表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』桓温伝の翻訳と小考

4)永嘉の乱以来の悲願

やっと洛陽を回復。東方に転戦します。

中原を望んで

温遣督護高武據魯陽,輔國將軍戴施屯河上,勒舟師以逼許洛,以譙梁水道既通,請徐豫兵乘淮泗入河。温自江陵北伐,行經金城,見少為琅邪時所種柳皆已十圍,慨然曰:「木猶如此,人何以堪!」攀枝執條,泫然流涕。於是過淮泗,踐北境,與諸僚屬登平乘樓,眺矚中原,慨然曰:「遂使神州陸沈,百年丘墟,王夷甫諸人不得不任其責!」袁宏曰:「運有興廢,豈必諸人之過!」温作色謂四座曰:「頗聞劉景升有千斤大牛,啖芻豆十倍于常牛,負重致遠,曾不若一羸牸,魏武入荊州,以享軍士。」意以況宏,坐中皆失色。

桓温は、督護の高武に魯陽を守らせ、輔國將軍の戴施に河上を配置した。水軍を率いて、許水や洛水に迫った。譙と梁の間は、すでに水路が確保できた。徐州と豫州の兵に、淮水と泗水を伝って、黄河に入るように要請した。
桓温は江陵から北伐をして、金城を経由した。若いときに瑯邪で見た品種のヤナギが茂り、桓温をぎっしり囲んだ。桓温は慨然として言った。
「たかが木ですら、遠い土地まで広がり、栄えている。どうして人間が、北伐に堪えられないことがあろうか」
桓温はヤナギの枝を手にとって、涙を流した。
ここにおいて桓温は、淮水と泗水を越えた。東晋の北の国境を踏み、幕僚たちと高台に上って、中原を眺めた。慨然として、桓温は言った。
「漢民族の聖なる領土が侵されて、祖先たちの陵墓も荒れてしまった。王夷甫らの責任だと考えざるを得ない」

王夷甫って、人名?それとも地の文だろうか。

袁宏が言った。
「運には、興廢がつきものです。べつに誰の過ちでもあるまい」
桓温は顔を赤らめて、人々に言った。
「聞いたところ後漢末に、劉表は千斤の重さがある大牛を飼っていた。ふつうの牛の10倍の豆を食べて、重い荷物を遠くまで運ぶことができた。曹操が荊州に入ると、兵士たちが煮て、その大牛を食べてしまった
(桓温が暗に袁宏を大牛に例えたので)人々は真っ青になった。

師次伊水,姚襄屯水北,距水而戰。温結陣而前,親被甲督弟沖及諸將奮擊,襄大敗,自相殺死者數千人,越北芒而西走,追之不及,遂奔平陽。温屯故太極殿前,徙入金墉城,謁先帝諸陵,陵被侵毀者皆繕複之,兼置陵令。遂旋軍,執降賊周成以歸,遷降人三千余家于江漢之間。遣西陽太守滕畯出黃城,討蠻賊文盧等,又遣江夏相劉岵、義陽太守胡驥討妖賊李弘,皆破之,傳首京都。温還軍之後,司、豫、青、兗複陷於賊。升平中,改封南郡公,降臨賀為縣公,以封其次子濟。

桓温の軍は伊水を渡った。姚襄が、伊水の北を守っていて、桓温を防いだ。桓温は陣を組むと、自らかぶとを被り、弟の桓沖を督戦した。諸将が奮闘したから、姚襄は大敗して数千人の死者を出した。姚襄は北芒山を越えて、西に逃げた。桓温が追ったが、捕まえられなかった。姚襄は、平陽に逃げ込んだ。
桓温は洛陽に入り、むかしの太極殿前に駐屯して、むかしの金墉城に入った。桓温はむかしの皇帝の陵墓に参り、陵墓を修復して、管理役を置いた。
桓温は軍を旋回させ、賊の周成を降伏させた。長江と漢水の間に住む、3000余家が帰順した。太守たちは、蛮族や妖賊を打ち破り、敵の首は建康に送られた。
桓温が荊州に戻った後、司州、豫州、青州、兗州は、ふたたび賊の手に落ちた。升平年間(357-362)、桓温は南郡公に改封され、臨賀の県公に降格された。次子の桓濟が県に封じられた。

洛陽遷都の切なる願い

隆和初,寇逼河南,太守戴施出奔,冠軍將軍陳祐告急,温使竟陵太守鄧遐率三千人助祐,並欲還都洛陽,上疏曰:

