表紙 > 読書録 > 川村康之『クラウゼヴィッツの戦争論』と三国志

06) 戦略の5要素と馬謖

クラウゼヴィッツ『戦争論』第3編より。
戦略について。面白そうです。

戦略とはなにか

戦略は、戦争に方針や目標を与えるものだ。物質量や兵数を比較するだけでは足りない。戦略には5つの要素がある。
 1.精神(意志力など、習得できない力)
 2.物理(戦力量、編成、兵器の比率)
 3.数学(行動の計算)
 4.地理(制高点、産地、河川、森林、道路などの地形)
 5.統計(物資の補給などの兵站)

用語について。4.の制高点とは、良好な視界を与えて、火力で周辺地域を支配できる地点のことを言うらしい。
三国時代に火力はないのだが、馬謖が勘違いした「ここから騎馬で駆け下れば、勢いが加わって強いに違いない」に通じるのでしょう。
『真・三國無双4』で、黄忠が定軍山を占領して「絶景かな」と言ってから、夏侯淵に向けて矢を射降ろした。制高点の表現だったのだね。

精神には、3つの主要な強さがある。
 1.将軍の才能(知識、能力、意志、知性、実行力、機転)
 2.軍の武徳(服従、秩序、規律などの統制、私心の除去)
 3.国民精神(一人ひとりの愛国心と自覚)

儒教用語のバーゲンセールである三国志で「武徳」という言葉を見たことはないよなあ。何の訳語なんだろう?

勝つために必要なこと

戦争に勝つためには、戦力が優越していなければならない。兵数が上回っていることだ。だが絶対の優越はない。軍人は、政府から与えられた兵数を使って、相対的な優越を作り出さなければならない。

孫呉の苦しみを代弁するなら、もう1つ。土地の生産力や人口が許す兵数を使って、相対的な優越を作り出さなければならない。


奇襲や詭計が、戦力の優越をひっくり返すことはない。

えええっ!そんな面白くないことを…

奇襲をするには、秘密を守り、迅速に動き、適切に狙うことが必要だ。だがこれらは通常の攻撃でも言えることで、何ら特別ではない。
また詭計を使い、真の行動や目的を隠しても、長期にわたって相手を騙し続けるために、余計な戦力を投入し続けなければ意味がない。詭計を行なうべきではない。

三国志のうち最も派手に、クラウゼヴィッツの言うリスクを味わったのが、漢室を復興するという劉備の方針でしょう。
本音は自前の王朝を確立したいが、詭計として、漢室を助けると言った。そのせいで、諸葛亮の北伐に代表されるムリをした。北伐を辞めれば、自然崩壊するしかない。引っ込みがつかなくなった。

空間と時間

戦力は集中すべきだ。戦力の居場所を分散させると、各個撃破される。攻撃のタイミングを分散させると、弱くなる。1ヶ所に集めて、一斉に攻撃するべきだ。

合戦シーンでの定番「天然の要害のせいで、大軍の利点が活かせない」とは、このことだ。小が大を破るから痛快で、よく取り上げられる。


予備軍には2つの役割がある。戦力の補充のためと、予期せぬ出来事への対応のためだ。だが予備軍は、決戦に参加できないため、ムダに終わる可能性がある。予備軍とは、戦力の集中とは矛盾する考え方なので、難しい。
クラウゼヴィッツ曰く、戦力の集中が優先される。
「決戦のあとに残っている予備軍は、不合理以外の何ものでもない」

この不合理な予備軍を割かざるを得ないのが、三国鼎立の面白さです。諸葛亮は全力で北伐しつつも、呉に備えなければならない。

戦闘に参加しない「遊兵」はムダである。もう決戦が始まっているのに、まだ行進しているなど、不経済なことは辞めるべきだ。

次は、攻撃と防御について。すなわち戦術論に移るようです。
『戦争論』では、第4編から7編が当たります。