表紙 > 読書録 > 郭嘉が曹操にマキャベリ『君主論』を講義したら

07) 君主たる者、ずる賢くあれ

すでにラストスパートに入りつつあります。
あんまり長引くと、郭嘉の病状に障るだろうしね。

18章、君主は信義を守るよりも、狡知であれ

「曹操様。兵は、詭道でございますね」
「無論」
「マキャベリは言います。信義を守ることなど眼中になく、ずる賢く人を欺く君主が、偉業をなせます。臣民は、どうせ君主に対して信義を守らない。それなら君主も、信義を守る必要はない、と」
「うーん、善い」
「ただし、でございます」
「何だ。もう充分だ」
「君主が、信義を守るフリをすることは有益です。君主の人格に直接触れる人間は、少数です。広報戦略として、慈悲、信義、誠実、人間性、敬虔さを持っているフリをすべきです」

曹操は、露骨に伝統の破壊者として振る舞った。マキャベリの言い分の前半は体現しているが、後半は失敗したな。
もっとも賢いのは、「オレは嘘つきだ」と宣言してからウソを吐くのではなく、「オレは誠実だ」と信用させてウソをつくことだ。

「郭嘉のくせに、説教くさい。が、言わんとすることは分かった」

19章、軽蔑と憎悪を避け、陰謀を防ぐには?

「君主は、憎悪と軽蔑を避けるべきです」
「憎悪を避けるとは」
「臣民の財産や子女を奪わないこと。君主が戦うべき相手は、野心を持った少数の群雄です。野心なき臣民は痛めつけず、手懐けるべきです」

曹操はほぼ出来ているのだが、、徐州虐殺が玉に瑕だ。

「気に留めておく。で、軽蔑を避けるとは」
「君主の命令がいちど出たら、命令の撤回は不可能だと知らせること」
「オレが死ねと言えば、郭嘉は死ぬか」
「即座に死にまする」
「それで良い」

「君主は他に、臣民の陰謀を防ぐべきです」
「例えば、あいつらのことか」

献帝の外戚・董承は、曹操暗殺を謀りました。

「そうです。陰謀を防ぐには、君主を殺したい人間を、多く作らないことです。陰謀は1人では成就しません。必ず仲間を求めます。仲間を集めさせなければ、君主は安全です」
「オレは安全か」
「極めて危険。曹操様は、降伏者に寛大すぎます」

張繍に殺されそうになった。劉備を厚遇した。

「国を大きくするために、必要なことだ」
「マキャベリは言います。君主は、陰謀を企てる人に、恐怖、猜疑心、処罰される心配を味あわせよ。さすれば、陰謀を諦めるでしょう」
「マキャベリは法家か」
「とは・・・とは言い切れません。君主は民衆を味方に付けることで、陰謀を防げるとも言っています。全員を満足させることは不可能です。それなら、兵士を味方に付けるより、民衆を味方に付けたほうが有利です。民衆の方が、強力だからです。これは法家ではありません」

マキャベリが念頭におく民衆と、曹操たちの人民には、性質が違うかも。1200年も後のマキャベリの時代の方が、民衆は雄弁だろう。

20章、占領した地域の武装解除と、シェルター

「新しく領地を得たとき、君主は武装解除をしてはいけません。また新しい領地が武装していなければ、積極的に武装をさせるべきです。なぜなら、君主の軍隊として機能するからです」

曹操は遺言で「いまは戦時だから、兵士も役人も持ち場を離れてはいけない」と伝えます。充分に理解しているだろう。

「もし武装解除をさせれば、新しい占領民の心を傷つけます。占領民に対し、『お前らは臆病で使い物にならない』もしくは『忠節でないから、牙を抜いておく』と言っているに等しいからです」

曹魏の前線は、軍屯が盛んでした。


「君主は安定するために、砦を築きます」
「オレは、許の都を築いた」
「少しイメージが違います。董卓の郿塢のように、イザというときのシェルターを指して、マキャベリは砦と言ってます」
「オレはそんなセコいもの、作らん」
「いかにも。外敵よりも、自分の臣民を怖れている君主は、砦を築くべきです。自分の臣民よりも、外敵を怖れている君主は、砦など必要ありません」
「オレは後者に近いが、外敵を怖れてもいない」
「ごもっとも。マキャベリ曰く、いちばんの防衛策は、砦を強固にすることではなく、自分の臣民に憎まれないことです。臣民が外敵と手を結んでしまえば、砦は役に立ちません」
「董卓は、郿塢に逃げ込む前に殺された。数十年の備蓄は、使われなかった。失笑するべしだ」

21章、尊敬を得るための、三国鼎立の外交方針

「比類のない模範を示した君主は、尊敬されます。戦争に強く、内政が巧みであれば、尊敬を得られるでしょう」
比類なき文学では、どうか?」
「私は可能だと思いますが、世間が曹操様に追いつけますやら」

「マキャベリは、三国が鼎立したときに、君主が尊敬される方法を教えています」
「三国が鼎立?そんな予定がない。郭嘉、そこは飛ばせ」
「ご容赦を。鼎立に興味がある人もいるのです」
「だったら、さっさと済ませ」
「鼎立したときは、君主はどう振る舞うべきか。他国に対し、徹底的に敵対するか、徹底的に味方するか、どちらかにすべきです。旗幟を鮮明にする君主は、尊敬されます。中立でいるよりも有益です」

弱小な蜀漢が、存立を認められた(他国からも少しは尊敬された)のは、魏への敵対を明確にしたからだ。
逆に中立でフラフラしたのは、呉だ。次にマキャベリは、孫皓の時代の呉について教えています。

「なぜ中立は下策でしょうか。もし他の2国が戦ったとします。

例えば、魏が蜀を滅ぼしたときのことを想像して下さい。魏(晋)と、呉の二国体制です。

勝った国は、中立国を併呑しにかかるでしょう。併呑されそうなピンチとなっても、中立国はどこかに保護を求める名分がなく、避難所を与えてくれる人もいません。なぜなら勝利者は、前の戦争で協力しなかった中立国を、助ける義理がありません。また、以前に敗れた国に仕えた武将は、亡国の危機を救ってくれなかったので、中立国に協力することはありません」

魏が蜀を滅ぼすとき、呉は魏の味方をしなかった。かと言って、蜀を助けようともしなかった。っていうか、蜀を助けるという名目で出兵したが、羅憲に阻まれた。どっち付かずの呉は、自らの滅亡を早めた。

「まだ鼎立の談義は続くのか」
「もう少々。中立国は、感謝もされず、尊厳も得られず、けっきょく勝利者の餌食になるだけです。

まさに孫権以来の呉を言い当てています!

敵と味方がハッキリしている君主は、味方でない国には中立を求め、味方には積極的な協力を求めます。優柔不断な君主は、敵味方のハッキリした君主たちの間で、ウロウロして自滅します」