07) 孫策と周瑜の青春もの
立間祥介・岡崎由美訳『三国志外伝』民間伝承にみる素顔の英雄たち
徳間書店1990年
を短縮してご紹介しています。あと2回で終わりです。
孫権が将棋から学ぶ
孫権は、赤壁で勝って、天狗になった。
あるとき孫権は、道に迷った。孫権は、山家に泊めてもらった。
住人の母娘が、真っ暗闇で将棋を指している。しかし駒を板におく音が聞こえない。頭の中だけで、将棋を打っているのだ。
孫権が混ぜてもらうと、娘にすら勝てない。
孫権は悟った。
「将棋というのは、歩兵を1つ動かすのにも、慎重に考えなければいけませんね。わたくし孫権は、傲慢になっておりました」
孫権は反省して、有能な人材を抜擢した。
のちに孫権が同じ場所を探したが、山家はなかった。
湖北省の鄂城県で採録したそうです。
捕われた孫権
陸遜が兵を訓練していた。
「陸遜さま、怪しい者を捕えました。私たちの陣地を、探っているようでした。敵のスパイでしょう。連れてまいります」
陸遜がスパイを見ると、微行していた孫権だった。
「孫権さま、大変失礼しました。お許しを・・・」
「よい。陸遜の兵士たちの大手柄ではないか。処罰するどころか、褒美を取らすべきだ。わたしは、陸遜の軍が緩んでいないことを知って、満足したぞ」
湖北省の嘉魚県で採録したそうです。
三郎と呼んでくれ
物乞いの老人が、米を恵んでもらった。
「ありがとうございます。あなた様のお名前を教えて下さい」
「わたしの姓は3番目、家でも3代目だから、三郎と呼んでくれ」
『百家姓』には、趙、銭、孫、という順序で姓が紹介されている。つまり孫姓である。孫氏の3代目と言えば、孫権である。
老人は感激したショックで、船から落ちて死んでしまった。
老人は不幸だったが、土地の人は孫権のお恵みを慕った。望呉亭の大王殿を建築して、称えた。
湖北省の陽新県で採録したそうです。
孫策と周瑜の先生
周瑜は1人の先生を大切にした。孫策は、先生を次から次へと追い出した。孫策は、周瑜に聞いた。
「名もない老人に、どうして師事なんかしていられるんだ」
「孫策よ、ぼくの先生に会いに来るか」
周瑜の先生は、孫策の知恵を試した。
「ナツメの実を取ってみろ。木に登らず、長い竿を使わずだ」
孫策は答えが分からない。
「周瑜は、ナツメの実が取れるか」
「はい」
周瑜は帯を絡ませ、枝をたぐり寄せた。周瑜は、孫策に言った。
「先生を招いても、修行するしないは、弟子次第だよ」
孫策は心を入れ替えて、勉強した。
二喬をもらうための知恵
孫策と周瑜は、橋玄の娘に惚れた。
「あそこに2頭の羊が、角を突き合わせて戦っています。あの2頭を、ほどくことが出来たら、娘を差し上げましょう」
孫策たちは、羊のエサを用意した。羊は戦いに疲れて空腹だったから、戦いをやめて、エサを食べ始めた。
「力ずくで羊を止めることは、オレたちの腕力なら可能でした。でも、羊がケガをするリスクがあるから、避けました」
橋玄は感心して、娘を差し出した。
安徽省の舒城県で採録したそうです。
次回、魯粛が孫堅に無理難題を言われます。