03) 黄巾より、劉表を攻めやすい
前回、孫子は数字にうるさい兵法家だと分かりました。
3章、勢篇
孫子の「勢」とは、集中力によって、組織本来の力量を発揮すること。
軍隊の組織とは、助け合いながら、相互に監視する、10人や5人の小集団を、上下に組み合わせたものである。
敵軍の弱点を、自分のもっとも充実した勢力で攻撃する。
正面からぶつかれば、敵は全力で対抗する。側面や背後への注意が行かなくなるので、奇襲するのだ。
組織の集中力は、瞬発力で効果が倍加する。
諸葛亮が、曹操の注釈できていないはずはない。単なる「戦勝」とは別の意図を北伐に想定しないと、辻褄が合わない。
「臨機応変が苦手で」という陳寿の言葉を信じても、諸葛亮は下手すぎるのだ。1回や2回じゃないし。
絶好のチャンスは、きわめて短い瞬間だ。外したら空振りだ。
孫子は、整った指揮を教えている。だが白兵戦が始まれば、わざと旌旗をメチャメチャに振り回し、敵軍の判断を混乱させる。
孫子の言うように命令系統が完成された軍隊なら、芝居をさせることができる。外見は混乱を装っても、じつは指示どおりの動きである。
敵を利益で誘導する。敵の不注意、背伸びした手足、指導者の独断癖が狙いどころである。
将軍は、一介の武人である以上に、組織を動かす責任がある。1人や2人の勇猛な個人の技に頼ってはいけない。総合的な組織力を引き出せる人を、将軍にすべきだ。
話は変わりまして。一騎打ちの多い『演義』の虚構を暴いた文章を、どこかで読んだことがあります。
「一騎打ちで勝敗が決まるなら、軍隊は必要ない」
まったくそのとおり。『演義』の名場面で、声援を送る役をしている人たちは、なぜ高いコストを払って戦場に出張ってきてるんだ (笑)
個人の技を見せびらかしたい武人は、作戦上の撤退を拒否して、指揮の妨げになることがある。
4章、謀攻篇
体を動かす前に、頭を働かせよ。
敵が反撃する準備が整う前に、首都を包囲して孤立させ、降服させるのが最上の策である。
『司馬法』によると、1軍は12500人である。
それより、曹操がわざわざ注釈を付けたほど、1軍=12500人という定義が、すでに後漢でマイナーだったことに驚き。
500人=1旅団。1校尉は100人を指揮する。
100人以下、例えば5人の小隊でも、捕虜にするのが上策である。殺戮は避けるに越したことがない。
当時の将軍たちも同じように、「5人の小隊ね、誤差の範囲だ、殺せ」と思ってしまいがちだったのでしょう。家族は大事だが、兵は捨石だと。
でなければ、曹操はこんな注釈を付けない。
山ネコの集まりのように無秩序な黄巾賊など、戦ってもキリがない。荊州の劉表のように、安定した組織を持っていて、下手に謀略に手を出している人は、かえって料理がしやすい。
孫子が「敵国の謀略を阻止し、自国の謀略で勝て」と言っている部分への注釈です。これを書いておいて、曹操が劉表に謀略で負けていたら、面白かったのにな (笑)
巨大な櫓楼は、攻撃にも防御にも有利だ。
現代では、巨大なハンマーを吊り下げた四輪車を、突撃に使う。分厚い城門を突き破り、特殊部隊を城内に送り込む。
大型兵器は、分解して運び、戦場で組み立てるようにする。
また大エンは、土を丘のように盛り上げ、前方に崩して進む攻め方だ。最終的に、城壁まで土の丘を接着させ、城内に攻め込むのだ。
将軍が攻城兵器の完成を待てず、無防備に城壁に立ち向かうのは、実に愚かである。
わざわざ孫子が戒め、曹操がほぼ同じ意味の注釈をつけているってことは、待ちきれない将軍が多かったってことだね。
命がけで、功績をやりとりする戦場に立てば、誰でも狂った指示を出すかも。責められません。
他国を滅亡させるのは、戦争ではなく、政権である。政権が失敗さえすれば、わざわざ悲惨な戦争を長期化させる必要はない。
次回、曹操の注釈でもっとも有名な部分が登場します。お楽しみに。