05) 私が徐州を攻めたときは
『孫子』は半分を越えました。
原文ありきの注釈だから、原文も抄訳すべきなんだろうが・・・まずは曹操の面白い発言だけ拾っております。
7章、軍争篇
世の中は、早い者勝ちとは限らない。
曹操が献帝を拾うのも、袁紹から独立するのも、けっこう遅かった。
徴兵&訓練して軍隊を作るプロセスは、マニュアルどおりで良い。奇抜なことはせず、コツコツとやれば良い。
将軍に任命された人は、あらゆる作戦を悩み抜かねばならない。イチかバチかで国境を越えても、攻撃の目標が定まらない。
出足が遅れても、距離・地理・行軍速度のデータを持っていれば、敵軍より早く目的地に行くことができる。戦術を数的にシミュレーションしておけば、作戦の優先順位を正しく決めることができる。
全体を見ていないと、情勢に変化があったとき、取り返しがつかなくなる。兵士を休息させ、いつでも新しい対応が出来るようにすべきだ。
「総大将が負傷する」とは、戦いの敗北である。
軍が足がかりとする安全な地形を知らないと、それだけで敗因となる。
領土を拡大するときは、敵の攻撃目標が集中しないように、中小の防衛拠点をわざと散らばらせる。だが、敵の出方を見ておかないと、分散させることはリスクだ。
包囲するとき1方向を開けるのは、逃げ道をゆく無防備な敵を捕えるためである。
8章、実虚篇
敵の弱点に攻撃を集中すれば、必ず勝てる。
敵が猛進してでも攻撃してくる「泣き所」と、敵がムリしてでも救援する「愛し所」を、こちらが攻める。遠くにいる大部隊に、強行軍をさせて疲れさせる。
中島訳では「愛するところ」だが、ゴロが悪いから改変。
勝利のプロセス&理由は1つではない。もし指導者の力量のおかげで勝ったとしても、指導者本人は、なぜ勝てたか分からないものだ。世間の人は、これに気づいていない。
「私が成功したのは、運がよかったからですよ」が、謙遜のみならず、本心そのものだったりする。これでは進歩がない。
曹操は「私だけは分かっている」という口ぶりです。臣下に読ませる前提で書いているから、カッコ付けてる?
同じ敵が攻めてきても、同じ戦術を用いて、同じように勝てるわけではない。ワンパタンに落ちるのが、致命的な弱点となる。
「勢いが盛んな人は、必ず衰退する」という法則がある。なぜ成功したか正しく分析をしないで、でたらめに美化された過去のやり方をくり返すからだ。
決まった勝利のフォームはない。要は、勝てばいい。
『孫子』も曹操の注釈も、矛盾したことを並べて「場合によりけりだ」と言って逃げてしまう。さすがに「これでは孫子と曹操は、何も言っていないに等しい」とまでは言いませんよ。着眼のポイントだけは、示してくれているから。しかし、あまりに無情だ。
9章、九変篇
攻略してはいけない城砦がある。城が小さくて、陥落させても利益が少なければ、捨て置け。しかも地形や防備が固くて、兵糧の備蓄が多ければ、包囲してはいけない。
私が徐州を討伐したとき、手間のかかる華城と費城は捨てておいたので、素早く侵攻できた。たちまち14県を占領することができた。
確保しても利益の少ない地点は、多大なコストを払って占領しても、奪い返されてしまえばムダである。最初から手を出さなければ、コストが抑えられる。
曹操は、徐州の14県を奪い返されたことに触れたくないから、勝手に文章を限定した?
利益が見えていれば、背後の損失を考える。損失が見えていれば、背後の利益を考える。両面をバランスよく見るのが、難しい。
全体の損益がプラスならば、目先の小さな損失に捕われずに、大胆に行動を起こせばよい。
敵がムダに労力や資産を費やせば、その分だけ、自分の覇権が増大する。見せかけの利益をぶら下げ、敵を疲弊させてしまえ。
廉潔すぐり人物は、不名誉や汚辱を嫌うあまり、不名誉やデマを飛ばされると、冷静さを失う。
民衆を愛しすぎると、民衆にタカられる。全員のエゴを聞けるわけがない。民衆の言いなりにならず、公共の利益を考えるべきだ。