表紙 > 人物伝 > 袁術に徐州の経営を委任&期待された、一軍人の呂布伝

07) 術は、布を救う能はず

「魏志」巻7より、呂布伝をやります。
『三国志集解』を片手に、翻訳します。
グレーかこみのなかに、ぼくの思いつきをメモします。

徐州の虫食い勢力、泰山の臧覇

英雄記曰:時有東海蕭建為琅邪相,治莒,保城自守,不與布通。布與建書曰:「天下舉兵,本以誅董卓耳。布殺卓,來詣關東,欲求兵西迎大駕,光復洛京,諸將自還相攻,莫肯念國。布,五原人也,去徐州五千餘裏,乃在天西北角,今不來共爭天東南之地。莒與下邳相去不遠,宜當共通。君如自遂以為郡郡作帝,縣縣自王也!昔樂毅攻齊,呼吸下齊七十餘城,唯莒、即墨二城不下,所以然者,中有田單故也。布雖非樂毅,君亦非田單,可取布書與智者詳共議之。」建得書,即遣主簿齎箋上禮,貢良馬五匹。

東海の蕭建という人は、琅邪相となり、莒城を治めた。蕭建は城を守り、呂布に味方しない。

『英雄記』が、陳寿にないことを書いている。耳を傾けてみる。上でぼくが切り捨てたような、単純化した「小説」ではなさそうなので。
盧弼がいう。『郡国志』によれば、莒城は、琅邪郡に属している。
ぼくは思う。袁術にしたがった琅邪の人は多い。諸葛玄も、その1人。

呂布は、蕭建に手紙を送った。
「私は、遠い五原の人間だ。莒城に対し、領土的な野心はない。莒城は、徐州の州治・下邳と近い。蕭建は、私と仲良くしないか」

呂布が、徐州内で、支配を浸透させようとしている。

蕭建は主簿をつかわし、呂布に味方した。

建尋為臧霸所襲破,得建資實。布聞之,自將步騎向莒。高順諫曰:「將軍躬殺董卓,威震夷狄,端坐顧盼,遠近自然畏服,不宜輕自出軍;如或不捷,損名非小。」布不從。霸畏布(引還)鈔暴,果登城拒守。布不能拔,引還下邳。霸後複與布和。

呂布に味方した蕭建は、臧覇に襲われた。臧覇は、莒城の物資を手に入れた。呂布はこれを聞き、自ら莒城にいき、臧覇を攻めようとした。
高順が諌めた。
「呂布将軍は、董卓を討ちました。座って睨みを利かせるだけで、四方は畏服します。軽々しく、軍を動かしてはいけません。もし莒城で臧覇に勝てなければ、少なからず名声を損ないます」

臧覇は、不気味な独立勢力だ。どこと同盟するか、予想しにくい。しかも臧覇は、強い。莒城は、守りやすい。戦わないほうがいい。
また呂布には、軍事行動を起こす、蓄えがない。もし莒城を攻め取っても、戦利品は蕭建に返さねばならんから、大赤字である。
高順が呂布を諌めたことは、大正解だ。

呂布は、高順に従わず。

『後漢書』呂布伝がいう。泰山の臧覇らは、莒城を攻め破った。臧覇らは、呂布に財幣を差し出して、呂布と結ぼうとした。だが呂布は、臧覇の使者が着く前に、みずから手を差し出し、カネをよこせと要求した。
高順は、呂布を諌めた。「待っていれば、臧覇はカネをくれたのです。呂布さんがセビれば、逆に敵意をもたれますよ」と。高順の云ったとおり、臧覇は呂布をこばみ、莒城を固めた。呂布は、莒城を攻めた。戦果ゼロで、返ってきた。

臧覇は、呂布に財物を奪われるのを恐れて、莒城に籠もった。呂布は、莒城を抜けなかった。呂布は、下邳に戻った。のちに臧覇は、呂布と和睦した。

泰山の臧覇は、変幻自在だ。小さく自活し、群雄を遠ざける。のちに曹操ですら、自立を認めたのだ。呂布が、制御できるわけがない。
「こちらが攻めなければ、歯向かってこない」という勢力だろうね。


袁術は、花嫁をそれほど欲しがっていない

建安三年,布複叛為術,遣高順攻劉備於沛,破之。太祖遣夏侯惇救備,為順所敗。太祖自征布,至其城下,遺布書,為陳禍福。布欲降,陳宮等自以負罪深,沮其計。

建安三年(198年)ふたたび呂布は曹操に背き、袁術についた。

「魏志」目線だと、こういう書き方になる。しかし実は、韓胤を殺してしまった件を、袁術が水に流したのだろう。呂布は一貫して、袁術についている。日和見&両属できるほど、呂布は、器用な人ではない。

