。
クラウゼヴィッツは現代に通用するとして、図解雑学の本では最新の国際情勢に当てはめている。普遍性があれば、未来だけでなく、過去にも使い回せるはず。つまりクラウゼヴィッツは、『三国志』を読むのにも役立つはず!
戦略と戦術の区別。2つは全く異なる。
戦略とは、戦争を全体的・長期的な視点から、計画・準備・実行する方法。戦術は、個々の戦闘を実行する方法で、軍隊を使用した戦闘。
「戦略の失敗を戦術で補うことが出来ない」
という格言は、戦略と戦術の違いを端的に表す。
だが三国ファンは、逆のベクトルでミスを犯す可能性がある (笑) クラウゼヴィッツに照らすと「戦略」とは、献帝奉戴とか天下三分とか江南割拠とか、大方針中の大方針だけを指すのでなく、もう少し戦闘に近い話を指しても良さそうだ。
19世紀末に国家戦略の概念が誕生した。第一次世界大戦から「国家総力戦」の概念が登場した。核兵器により、戦争を抑止する概念が誕生した。現代の戦略とは、国家目標を達成するために、国家の全資源を調整することである。
戦争の本質は闘争である。古代の殴り合いが、武具や兵器の発達により、見た目を変えてきたが、本質は変らない。
「なぜ曹操じゃなくて劉備なのか」
と聞いたら、結局は個人的な好き嫌いに落ち着いていくはず。つまり、ただ我欲を突き通したくて闘争しているだけ、というのは三国も同じ。
あり得ない「絶対的戦争」
『戦争論』は未完である。
はじめクラウゼヴィッツはナポレオンの国民戦争を見て「絶対的戦争」を強調した。敵を完全に打倒する戦争のことだ。殲滅戦思想を持ったドイツ軍人に支持された。
だがクラウゼヴィッツは途中で「現実の戦争」について語ろうと、方向転換した。限定的な目的を達成するための戦争だ。敵を全滅させず、領土の一部を占領するだけでもいい。中途半端に武装勢力が対峙するだけでもいい。戦争は政治の一部だと覚書した。
クラウゼヴィッツは「絶対的戦争」から「現実の戦争」に著作の説明対象を書き換えたかったが、コレラで死んだ。ゆえにクラウゼヴィッツの真意は誤解されやすい。
同時代のヘーゲルは、弁証法を発明した。ある考えと、それとは反対の考えを否定対立させ、統合された概念を導き出す方法である。クラウゼヴィッツは、絶対的戦争と現実の戦争を、弁証法によって適用した。
すでに文中に「絶対的戦争」の話があったから、それを打ち消しながら書いたら、弁証法くさくなっただけだと思う (笑)
クラウゼヴィッツが最も有名なのが、
「戦争とは、他の手段をもってする政策の継続であり、政治的目的を達成するための手段にすぎない」
だ。戦争は政治の一部分でしかない。人は戦争に目を奪われがちであるが、戦争の勝利そのものを重視してはいけない。戦争の目的を忘れると、戦争の規模が際限なく拡大するから危険である。
戦争を政治の合理的な統制の下に置かねばならない。戦争を、軍事的な判断だけに任せるのは危険である。これは文民統制の原点となる考え方である。
もっとも殲滅戦が起きても良さそうな、蜀呉が滅びた戦いだって、スマートな終結でした。
五胡や南北朝時代に下ると、クラウゼヴィッツが禁じた軍人による統制が行なわれる。何が起きたかと言えば、血で血を洗う泥沼な闘争。読んでもちっとも面白くないのです。名士による統制は、人民を幸せにし、後世のファンを楽しくします。
次から『戦争論』の本文に入るようです。