表紙 > 読書録 > 中島悟史『曹操注解 孫子の兵法』より、曹操の注釈を抜粋

04) 勇猛さは、将軍として恥だ

お待たせしました。呂布の話がでてきます。

4章、謀攻篇のつづき

孫子は「兵力差が10倍でないと、包囲戦は勝てない」と言った。だが、必ずしもそうではない。もし将軍の資質と、兵器の性能が優位ならば、10倍も必要ない。
私は、たった2倍の兵力で、下邳城であの呂布を生け捕りにした。

ふたたび出ました、固有名詞!
孫子の言うように、10倍の戦力を動員できることなんて、現実にはあり得なかったんだろう。「差分は自分の資質で補え」という曹操から部下への諭しであり、「2倍以上の軍があれば、包囲戦の失敗は許さない」という脅しであり。


孫子は「兵力差5倍で、包囲殲滅できる」と言った。
具体的な攻め方を示す。5分の3は正攻法、5分の2は退路をで殲滅する。

きっと曹操の部将は、赤いマーカーを引いたはずだ。


気まぐれな君主は、兵法も事情も関係なく、浅知恵の人を用いて、軍隊を好き勝手にふりまわすのだ。孫子の言う「マリオネットみたいな軍隊」である。

戦時の指揮は、平時の官僚組織とは違う。平時のように、礼譲や儀式、書類や全体のコンセンサスにこだわっていては、軍隊を動かせない。

曹操から諸葛亮へのあてつけに聞こえるから不思議。前後関係から、そんなことはあり得ないが。
龐統は劉備に「曹操の逆を行け」と言った。法家みたいな手法を戒めた。まあまあ当たって、独立勢力を築けた。
だが諸葛亮は、曹操の法家のベースだけは継承したくせに、部分的に「曹操の逆」をやろうとして、ことごとく長所を殺したように見える。


孫子は、「無為無策で油断した敵軍を、巧みな策謀でひっかけて、待ち伏せする。これが勝ちのパターンである」と言った。敵に判断の隙を与えない。これは私のやり方である。

曹操が、ものすごく親しみやすく顔を出してくれました (笑)

5章、形篇

「形」とは、戦力や部隊のフォーメイションのことだ。敵と味方で、呼応し合って変化する。敵軍の反応を、思うがままに操ってこそ、勝てるのだ。

孫子は、自軍の位置を隠せと言った。
街道から外れた山川丘陵で、あまり人が住まい土地ならば、敵軍に察知されない。動くなら、深夜や雨の中など、人が出歩かないときが良い。

中国は広いからなあ、、


将軍であるにも関わらず、敵軍に斬り込むから(役割と行動のギャップにより、悪い意味で)有名になるのだ。その将軍が殺されたら、その軍はどうしようもなくなるのに。
『六韜』も言っている。
「白刃を振りかざす目立ちたがり屋は、将軍の器ではない」

つまり「武勇で有名になった将軍は、自分の仕事を弁えておらず、恥ずかしい男だ」と曹操は言っているのでしょう。
関羽と張飛が「万人に敵す」と怖れられたのは、1匹の「兵子」としてだ。「武名のある将軍」に胸を躍らせるのは、『演義』の呪いだ。

目立とうとした人が、世間で有名になったからと言って、中身がない。無意味である。

張飛が当陽で曹操を退けた雷鳴をもってしても、劉巴に喋ってもらえなかった。
この注釈にも見えるように、曹操の時代は、徹底した「文尊武卑」です。これはぼくの造語です (笑)


楽勝するコツは、きちんとある。勝てる相手と戦い、勝てない相手と戦わないことだ。勝てない相手は、相手を疲弊させ、分散させる。

この物分りのよさが、曹操の迅速な天下統一を妨げたと思う。後漢末から三国時代に移行するのは、曹操のせいである。
「天下は唯一絶対の漢王朝が、永遠に支配すべきだ」という400年のパラダイムを、曹操は『孫子』に習った計算高さのせいで崩した。
ただ「敵の防備が整う前に叩く」も『孫子』の教えです。劉備と孫権に王や皇帝を名乗らせて、国家の体裁を整えさせてしまった曹操や曹丕は、大失敗です。タイミングを逃してる。


「敵が出兵する前に、謀略や外交で、未然に敵国を屈服させる」が、孫子の説くベストだ。この功績は極秘とされ、世間の人は知らない。世間で評判の軍師の手柄など、枝葉にすぎない。

まるで、荀攸の列伝を先取りしているような文。
三国ファンに「荀攸は何をした人?」と聞いても、芳しい答えは返ってこないでしょう。列伝曰く「荀攸のアイディア12個は秘密で、鍾繇だけが知っていた。だが鍾繇が死んだので、ついに分からずじまい」と。
参謀は無名であれ。なるほど!

6章、行軍篇

兵士に休息を与えず、夜中も大声を出せと命じる将軍は、緊急事態への用意と決断力がない。
わざとらしいテクニックに頼る指導者は、志やカリスマがない。自信喪失が顔に出てしまうと、親しい者からみ見捨てられる。
最初は横暴に振る舞っても、ひとたび不安になると、目下に媚を売る指導者がいる。信念や誠実がないので、首尾一貫しないのだ。

似た言葉ですが、それぞれ面白いと思ったので、続けて引用しました。目の前の不愉快な相手を見るとき、持っていたい視点です。
司馬師以降の司馬氏って、こんな感じ?