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8)『三国志』を変えた男

前回まで、東晋の桓温の列伝を翻訳しました。

桓温の『三国志』における意義

桓温は東晋の人なので、『三国志』に意義を求めるのは、暴論っぽいです。でも、それなりに言い分があります。聞いて下さい。

ぼくにとっての『三国志』は、
「大陸を支配する王朝は1つであるべきだ」
という信念に支配された漢民族が、信念を実現するために頑張り、最後に挫折する物語です。信念と言うとカッコいいが、共同幻想と言い換えられるものかも知れない。
あるべき論は、人の思考や行動を規定し、高いパフォーマンスを発揮させてくれます。志と誇りを抱いて生きるためには、信念が不可欠です。しかし、強すぎる思い込みや、現実離れしたあるべき論は、危険です。心身を蝕み、崩壊させてしまう。

後漢・三国時代は、洛陽に天下の中心を置いて、天下統一を模索した時期です。この試行錯誤は、西晋によって理想を実現しました。でも西晋は、異民族に洛陽を陥落されて、滅びてしまった。
東晋の桓温は、洛陽を回復した。後漢・三国・西晋の人たちが受け渡してきた信念を、確かに継いだ人です。
「東晋政権の中でこんな立場を占めたいなあ・・・」
とか、桓温の動機には、複雑な要素が混ざりこんでいるでしょう。でも、政治闘争の手段として、洛陽奪還を選んだ。たしかに彼は、劉秀や曹操や司馬炎のバトンを継いだのです。

『三国志』を変えた男

過去を変えることは出来ません。当たり前です。タイムマシンの製造法は、文系のぼくに論じられません。でも、
「歴史認識を変える」
という形で、過去が変わることはあります。
やがて『演義』に結晶していく、蜀漢を正統とする歴史観は、桓温のために(桓温のせいで)生まれました。

桓温は、揚州を本拠にした国で、荊州に駐屯し、益州を併合しました。
『三国志』で言えば、桓温の軍事的な功績は、周瑜が劉備を従えて、劉璋を下したことに等しい。

「領土が南半分だけでも、立派な国なんだ」

という主張が、国内で生まれる土壌を作った。孫権と劉備が完全合体して、曹操に対して正統性を主張するような構図です。これはうるさい。強い。
桓温が、成漢に勝たなければ、この土壌は生まれなかった。

桓温は、 この南半分の王朝で、権力を握った。皇帝に禅譲を迫った。

「力が強くても、皇帝になることは遠慮しろ」

という主張が、国内で生まれる土壌を作った。桓温が、東晋の皇帝を圧迫しなければ、こんなことを言う必要がなかった。

以上の2つの条件が、習鑿歯に『漢晋春秋』を書かせた。彼の書いた歴史書では、本紀が光武帝に始まり、献帝まで行くと、次は劉備と劉禅に本紀が移ります。
陳寿の『三国志』では、いちおう敬意を払われた劉備ですが、列伝に埋没した群雄に過ぎない。でも、桓温の行いは、劉備を本紀に格上げさせた。
「劉備の領土は南西の一部だけど、押しも押されぬ皇帝である。また、腕力だけなら曹操が強いが、正統は劉備である」

三国時代の事実という、狭義の『三国志』ならば、280年に終わりです。疑義を挟む余地なし。
でも、後世への影響をも含む、広義の『三国志』は、桓温の時代にひとつの画期を持つんじゃないか。奇しくも桓温は、洛陽にこだわった人でもある。『三国志』は、桓温で区切れるんじゃないか。

いつか書きたい・・・

このサイトのタイトルは、いつか書きたい『三国志』です。
自分の手で、『三国志』というタイトルの文章を書いてみたいと思って、こんなタイトルです。吉川英治が『三国演義』を元に、陳寿の正史と同じ『三国志』というタイトルの本を書いたのが、日本での混乱の始まり。以後、北方謙三氏も、宮城谷昌光氏も、オリジナル作品のくタイトルを、遠慮なく『三国志』にしている。だからぼくも、『三国志』を書きたいのです。

諸葛亮の死後を、省略しまくってしまう吉川英治に、物足りなさを感じたのが5年前。
「どこまで描ききれば、ぼくの『三国志』は終わるのか」
と、ずっとジタバタしています。09年の夏、答えを1つ見つけました。桓温を終わりにしたら、綺麗かも知れない。
晋は魏から禅譲を受けたから、曹操が正統であることは絶対である。だが習鑿歯は、劉備に正統を置いた。笑い捨てられるかと思いきや、意外に筋が通っている。
後漢以来、頑なに信じられてきた国家の姿が、相対化された。たった1つのあるべき論から解放された。『三国志』は、過去の記録の集合でなければ、特定の王朝を正当化する道具でもなくなった。
いろんな人が感情移入をする余地が生まれ、三国時代の解釈に懐が広がった。三国志が面白くなった。三国文化が生まれた。

◆おわりに
東晋について、まだまだ何も知りません。今回は、桓温の列伝を読みつつも、桓温本人をちゃんと見ていない。未知の時代の歴史書を翻訳するのは、とても大変でした。途中で逃げ出したくなり、何回も昼寝してしまった(笑)
もっと勉強しないと、『三国志』を描ききることはできない。090812