表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』帝紀9、簡文帝と孝武帝の翻訳

392-396年、愚かな皇帝の変死

本紀がスカスカの意味は・・・朝廷が機能してない?
もっと詔をがんがん出してくれないと、状況が分からないじゃないか。

司馬道子の専権

十七年春正月己巳朔,大赦,除逋租宿債。夏四月,齊國內史蔣喆殺樂安太守辟閭浚,據青州反,北平原太守辟閭渾討平之。五月丁卯朔,日有蝕之。六月癸卯,京師地震。甲寅,濤水入石頭,毀大桁。永嘉郡潮水湧起,近海四縣人多死者。乙卯,大風,折木。戊午,梁王<龠禾>薨。慕容垂襲翟釗于黎陽,敗之,釗奔于慕容永。秋七月丁醜,太白晝見。八月,新作東宮。冬十月丁酉,太白晝見。辛亥,都督荊益甯三州諸軍事、荊州刺史王忱卒。十一月癸酉,以黃門郎殷仲堪為都督荊益梁三州諸軍事、荊州刺史。庚寅,徙封琅邪王道子為會稽王,封皇子德文為琅邪王。十二月己未,地震。是歲,自秋不雨,至於冬。
十八年春正月癸亥朔,地震。二月乙未,地又震。三月,翟釗寇河南。夏六月己亥,始興、南康、廬陵大水,深五丈。秋七月,旱。閏月,妖賊司馬徽聚党於馬頭山,劉牢之遣部將討平之。九月丙戌,龍驤將軍楊佺期擊氐帥楊佛嵩于潼穀,敗之。冬十月,姚萇死,子興嗣偽位。

十七年春正月己巳朔,大赦,除逋租宿債。
夏四月,齊國內史蔣喆殺樂安太守辟閭浚,據青州反,北平原太守辟閭渾討平之。
五月丁卯朔,日有蝕之。六月癸卯,京師地震。甲寅,濤水入石頭,毀大桁。永嘉郡潮水湧起,近海四縣人多死者。乙卯,大風,折木。

また天変地異ばかりです。

戊午,梁王<龠禾>薨。 慕容垂襲翟釗于黎陽,敗之,釗奔于慕容永。
秋七月丁醜,太白晝見。八月,新作東宮。冬十月丁酉,太白晝見。辛亥,都督荊益甯三州諸軍事、荊州刺史王忱卒。
十一月癸酉,以黃門郎殷仲堪為都督荊益梁三州諸軍事、荊州刺史。庚寅,徙封琅邪王道子為會稽王,封皇子德文為琅邪王。十二月己未,地震。是歲,自秋不雨,至於冬。
十八年春正月癸亥朔,地震。二月乙未,地又震。
三月,翟釗寇河南。

洛陽のある河南は、なかなか落ちません。

夏六月己亥,始興、南康、廬陵大水,深五丈。
秋七月,旱。閏月,妖賊司馬徽聚党於馬頭山,劉牢之遣部將討平之。
九月丙戌,龍驤將軍楊佺期擊氐帥楊佛嵩于潼穀,敗之。
冬十月,姚萇死,子興嗣偽位。

後秦の代替わりです。肥水の戦いの後、華北は再分裂し、華南は小康状態だったと通史で読んだが、違うな。 災害が頻発し、帝位を名乗る叛乱軍が国内に多く、宗教叛乱まで起きて・・・後漢末と同じじゃないか!


十九年夏六月壬子,追尊會稽王太妃鄭氏為簡文宣太后。秋七月,荊、徐二州大水,傷秋稼,遣使振恤之。八月己巳,尊皇太妃李氏為皇太后,宮曰崇訓。慕容垂擊慕容永于長子,斬之。冬十月,慕容垂遣其子惡奴寇廩丘,東平太守韋簡及垂將尹國戰于平陸,簡死之。是歲,苻登為姚興所殺,登太子崇奔于湟中,僭稱皇帝。
二十年春二月,作宣太后廟。甲寅,散騎常侍、光祿大夫、開府儀同三司、尚書令陸納卒。三月庚辰朔,日有蝕之。夏六月,荊、徐二州大水。十一月,魏王拓拔圭擊慕容垂子寶于黍穀,敗之。
二十一年春正月,造清暑殿。三月,慕容垂攻平城,拔之。夏四月,新作永安宮。丁亥,雨雹。慕容垂死,子寶嗣偽位。五月甲子,以望蔡公謝琰為尚書左僕射。大水。六月,呂光僭即天王位。秋九月庚申,帝崩於清暑殿,時年三十五。葬隆平陵。

