表紙 > 読書録 > 川村康之『クラウゼヴィッツの戦争論』と三国志

02) 呂布が行なう架空の戦争

現代の国際社会を理解するにも役立つという、クラウゼヴィッツ『戦争論』です。そこまで普遍性が高いなら、三国志を理解するにも役立ってもらおう、というのが今回の文章です。

第1章 戦争とはなにか

戦争とは、個人の決闘が拡大したものだ。
自らの意志を強要するという目的と、敵を打倒するという目標と、暴力という手段は、決闘も戦争も同じである。
戦争は「相手にわが意志を強要するために、力を行使すること」と定義できる。
戦争の自己目的化が起きると、ただの目標に過ぎなかった敵の打倒が、目的に転化する。危険である。

劉備が夷陵に出兵した目的は、諸説あり何とも言えません。荊州奪還とか、関羽の報復とか。目的は何にせよ、1年にわたる滞陣でずっと目的を見失わずにいられたか疑問です。やがて荊州に布陣していることが目的化していたりして。
劉備たちは陸にいた。陸遜が木柵に火をつけたからって、何が困るものか。火計はキッカケで、本当の敗因は、戦さの目的を見失っていたからじゃないのか?といま思いました。
脱線しすぎました。クラウゼヴィッツが戒めたのは、滞陣のダレではなくて、殺戮行為に魅了されることです。

殺戮しつくさない理由

戦争には3つの相互作用がある。
1つに暴力の応酬。エスカレートして、極限の暴力を行使する。
2つに恐怖の増幅。戦争における軍事目標は、敵を無力化することだ。相手を無力化したいのだが、同時に自分が相手に無力化されることを恐れる。恐れるため、暴力の行使が極限に向かう。
第3に力の増大。敵よりも優勢になろうとして、努力して強くなろうとする。やはり競合は極限にまで行く。
3つの相互作用の結果、敵を完全に打倒しようという、絶対的戦争が起きるはずだ。

上のように絶対的戦争が成立するには、3つの条件が必要である。
1つ、戦争が全く孤立した行為として勃発するとき。それ以前の国家の活動と、何の関係もない場合。
2つ、戦争がただ1回の決戦あるいは同時に行なわれる複数の決戦から構成される場合。
3つ、戦後の政治状況の見通しが、戦争に影響を及ぼさない場合。

テストで正誤問題を解くときはね、全肯定や全否定を見つけることがコツです。大抵は「誤」なのです。この3つの条件は「誤」の臭いがする。

この3つの条件は、現実世界では全て否定される。奇襲でさえ、それ以前に政治的な緊張がないと起こらないのであり、前後関係を無視して行なわれるのではない。

曹操と孫権の間に、まったく係わりがなければ、ある日突然に思いついたように、張遼が騎馬で突進することはない。当たり前だな (笑)
しかし、例外がある。
戦闘マシンとして描かれるときの呂布は、この3つの条件を実現して、絶対的戦争をしているように見えなくもない。外交の脈絡を無視して、いきなり攻めてくる。だから読者に恐怖を与えるのだ。

3つの条件はあり得ないのだから、絶対的戦争は起こらない。
敵の完全な打倒ではなく、より小さな目的(領土の支配、威嚇など)が追及される。力の極限行使は妨げられる。

「絶対的戦争」が起こるための3つの条件に、順に反論する。
1つ、戦争は双方のこれまでの国家活動に関係する。状況は徐々に緊張に向かう。だから力の極限行使にまでエスカレートしない。
2つ、現実の戦争は長い期間広大な空間における多数の戦闘によって遂行される。1回の戦いに、持てる力の全てを投入すると、交戦している双方に危険が伴う。力の極限行使のブレーキとなる。

官渡の戦いに人気がないのは、このせいかなと思う。
つまり曹操が袁氏を滅ぼす戦いは、10年に渡り、河北をたっぷり使って継続された。官渡でサッサと結果が出ないから、ファンの情熱が削がれる。袁紹が戦死するでもないし。しかりリアルはこちらだ。

3つ、交戦する双方は、政治の見通しに配慮して行動する。これが、暴力を極限まで使うことにブレーキをかけている。

今は敵国民でも、占領したら自国民となる。新しい領主の人柄は、じっくり観察されているのです。だから戦勝後にむやみと殺戮&略奪した群雄は、たちまち衰退するのです。
呂蒙は荊州を接収しつつ、敵軍の家族を労わり、カサすら領民から盗むことを禁じた。荊州は60年間、呉に属した。


戦争では、力をどこまで使ってよいか判断することが重要だ。現実の戦争では「確からしさ」に基づいて判断される。費用対効果やリスクの観点から、敵の行動を見積もり、どこまで力を使うべきか決める。
一般に政治的目的が控えめなら、争いは控えめである。政治的目的が巨大なら、戦争は激化する。

曹操は、このギャップを娯楽にした人です。
ひどく苦労して鄴城を攻めたのに「曹丕が甄氏を娶るために、戦さをしたようなものだ」と言う。大勢力で南征したくせに「荊州を手に入れたことは嬉しくないが、蒯越を得られたのは嬉しい」と言う。
小さな政治的目的のために、大きなコストで戦争したというギャップが、曹操一流のジョークになっているのです。

軍事行動を休止する理由

軍事行動はしばしば休止する。 絶対的戦争なら、相手が打倒されるまで継続されるはずだ。理論上は、有利な側が相手に回復する余裕を与えずに、最後まで畳み掛けるのがベストなはずである。

「三国鼎立とは、大いなる休戦である」
全土統一が三国時代の人にとって、あるべき姿だと描かれているなら、こう言えるでしょう。大陸に複数の国があることが共通理解になっているヨーロッパでは、この限りにあらず。
有利な側が休戦する理由は、魏に求めればイメージしやすいはず。全力で衝突すれば、曹丕はたちまち呉蜀を平定したはず。。

なぜ休止されるか。クラウゼヴィッツ曰く、まず膠着状態が考えられるが、他にも、
 ◆目的達成のための講和(一時的休戦)
 ◆行動するために有利な時間を待つ
がある。
前者は、一地方でも占領して、有利な状況に留める狙いである。

小さな例では、劉備と孫権が荊州を分割した場面が当てはまる。単刀会で重大ヒヤリが発生したが、戦闘はしなかった。双方が曹操を睨み、それなりに自国が有利だなと思われる国境で妥協したのです。

後者は、現状が不利でも決着を先延ばしにして、反撃の準備をしている時間である。

司馬懿が五丈原で休戦したのは、諸葛亮が死ぬのを待ったから。
もう1つ。本心かウソか分からないが、西晋で呉を滅ぼすべきかという議論をしたとき、
「孫皓は暴君です。孫皓が皇帝のうちに滅ぼすべきだ。孫皓の次に英主が立ってしまったら、厄介だ」
という議論がありました。休止でなく開戦の話だが、発想は同じだ。


クラウゼヴィッツ曰く、攻撃には防御の3倍以上の兵力が必要だ。

『孫子』も同じ話をしている。城攻めには10倍の兵が必要だとかね。

たとえ少ない兵力しかなくても、防御をして情勢が変わるのを待つのは有効だ。片方が防御に回れば、戦争が活発でなくなり、休戦が起きることがある。