5)全ての漢人のために
意に反して、曹芳の朝廷で、中央を預かった司馬懿です。
不得意なんです
「宣帝紀」より。
うわー!
いかにも中央政治です。文書の回付ルートを変更して、実質的な決定権を自分に手繰り寄せる。アホみたいな口実を設けて、老臣を閑職に追いやる。曹爽による、司馬懿イジメです。
先走って書いたことですが、司馬懿が、樊城を囲んだ朱然を追い返したり、皖城の諸葛恪を叩き出すのは、このころ。
淮水の流域で屯田をやって、国力を充実させる仕事を、熱心にやった。地形の天才・鄧艾が抜擢されたのは、この文脈で捉えたら良いでしょう。 のちに淮南の寿春で、司馬氏に次々と名臣が反旗を翻すが、その遠征費用を賄ったのが、屯田からの収入だった。
2人の国家観
246年、また孫呉が柤中に侵入。沔水の南にいた領民は、北側に逃げてきた。曹爽は、
「沔水の南を、空き地にしてはいけない。逃げてきた領民を、帰らせるべきだ」
と主張した。司馬懿は反対した。
「危険な土地は危険で、安全な土地は安全です。地勢を、人がどうこう出来ません。沔水の南は、魏から守りにくく、呉から攻めやすい。領民を帰したら、大損害を受けます」
と。だが曹爽がゴリ押しして、領民は沔水を渡って帰らされた。果たして、孫呉の攻撃を受けて、大打撃を受けた。
この話を見て、
「司馬懿は賢くて、曹爽はバカなんだなあ・・・」
と確認するだけでは、面白くない。曹爽と司馬懿の、国力に対する考え方の違いを見透かしたい。
曹爽が重んじたのは、土地だ。司馬懿が重んじたのは、人口だ。
希少価値という言葉があるように、人は思うままに手に入らないものを、欲しがる。
曹爽は洛陽だけにいて、諸学問にかぶれた友達と天下を論じた。合戦の現場を知らない曹爽は、中華大陸が呉蜀に切り取られていることに、腹が立つのでしょう。机上に地図を広げて、
「統一王朝の完成形が、害されているじゃないか!」
と、気分を損ねた。だから、土地を貴重に思った。領民に防戦の苦労をさせてもいいから、沔水の南を孫呉にくれてやるのは、イヤだった。
一方の司馬懿は、
土地よりも人口(生産力)を重視した。土地はむしろ余りってすらいる。領土を広げるより、領民を増やすことを重んじた。
「古代において、最も手に入りにくいもの=労働力を潤沢に使うことが、権力の誇示になった」
からなんだと。
三国時代も、労働力が貴重な時代だ。
もしカレーを作るとき、カレー粉が足りなくて不味いのに、野菜ばかり足しても、永遠にカレーは美味くならない。魏が国力を伸ばすとき、耕す人民が足りないのに、土地ばかり広げても、永遠に財政は潤わない。
沔南の問題が起きたとき、司馬懿はカレー粉を買いに行き、曹爽は野菜を買いに行ったのだ。
諸葛亮と五丈原で対峙したときも、司馬懿は、戦場の指揮官としてのカッコ良さより、領土へのコダワリより、領民のキープに注意を払った。渭水を渡って背水ノ陣で挑んだのは、渭水の南に領民が多いからだった。『演義』ファンを喜ばすためではない(笑)
あのときは渭水で、今回は沔水。舞台を移しただけで、司馬懿の守備方針は一貫している。
南面しなかった理由
「宣帝紀」の最後に付いている評では、司馬懿が皇帝がなれなかった理由について書いている。先走ってネタバレになるが、司馬懿が曹爽をクーデターで殺すことは周知だと思うので、引用する。勝手に要約してますが。
だが曹叡の遺言に逆らって曹爽を殺したのは、忠臣のやることではない。魏が滅び、晋が興るという状況が整う前に、司馬懿は勝手なことをした。だから司馬懿は、皇帝になれず、天下統一をできなかったのだ。
めちゃくちゃです!
『晋書』は、司馬炎が禅譲を受けるという結果から手繰り寄せ、司馬懿の思惑を歪めている。まあ『晋書』批判は飽きているので・・・ここでは司馬懿の真意を推測しておきます。
司馬懿だって、天下統一ができるなら、統一するに越したことがないと思っていた。だが、統一戦争よりも優先することが多くあった。人口・生産力の回復だ。後漢の霊帝の頃から、大陸は疲弊していた。
建業と成都をピンポイントに爆撃すれば、呉蜀は滅びるかも知れない。魏は先進国だから、爆撃は不可能ではない。だが、内側がボロボロの統一王朝があったとして、何の意味があるのか。むしろ地方の統治が手薄になるだけだ。後漢の滅亡を再現するだけだ。
乱世が続いた中国大陸は、鈍感なステゴサウルスみたいなもの。洛陽に一極集中するより、建業と成都に、主体的な政権を残し、第2・第3の首都とした方がよい。小さいながらも王朝の自負を持ち、自律して動いてもらったほうが良い。
魏に呉蜀を滅ぼさせても、戦争&統一維持のコストばかりかさむ。長いスパンで見たとき、三国鼎立は「漢民族」のために有益である。司馬懿は、そういう視点の持ち主だったと思う。
司馬懿だって、自分の家が皇帝になれば嬉しいだろうが、優先順位は極めて低かった。大陸を統一する王朝が、いずれは必要になるのだが、わざわざ既存の魏を覆すコストを払う必要がない。
「社稷」
とは、土地と五穀の神様のことだが、司馬懿はその意味で、
「社稷の臣」
である。一族の名誉よりも、国や民のことを思った人だ。司馬懿は南面できなかったのではなく、する必要を感じていなかったのだ。
結果論を述べる愚を、あえて冒します。
孫の司馬炎のとき、晋は全土を統一しました。でも、長くは国を保てなかった。益州には、異民族の成漢ができるし、揚州の名士は中央に合流しなかった。それどころか、統一状態を保つ知恵を持たず、ついに漢民族が中原を失うという結末になる。
諸葛亮は、劉備に勝たせるために天下を三分した。司馬懿は、オール漢民族のために、天下三分を追認した。奇しくも『演義』のライバルが、きれいに呼応しました。