十九年夏六月壬子,追尊會稽王太妃鄭氏為簡文宣太后。
秋七月,荊、徐二州大水,傷秋稼,遣使振恤之。
八月己巳,尊皇太妃李氏為皇太后,宮曰崇訓。慕容垂擊慕容永于長子,斬之。
冬十月,慕容垂遣其子惡奴寇廩丘,東平太守韋簡及垂將尹國戰于平陸,簡死之。是歲,苻登為姚興所殺,登太子崇奔于湟中,僭稱皇帝。
二十(395)年春二月,作宣太后廟。甲寅,散騎常侍、光祿大夫、開府儀同三司、尚書令陸納卒。
三月庚辰朔,日有蝕之。
夏六月,荊、徐二州大水。
十一月,魏王拓拔圭擊慕容垂子寶于黍穀,敗之。
二十一(396)年春正月,造清暑殿。
三月,慕容垂攻平城,拔之。
夏四月,新作永安宮。丁亥,雨雹。慕容垂死,子寶嗣偽位。
五月甲子,以望蔡公謝琰為尚書左僕射。大水。
六月,呂光僭即天王位。秋九月庚申,帝崩於清暑殿,時年三十五。葬隆平陵。

国運を使い切る皇帝

帝幼稱聰悟。簡文之崩也,時年十歲,至晡不臨,左右進諫,答曰:「哀至則哭,何常之有?」謝安嘗歎以為精理不減先帝。既威權己出,雅有人主之量。既而溺於酒色,殆為長夜之飲。末年長星見,帝心甚惡之,于華林園舉酒祝之曰:「長星,勸汝一杯酒,自古何有萬歲天子邪!」太白連年晝見,地震水旱為變者相屬。醒日既少,而傍無正人,竟不能改焉。

孝武帝は、幼いときから聰悟ぶりを称えられた。簡文帝が崩じたとき、10歳だった。晡(日暮れ)になっても皇帝として、政治の場に登場しなかった。左右の人が進んで、孝武帝を諫めた。孝武帝は答えた。
「父が死んで、あまりに哀しくて哭いていた。どうして平常心を保っていられようか」
謝安はかつて、孝武帝がが備えている精理が、先帝を減じないのを歎じた。

下手に丸めると、意味が損なわれそうで怖いが、、孝武帝には簡文帝と同じくらいの分別があったから、幼いのに立派だなあ、と謝安が感心したのか。

孝武帝は、威權がおのずと醸し出され、雅量は人の上に立つ者として充分だった。 しかし孝武帝は、酒色に溺れて、ほぼ毎日、夜更かしして飲んでいた。
治世の末年、長星が現れたので、孝武帝は、心から天象を悪んだ。華林園で、祝宴を開いたとき、孝武帝は言った。
「長星よ、きさまに一杯酒を飲ませてやろう。古来より、1万年も君臨した天子がいただろうか(どうせ永遠の天子なんていないから、オレの天命が尽きそうでも、開き直ってやるぜ)」
太白が連年にわたって現れて、地震や水旱による異常気象も続いた。孝武帝が目を覚ましている日は少なく、孝武帝の傍には正気の人がいなかった。ついに孝武帝は、廃人のようになった。

時張貴人有寵,年幾三十,帝戲之曰:「汝以年當廢矣。」貴人潛怒,向夕,帝醉,遂暴崩。時道子昏惑,元顯專權,竟不推其罪人。初,簡文帝見讖雲:「晉祚盡昌明。」及帝之在孕也,李太后夢神人謂之曰:「汝生男,以'昌明'為字。」及產,東方始明,因以為名焉。簡文帝后悟,乃流涕。及為清暑殿,有識者以為「清暑」反為「楚」聲,哀楚之征也。俄而帝崩,晉祚自此傾矣。

ときに張貴人が、孝武帝の寵愛を受けていた。張貴人が30歳を過ぎたので、孝武帝はジョーク交じりに言った。
「もうキミはおばさんだから、貴人の身分を廃されるだろう」
張貴人は潛かに怒った。日が暮れると、孝武帝は泥酔して、そのまま突然死してしまった。
このとき司馬道子が政治を昏惑させ、元顯專權していた。司馬道子は、孝武帝を殺した人を探さなかった。

愚帝らしい愚帝は、東晋では実は初めてです。霊帝とは違う。孫皓とも違うタイプだな。孫皓は、もっと天下を何とかしてやろうという、覇気があった。発露の仕方が、良いか悪いかは別にして(笑)

はじめ簡文帝は、図讖に、
「晉祚は、昌明が使い切る」
と書いてあるのを見た。簡文帝の子ができると、李太后は夢で、神人に告げられた。
「これから生まれる子には、『昌明』というあざなを付けろ」
孝武帝が出産されたとき、東の空が明るみ始めていたから、空にちなんで「昌明」という名にした。簡文帝は、後から「昌明」と名づけてしまったことを知り、東晋の滅亡を悟って流涕した。
清暑殿を建立したとき、有識者は言った。
「『清暑』はひっくり返すと、『楚』の発音となる」
東晋が、楚に取って代わられることを哀しんだ。にわかに孝武帝が死に、晋の国運は傾いてしまった。

これで本紀九は終わりですが、せめて桓玄の簒奪まで見ておきたいので、次回は本紀十をやります。090828