隆和初(363)、河南郡が賊に攻められて、河南太守の戴施が出奔した。冠軍將軍の陳祐が急を告げた。桓温は、竟陵太守の鄧遐に3000人を率いさせて、河南郡を助けさせた。
合わせて、また洛陽に都を戻すように上疏した。曰く、

巴蜀既平,逆胡消滅,時來之會既至,休泰之慶顯著。而人事乖違,屢喪王略,複使二賊雙起,海內崩裂,河洛蕭條,山陵危逼,所以遐邇悲惶,痛心於既往者也。伏惟陛下稟乾坤自然之姿,挺羲皇玄朗之德,鳳妻外籓,龍飛皇極,時務陵替,備徹天聽,人之情偽,盡知之矣。是以九域宅心,幽遐企踵,思佇雲羅,混網四裔。誠宜遠圖廟算,大存經略,光復舊京,疆理華夏,使惠風陽澤洽被八表,霜威寒飆陵振無外,豈不允應靈休,天人齊契!今江河悠闊,風馬殊邈,故向義之徒履亡相尋,而建節之士猶繼踵無悔。況辰極既回,眾星斯仰,本源既運,枝泒自遷;則晉之余黎欣皇德之攸憑,群凶妖逆知滅亡之無日,騁思順之心,鼓雷霆之勢,則二豎之命不誅而自絕矣。故員通貴於無滯,明哲尚于應機,砎如石焉,所以成務。若乃海運既徒,而鵬翼不舉,永結根于南垂,廢神州于龍漠,令五尺之童掩口而歎息。

(抄訳)巴蜀で成漢を滅ぼし、天下が泰平になる機運です。しかし機運を無視して、天下統一の王略を実行に移さないものですから、河南郡で賊が起きました。惜しい。天が東晋に味方をしています。なぜチャンスを逃しますか。

夫先王經始,玄聖宅心,畫為九州,制為九服,貴中區而內諸夏,誠以晷度自中,霜露惟均,冠冕萬國,朝宗四海故也。自強胡陵暴,中華蕩覆,狼狽失據,權幸揚越,蠖屈以待龍伸之會,潛蟠之俟風雲之期,蓋屯圮所鐘,非理勝而然也。而喪亂緬邈,五十餘載,先舊徂沒,後來童幼,班荊輟音,積習成俗,遂望絕於本邦,宴安於所托。眷言悼之,不覺悲歎!臣雖庸劣,才不周務,然攝官承乏,屬當重任,願竭筋骨,宣力先鋒,翦除荊棘,驅諸豺狼。自永嘉之亂,播流江表者,請一切北徙,以實河南,資其舊業,反其土宇,勸農桑之務,盡三時之利,導之以義,齊之以禮,使文武兼宣,信順交暢,井邑既修,綱維粗舉。然後陛下建三辰之章,振旂旗之旌,冕旒錫鑾,朝服濟江,則宇宙之內誰不幸甚!
夫人情昧安,難與圖始;非常之事,眾人所疑。伏願陛下決玄照之明,斷常均之外,責臣以興複之效,委臣以終濟之功。此事既就,此功既成,則陛下盛勳比靈斯前代,周宣之詠復興當年。如其不效,臣之罪也,褰裳赴鑊,其甘如薺。


古代の聖なる王は、天下をすべて治めました。しかし現在、異民族が中原を荒らして、歴代の皇帝の陵を侵しています。東晋は揚州に再建されましたが、漢民族にとって、本来の姿ではありません。永嘉の乱のあと、みな洛陽に還ることを望んでいたはずです。河南郡は、漢民族にとって重要な歴史のある、中原の中心地です。河南郡を賊に与えて、朝廷は江南にあるなんて、なんて悲しいことでしょう。
洛陽を戻れば、陛下の事業は、先代に対して誇れるものになります。 洛陽に都を戻す件、私にお任せ下さいませ。どうぞ宜しく。

詔曰:「在昔喪亂,忽涉五紀,戎狄肆暴,繼襲凶跡,眷言西顧,慨歎盈懷!知欲躬率三軍,蕩滌氛穢,廓清中畿,光復舊京,非夫外身殉國,孰能若此者哉!諸所處分,委之高算。但河洛丘墟,所營者廣,經始之勤,致勞懷也。」

桓温の上疏に対して、詔が下った。
「異民族に中原を奪われてから、ずっと漢民族による回復を願ってきたことは、間違いない。桓温の言い分は、よく分かる。桓温の功績は認めている」
(洛陽の復都については、沙汰なしだった)