06) 華佗が貂蝉を改造する
立間祥介・岡崎由美訳『三国志外伝』民間伝承にみる素顔の英雄たち
徳間書店1990年
を短縮してご紹介しています。
サイボーグの貂蝉
司徒の王允は、貂蝉の顔を見て、ため息をついた。
「養女の貂蝉を使って、董卓と呂布の間柄を裂こうと思った。でも、貂蝉は美人ではないから、この計略は成立しない」
華佗が現れた。
「王允どの、心配に及びません」
10日後、華佗は風呂敷包みを持って、帰ってきた。中から、女の首が転がり出た。
「殺人事件ではありません。これは西施の首です。墓から取ってきただけなので、ご心配なく」
王允は、ほっと安心した。
西施は、越王が呉王にプレゼントした美女軍団のなかにいた人。700年前に死んでいるはず。中国の埋葬では、人は朽ちない。
華佗は、貂蝉の首をギシギシと斬った。代わりに、貂蝉の胴体へ、西施の首を接続した。7日7晩、貂蝉は死んだように息をしなかった。だが8日目、西施の顔に血の色がさして来て、貂蝉は起き上がった。
王允は喜んだ。
「間違いなく、西施の生まれ変わりだ。これで、董卓を殺す計略が、成功するに違いない」
董卓が、貂蝉の美貌を聞きつけて、貂蝉を招いた。だが司徒の王允は、貂蝉の態度を見て、ため息をついた。
「貂蝉は美人だが、肝っ玉が小さい。この計略は成立しない」
「王允どの、心配に及びません」
華佗は馬を飛ばすと、咸陽に駆けつけた。始皇帝の暗殺を謀った、荊軻の墓を暴いた。荊軻の五体は、始皇帝のバラバラにされたが、石のように固いキモだけは、墓の中に残っていた。
華佗は、貂蝉の腹を切り開いた。貂蝉の豆ほどのキモを取り出すと、巨大な荊軻のキモと入れ替えた。
貂蝉は、ついに董卓を殺すことに成功した。
湖北省の襄樊市で採録したそうです。貂蝉や華佗のゆかりの地ではない。興味本位の伝説なのかも。
華佗が、曹操の脳を洗う
曹操は、華佗を殺した。頭蓋骨を切り開けば、頭痛が治ると、華佗が言ったからだ。ひき続き、曹操は頭痛に悩んだ。
夢に華佗が現れて、曹操の頭を斧で割り、薬でザアザアと脳を洗った。曹操が目覚めると、めっきり体調が良かった。
曹操は、華佗に感謝した。だが、華佗を殺したのは自分なので、大っぴらに華佗を祭ることができない。曹操は、屋根裏に華佗を祭った。これが今日にも伝わる、廟上廟の風習である。
安徽省のゴウ県で採録したそうです。
華佗と芍薬、ももを抉る妻
華佗は、どんな薬草も自分で試してから使った。だから華佗が使う薬は、必ず効いたのである。
ある日、華佗は、
「芍薬は、毒にも薬にもならない。捨ててしまおう」
と言った。
芍薬の精が現れて、淋しいよお、と泣いた。
華佗の妻は、芍薬の気持ちを感じ取った。妻は華佗に、芍薬を使ってくれと頼んだ。華佗は断った。
「いくらお前の口利きとは言え、芍薬は使い物にならないよ。花も葉も茎も、試したんだ。芍薬にイジワルをしたくて、捨てたのではない」
「まだ芍薬の根を試していないでしょう」
「どうせ、使い物にならないよ」
妻は悩んだ。
「夫の華佗は、腕は確かです。でも人の話を聞かなくなってしまった。きっと今に、間違いをしでかすわ。医療ミスで殺人したら、取り返しが付かない」
翌朝、妻は自ら、ももの肉を抉った。血が止まらない。華佗が知っているあらゆる薬を試したが、効き目がない。ダメ元で芍薬の根を使うと、血が止まった。
「ああ妻よ、ももを抉って、私に人の話を聞く大切さを教えてくれたのだな。感謝するぞ」
華佗の故郷では、芍薬が栽培されるようになった。
曹操が、墓の位置を晦ます
曹操が死に際に、曹彰に言った。
「我が子・曹彰よ。私は人生に悔いがない。私を埋葬するときは、喪服ではなく、赤い服を着て、祝ってくれ」
いっぽう曹操は、曹丕に手紙を書いた。
「我が子・曹丕よ。私の葬式に来てはいけない。任地で役目を果たせ。私の埋葬が終わった後、戻って来なさい。赤い服を着ている人がいたら、謀反人である。殺せ」
曹操が死んだ。曹彰は、曹操を葬った。
曹操の死から100日後、曹丕が都に戻った。弟の曹彰が、赤い服を着ている。曹丕は、曹彰を殺した。
曹丕は、曹操を葬った地を知ることができないように、葬式から遠ざけられた。大抵は、後継者が喪主をやるものなのに・・・曹丕が葬式に出ないせいで、跡継ぎとしての地位が揺らいだら、どうするつもりだったんだろう。雑な伝説です。
河北省の臨漳県で採録したそうです。臨漳とは、五胡十六国時代にできた地名で、鄴のことです。
曹丕が、甄皇后を陥れる
曹丕は、甄氏を着飾らせて、喜んだ。
曹丕の母は、甄氏の服装を見て、怒った。
「曹氏の家人ならば、華美を慎むべきです」
甄氏は、質素な恰好をした。曹丕が甄氏に言った。
「バカ正直にもほどがある。母に挨拶に行くときだけ、質素なカッコをすればいい。普段はぼくのために、着飾ってくれ」
甄氏は、着飾った。
たまたま、曹丕の母に見つかった。曹丕の母は、曹丕を問い詰めた。曹丕は言った。
「ぼくがどれだけ華美を慎めと言っても、甄氏は、まったくゼイタクを辞めません。ぼくが手を焼いていたのです」
曹丕は二枚舌を使って、甄氏の評判を下げた。曹丕は、妻を犠牲にしてでも、両親からの覚えをめでたくしようとした。
つぎは、呉の伝説です。