呂布は高順を送り、沛で劉備を攻めた。劉備を破った。

『通鑑』がいう。中郎将の高順と、北地太守をつとめる雁門の張遼は、劉備を攻めた。劉備は破れ、妻子が捕えられた。

曹操は夏侯惇に、劉備を救わせた。夏侯惇は、高順に敗れた。
曹操は自ら、下邳城にきた。

夏侯惇伝がいう。左目を流矢で傷つけられた。
武帝紀がいう。建安3年9月、曹操は東征した。10月、彭城をほふり、下邳に到った。

曹操は呂布に手紙を送り、禍福を説いた。陳宮は、自らの罪が深いから、曹操の作戦をジャマした。

獻帝春秋曰:太祖軍至彭城。陳宮謂布:「宜逆擊之,以逸擊勞,無不克也。」布曰:「不如待其來攻,蹙著泗水中。」及太祖軍攻之急,布于白門樓上謂軍士曰:「卿曹無相困,我(自首當)〔當自首〕明公。」陳宮曰:「逆賊曹操,何等明公!今日降之,若卵投石,豈可得全也!」

『献帝春秋』がいう。曹操が彭城にきた。陳宮は呂布に、すぐ曹操を攻撃しろと云った。呂布は、持久戦をとった。曹操がきつく包囲した。呂布は「あなたさまに降伏しよう」と云った。陳宮は、呂布に云った。
「逆賊の曹操が、どうしてアナタサマなものですか!」

『献帝春秋』だからなあ。すでに陳寿が書き上げた本文に対し、矛盾のないカタチで、膨らませた内容だろう。こういう遊び(創作活動)が、ぼくも出来るようになりたい。笑


布遣人求救於術術自將千餘騎出戰,敗走,還保城,不敢出。

呂布は人をやり、袁術に救いをもとめた。呂布は、みずから1000騎あまりを率いて、下邳城から出て戦った。敗走し、下邳城に戻った。呂布は、もう出撃しなかった。

趙一清はいう。「術術」は「袁術」とすべきだ。
ぼくは思う。とても面白い指摘だ。「術術」とすると、文が切れて、自ら出撃して負けたのが、袁術になる。「袁術」とすると、自ら出撃して負けたのが、呂布になる。
ぼくは、袁術は、颯爽と騎馬を率いないと思うから、「術術」を「袁術」と改めることに賛成する。騎馬を率いるなんて、軍人の仕事である。


英雄記曰:布遣許汜、王楷告急於術。術曰:「布不與我女,理自當敗,何為複來相聞邪?」汜、楷曰:「明上今不救布,為自敗耳!布破,明上亦破也。」術時僭號,故呼為明上。術乃嚴兵為布作聲援。布恐術為女不至,故不遣兵救也,以綿纏女身,縛著馬上,夜自送女出與術,與太祖守兵相觸,格射不得過,複還城。布欲令陳宮、高順守城,自將騎斷太祖糧道。布妻謂曰:「將軍自出斷曹公糧道是也。宮、順素不和,將軍一出,宮、順必不同心共城守也,如有蹉跌,將軍當於何自立乎?原將軍諦計之,無為宮等所誤也。妾昔在長安,已為將軍所棄,賴得龐舒私藏妾身耳,今不須顧妾也。」布得妻言,愁悶不能自決。

『英雄記』がいう。呂布は、許汜と王楷を、袁術に送った。

兗州で曹操を攻めたときの同志だ。どうせ『英雄記』の作者が、名前だけ借りてきたに違いない。こういう創作の腕前は、すごいと思う。

袁術は、呂布と姻戚になることにこだわった。呂布は娘を綿にくるみ、包囲を破ろうとした。

呂布にこんなムチャをさせるくらい、袁術は狭量&ワガママだ。そういう小説です。読者は、陳寿の本文と区別がつかない。セコい袁術のイメージを定着させたんだから、『英雄記』は傑作であるなあ。笑

呂布は出撃し、曹操の食糧の供給を、断ちたいと考えた。だが呂布の妻は、陳宮と高順の不仲を心配した。
呂布は、せっかくの勝てる作戦を放棄した。

「女に惑わされて、失敗したやつ」というレッテル貼りだ。
あとから『英雄記』は、「酒に溺れて、失敗したやつ」というレッテルも用意してる。典型的すぎる。小説の技法に、よく通じていらっしゃる。


魏氏春秋曰:陳宮謂布曰:「曹公遠來,勢不能久。若將軍以步騎出屯,為勢於外,宮將餘眾閉守於內,若向將軍,宮引兵而攻其背,若來攻城,將軍為救於外。不過旬日,軍食必盡,擊之可破。」布然之。布妻曰:「昔曹氏待公台如赤子,猶舍而來。今將軍厚公台不過於曹公,而欲委全城,捐妻子,孤軍遠出,若一旦有變,妾豈得為將軍妻哉!」布乃止。

呂布の妻は、呂布に云った。「曹操は陳宮を可愛がったのに、裏切られた。あなたは、曹操ほどに陳宮を可愛がっていない。陳宮は裏切りますよ」と。呂布は、曹操の食糧を絶つことを、やめた。

「女に惑わされて」の別バージョン。呂布が陳宮の云うことを聞いていればなあ!という、呂布ファンの気持ちが、投影されていなくもない?


術亦不能救。

袁術は、呂布を救うことができなかった。

袁術のネックは、遠征の兵糧がないこと。「花嫁が届かないから、呂布を助けてあげないよ」ではない。『英雄記』に惑わされてはいけない。笑


次回、呂布が死にます。長かったなあ。