07) 防御は攻撃より強い
クラウゼヴィッツ『戦争論』第4編より後です。
戦術について。引き続き面白そうです。
防御は強い
攻撃は、能動的だが弱い。防御は、受動的だが強い。
だが絶対的な防御には意味がない。防御の中には、攻撃的な要素を含まねばならない。敵が攻めあぐねたら、反撃に転じねばならない。
陸遜は夷陵の戦いのとき、ただ守っただけに見えたから、諸将から不満が噴き出した。ちゃんと1年を焦らしてから、攻撃に転じた。
ぼくが見ている図解雑学の本では、木柵で守りつつも鉄砲を使った長篠の戦いの例が載っているのだが、ここの例は夷陵でしょ!
防御が強いのは、資源を使う必要がないからだ。攻撃側がムダに過ごした時間は、全て防御側に有利となる。攻撃側の誤った判断、恐怖心、怠慢などは、防御側を有利とする。
防御するときは、有利な地形を選べるから有利である。
追い詰められたから籠城した…は誤った考えです。
天下統一が妨げられるわけだ。
自国内に自発的に後退することは、防御側が使える最終手段である。攻撃側は、前進するだけで戦力を消耗する。防御側は、逆転を狙える。
ゲリラの待ち伏せは、後方の小部隊や、補給施設の攻撃に使うべきだ。敵の主力にぶつけてはいけない。
防御の勝利条件は、敵を追い返すことだ。
脱線するが、ディベートでも同じことが言える。「彼は犯罪者だ」と証明したい側は、積極的に証拠を提示する必要がある。だが「彼は犯罪者ではない」と守る側は、特に何もしなくていい。原告に「彼が犯罪者ではない証拠を出せ」と言われても、被告が付き合う義務がない。「なぜその証拠を出す必要がありますか。ニュートラルな現状から、認識を特殊な状態に変えたいのはあなた方でしょう」と言い返せば充分だ。
勝利の限界点
攻撃には、防御の要素を含む。
兵站を維持すること、部隊を入れ替えること。また攻めあぐねたら、防御に転じなければいけない。
諸葛亮が死ぬと、防御に転じて撤退した。まさにクラウゼヴィッツが言ったとおりの行動をしてます。
攻撃には限界点がある。攻め入るほどに補給線が長くなり、攻防や優劣が逆転する地点である。攻撃側は限界点を見極めて、講和を結ばなければならない。
重点の攻撃
戦争をするならば、敵の重点を攻撃すべきだ。
1.精鋭と名高い軍隊
2.政情が不安定な国家の首都
3.カリスマ性のある指導者や世論
4.強大な同盟国
後漢末ならば、董卓や袁紹などのカリスマを倒せば良かった。世代が下って、国の重心が移行したと言えそうです。
本はこれ以降、クラウゼヴィッツその人や時代背景を解説し始めるのだが、ぼくの関心ではないのでここまでとします。
文民統制の実現のために、内閣と軍人がいかに関わるべきか?とかね、クラウゼヴィッツ論では重要なポイントのようですが、三国にはあまり関係ありません。
おわりに
クラウゼヴィッツがもっとも強調したかった「現実の戦争」の好例が、三国鼎立です。だから、
「クラウゼヴィッツを知ることで、三国志を知る」
は、達成できるんじゃないかと思います。
クラウゼヴィッツ曰く、戦争は極端なまでにエスカレートしないし、攻撃より防御が有利なんだと。
この説明を貫徹・実現させると、ヨーロッパのように1つの大陸に多数の国が割拠することになる。例えばナポレオンは圧倒的に強かったが、他の国を根絶やしにして、ヨーロッパ帝国を作れなかった。クラウゼヴィッツより時代が下るが、ナチスのドイツがいかに強くても、やはり大陸は一色に染まらない。
しかし中国史は、ヨーロッパよりも広い領域を、高頻度で長期間、統一支配してきた。クラウゼヴィッツの言うように「現実の戦争」を、防御側が有利に戦うとしたら、中国史を説明できない。クラウゼヴィッツと矛盾した史実があることになる。
なぜか? ここを掘ると、統一王朝を正統化する、諸々の思想体系や領域意識があるのですね。ぼくが興味を持っているところです。
本当にクラウゼヴィッツを知りたいのならば、図解雑学じゃなくて、せめて日本語訳に目を通すべきなんだろうけどね。まあ、機会があればそのうち。091125