表紙 > 読書録 > 郭嘉が曹操にマキャベリ『君主論』を講義したら

08) 臣下の諫言を受けるマナー

前回は、期せずして、
三国鼎立の外交方針について読めました。

22章、君主の大臣や秘書官について

大臣を見れば、君主の有能さが分かります。有能でない君主は、大臣を選ぶときに、早々に間違いを犯します」
「郭嘉に大任を委ねているオレは、有能か否か」
「言うまでもなく、有能」
「よし。次へ行け」
「マキャベリは、人間の才能を3段階に分類します。上が、自分の力だけで物事を理解する人。中が、他人に教わって理解する人。下は、何も理解しない人。君主は、少なくとも中の人材を用いるべきです」
「郭嘉は、どれか」
「上」
「よし。次へ行け」
「役立つ大臣を、君主が見分ける方法があります。つねに君主のために働くかどうかです」
「郭嘉は?」
「曹操様のおんために精勤して参りました」
「そうだ。それは、オレがいちばん、よく分かっている」

23章、追従者を避けるには?

「人間は、自己評価が甘いものです。ですから君主は、宮廷にたくさんの追従者を飼うことになります」
「後漢の宮廷に、か」
「ノーコメントです。追従者を退けるために君主は、『私は、直言されても感情を損なわない』と内外にアピールすることが必要です」
「後漢は、季節が変わるごとに『直諫できる者』を条件に、人材募集をかけていたと思うが、無意味だったんだな」
「ですから、ノーコメントです」
「ときに郭嘉よ。自己評価の甘さは、オレ自身も陥りがちなワナだと思っている。どうすれば良いのか」
「君主は、限られた賢人にだけ、自由に意見を述べる権利を与えます。しかもその賢人に、君主が聞いたことだけを答えさせます。そうすれば、君主が批判され過ぎて、尊厳が失われることが防げます。また、臣下の意見に迎合して、政策がコロコロ変わることにもなりません」
「名案だ。郭嘉、お前にだけ、オレへの諫言を許す」
「最後まで聞いて下さい」
「お、さっそく諫言か。オレが質問をする前から諫言とは、ルール違反ではないのか」
「茶化さないで頂きたい」

「マキャベリは、こうも言います。優れた君主しか、優れた助言を得ることができないと。例えば前漢の劉邦は、自分より優れた臣下を使いこなしました。劉邦が本当にただの無能な男ならば、臣下を使うことは、できなかったはずです」
「だろうな」
幼弱もしくは無能な君主が、思慮深い1人の大臣に権限を委譲して、政治が安定することがあります
「前漢の霍光の故事」
「そうです。しかしこれは長続きしません。なぜなら、実権のある大臣が、間もなく君主の地位を奪い取るからです」
「前漢の王莽の故事」

ぼくが『君主論』を初読したときは、もちろん司馬懿を思い出しました。郭嘉たちの知らないことですが。

「はい。有能な諫言は、有能な君主がいないとあり得ません」

24-26章、行動を起こせと、君主に発破をかける

「曹操様、マキャベリの話は以上です」
「郭嘉の手元にある書簡は、まだ3章分が残っているが」
「これはマキャベリが、彼自身の君主を批判し、今こそ行動を起こせと励ましている章です。情熱的ではありますが、他国の人間である私たちに学びはありません」
「なるほど・・・風流を解さんのは、郭嘉の弱点だ」
「何がですか」
「いきり立つな。残り3章分は、郭嘉自身の言葉に置き換えて、オレを批判せよ。さあ、聞いてやったぞ」
「では・・・」
「何だ?」
「間もなく曹操様は、荊州に南征なさると思います。水は煮沸してから、用いられるように。くれぐれもご自愛下さい」
「何を言うか、お前も同行させるつもりだ」
「ありがとうございます。ですが、少し眠らせて下さい」

おわりに

マキャベリの原著がそうなんだと思うが、章立てが散文的で、とても苦労しました。章と章の間の関係性が、よく分かりません。
後半は「前までの章で、ほぼ述べ終わったが、敢えて付け加えるなら」という調子で、思いつきで議論が増えていく。おかげで、どこで改頁すればいいのやら。決してうまくいかなかった。

漫画『蒼天航路』で、曹操が郭嘉のベッドを訪れて、ごちそうの話をする場面があります。あのイメージで書き始めました。郭嘉がけっこう元気に喋っているから (笑)、死ぬ1ヶ月くらい前かなあ。
キャラの性格づけは特になく、一人称が「私」で敬語を使う郭嘉と、一人称が「オレ」で敬語を使わない曹操という、しょーもない単純な枠のみ設定。地の文は早々に飛び・・・困ったことです。
同じパタンで、諸葛亮が劉備に講義するとか、張昭が孫権に講義するとか、いろんなバージョンに挑みたい。題材を募集します (笑) 090107