表紙 > 読書録 > 川村康之『クラウゼヴィッツの戦争論』と三国志

03) 三国鼎立とは、休戦・講和だ

極限まで殺しあうことはない。
クラウゼヴィッツの要旨はこれです。
戦争が止まる要因についての話が続きます。

戦争は賭けである

戦争における情報は不確実である。将軍は味方周辺しか正確に把握できず、敵情は不確実である。軍隊は誤って、進んだり止まったりする。情報不足もまた、軍事が停止する原因である。

北方『三国志』では、平時には諜報は役に立つけれども、開戦してしまうと諜報が役に立たないと書いてあった。
いまいち分からなかった。斥候という仕事だってあるのに。だがクラウゼヴィッツの言うように、判断を誤るリスクを残すという点では、確かに戦時に将軍が集めるデータは完璧ではない。

戦争は偶然に支配される。戦争は賭けである。偶然の運不運が付きまとうから、精神的な勇気が必要である。
人間の知性は、理論のような明解さを求める。だが戦争では、勇気や激情により、冒険と危険に身を投じることがある。人間の知性や感情は矛盾を含むので、戦争は予想しにくい。

三国志だって、予想できないほど勢力地図が動くのは、つねに戦争です。じんわり国力を蓄えた弱小君主が、物語にハイライトを添えることなく、気づくと敵大国を凌駕していたなんてことはあり得ない。
つまり逆転したかったら、敗北のリスクを覚悟して、戦争を仕掛けろってことになりますね。攻めるには守りの3倍の兵力が要るとクラウゼヴィッツは言ったが、逆転のチャンスを作るのは戦争しかない。
これが、民政家の諸葛亮が北伐をした理由かな。

戦争は政治の一部

戦争とは、政治的行為である。ひとたび開戦すると、政治を押しのけて戦争固有の法則のみに従うように思われやすいが、それは誤りである。政治が軍事行動をコントロールしなければならない。

費禕が姜維に1万以上の兵を与えなかったのは、これである。
諸葛亮が丞相のときは、北伐が政治方針だった。だから兵を割いた。費禕が執政のときは、北伐しない政治方針だった。だから兵を割かなかった。ともに政治方針に従った結果の戦争です。

戦争は、政治的目的を第一に考えて行なわなければいけない。戦争は、政治の動機や状況によって変化する。
戦争に全てを求めてはいけない。

魏にとって、呉蜀をいつ滅ぼすかは、魏内の政治に左右されるテーマです。戦争固有のルールのみに左右されると思っている『演義』ファンは、いまいち感情移入ができないでしょう。政治の要素が濃くなる三国時代後半は『演義』は扱いが軽くなるのです。牽制し合って容易に開戦できないのが、鼎立の本当の醍醐味なのにね。
平蜀は司馬昭が晋王になる材料、平呉は司馬炎が晋帝として絶対の権力を持つための材料にされました。

戦争は三位一体

戦争には3つの要素があり、3種類の人たちに対応する。
 1)憎悪や敵意をともなう暴力=国民
 2)偶然性による賭けの要素=将軍と軍隊
 3)政策への従属性=政府
国民の世論に後押しされて、軍人が勇気や才能を発揮し、政府が達成すべき目的を設定する。とりわけ国民の広範な支持が大切で、世論に叛かれると戦争を成功させることができない。

三国志の世界では、3つの要素の全てが名士層に帰属しているように見えなくもない。渡邉義浩氏の本は面白い。
世論を形成するのは名士たちの全国に張り巡らされた人脈だ。実際に軍を率いるのも、政策を立案するのも、「相と将」を兼務する名士である。たまに専門職の軍人がいるが、その上には名士がいる。
1つ目の要素につき、なぜ名士たちの世論が三国鼎立を出現させたかに興味がある。後漢では実現できなかった、各自なりに描く正義に準じたのだろうが。諸葛瑾曰く、
「私は孫権さまを裏切らないのと同様に、弟の諸葛亮は劉備を裏切らないでしょう」
は名言です。
ところで名士たちが絶対に有利な魏に行かず、呉蜀に名士がバラけたのはなぜだろう? 曹操の強烈なキャラクターを好きか嫌いか、という話だけで片付くとは思えない。だったら曹操の死後に合流すれば良いから。
大きな理由の1つは、魏が、腐った後漢の組織を継いだからか? 今思いついた話なので、これに当てはまる人物を探して考察してみたいところ。


戦争では敵を撃滅し、抵抗を辞めさせなければならない。撃滅の対象とするのは、軍事力、国土、敵の意志である。
戦争を終結させるには、敵の意志を挫くことがもっとも大切だ。敵に軍事力や国土が少しでも残っていれば、再び軍備を整える可能性があるから。とは言え、戦争が完全に終結することはあり得ない。問題を解決するには、政治の全体が必要だ。

講和の条件

戦争の当事者は、敵の完全な撃滅を求めると、味方の犠牲を増やす。敵が前途を悲観して、講和したくなる形勢に持っていけば充分である。講和のメリットが、戦力の消耗を上回れば、講和は成立する。

「隴を得て蜀を望む」に戒められた曹操は、これだ。
劉備は曹操の蜀攻めに抵抗した。曹操は「鶏肋」と言って、漢中を放棄した。なぜ曹操が撤退したか。上の諺にあるように、人間の際限ない欲望に懲りたのだね。だがクラウゼヴィッツ風に言えば、
「蜀攻めのメリットと、戦力が消耗するデメリットを比べたとき、後者が大きいと判断した」
となるでしょう。講和条約など結ばれていないが、撤退して割拠を許すことが、戦争の休止と同意だ。交通手段の発達した近代ヨーロッパにはない原因だが、地理的な条件もまた、三国が講和する条件の1つ。

防御による講和もある。
敵に予想外の犠牲を強要して、政治的目的を放棄させるのだ。七年戦争でプロイセンは、7年間もシレジアを守り続けて、オーストリアの政治的目的を退けた。

孫子は「城攻めをやるな」と言っている。クラウゼヴィッツが言う、防御による講和に持ち込まれやすいからでしょう。城を攻めると、犠牲がたくさん出る。だから政治的目的を保つのが難しい。
『ぼっちゃん』という小説が面白かった。諸葛亮から陳倉城を守る郝昭が主人公だ。諸葛亮の政治的目的を棄てさせる戦いでした。ただの籠城小説だと思いきや、クラウゼヴィッツに適っていた (笑)