表紙 > 人物伝 > 袁氏から後漢王朝を守った、外戚風の宮廷政治家・董卓伝

03) 廃立は、外戚同士の争い

「魏志」巻6より、董卓伝をやります。
『三国志集解』を片手に、翻訳します。
グレーかこみのなかに、ぼくの思いつきをメモします。

何苗と丁原の軍を手に入れ、外戚の争いに勝つ

時進弟車騎將軍苗為進眾所殺,進、苗部曲無所屬,皆詣卓。

ときに何進の弟・何苗は、車騎将軍である。何苗は、何進軍に殺された。何進と何苗の軍は、リーダーを失った。何氏の軍は、みな董卓を頼った。

何進vs董卓は、劉弁vs劉協に同じ。後漢に頻繁に起こる、対立構図だ。自分につらなる皇族を祭り上げた、外戚同士の戦いである。董卓は、劉協の親戚ではないが、劉協の祖母・董太后の派閥につながる。
「少帝がバカで、献帝は賢い」というのは、のちに曹操の政権に参加した人が作った、後づけの逸話だと思う。本来のテーマは、皇子の賢愚ではなくて、外戚同士の争いである。
この構図は、袁紹にも持ち越された。袁紹は、何氏に用いられた人だ。190年に始まる戦い、董卓vs袁紹は、外戚争いの第2ラウンドだ。関西vs関東ではないと思う。以下詳述。


英雄記雲:苗,太后之同母兄,先嫁硃氏之子。進部曲將吳匡,素怨苗不與進同心,又疑其與宦官通謀,乃令軍中曰:「殺大將軍者,車騎也。」遂引兵與卓弟旻共攻殺苗於硃爵闕下。

『英雄記』はいう。何苗は、何太后の同母兄だ。母が先に嫁いだ、朱氏の子だ。

『五行志』はいう。何皇后には、父の違う兄がいる。朱苗だ。
恵棟は、陶宏をひく。何苗のあざなは、叔達である。

何進の部曲の将・呉匡は、ふだんから何苗を怨んだ。

呉匡の子・呉班は、呉壱の族弟である。楊儀の『季漢輔臣賛』に注釈がある。・・・つまり一族は、蜀臣となったようです。

呉匡は、何苗が何進を裏切り、宦官に通じたと疑った。呉匡は軍中に命じた。「大将軍・何進さまを殺したのは、車騎将軍・何苗である」
呉匡は、董卓の弟・董旻とともに兵を引き、何苗を殺した。

何進と何苗は、一枚岩でなかった。これが、外戚・何氏が敗れた原因かな。何進の元部下・袁紹や袁術と、連携がうまくいっていない。

何苗が殺された場所は、硃爵闕の下であった。

潘眉は『古今注』をひく。永平2年(西暦59年)11月、はじめて北宮に、朱爵南司馬門をつくった。
『漢官典職』はいう。袁術と呉匡は、南宮の九龍門を焼いた。袁術たちは、張讓らを引きずり出したいと考えた。張讓は、何太后と少帝と陳留王をつれて、北宮に逃げた。何苗と袁紹は、北宮の朱爵闕下にいた。呉匡らは、兵を引いて、闕下で何苗を殺した。
盧弼が『後漢書』霊帝紀と何進伝をみるに。朱爵を「朱雀」と書く。同じ意味だろう。


卓又使呂布殺執金吾丁原,並其眾,故京都兵權唯在卓。

董卓は、呂布をつかって、執金吾の丁原を殺した。董卓は、丁原の軍勢を合わせた。洛陽の兵権は、董卓だけに集まった。

丁原は、何進の要請におうじて、河内郡に出てきていた。丁原は、何進の下に、張楊を送り込んだり。つまり、董卓が丁原を殺したのは、外戚・何氏との争いの延長である。
呂布の裏切りばかりクローズアップされるが、本題じゃない。


九州春秋曰:卓初入洛陽,步騎不過三千,自 嫌兵少,不為遠近所服;率四五日,輒夜遣兵出四城門,明日陳旌鼓而入,宣言雲「西兵複入至洛中」。人不覺,謂卓兵不可勝數。

『九州春秋』はいう。董卓は、自軍の兵を多く見せかけるため、トリックをつかった。ふーん。

「董卓軍は、西北の強兵を連れて、鳴り物入りで洛陽を占領した」というイメージが、ウソだと分かる逸話。手勢だけを連れて、洛陽のそば・河東郡で、中央の情勢を見守っていた。
董卓が権力を握ったプロセスは、寝技のはびこる宮廷闘争に近い。戦闘は避ける。敵のトップの指揮権だけを奪い、自分色に塗り替える。


先是,進遣騎都尉太山鮑信所在募兵,適至,信謂紹曰:「卓擁強兵,有異志,今不早圖,將為所制;及其初至疲勞,襲之可禽也。」紹畏卓,不敢發,信遂還鄉里。

これより先、何進は、騎都尉をつとめる泰山の鮑信に、兵を集めさせた。董卓が兵権を握ったタイミングで、鮑信は洛陽にもどった。鮑信は、袁紹に云った。
「董卓は、皇帝を取り替える気だ。今のうちに董卓を倒そう」
袁紹は董卓を恐れ、行動を起こせなかった。鮑信は、郷里の泰山郡に帰った。

董卓が何太后と少帝を廃し、袁隗が積極的に手伝う

於是以久不雨,策免司空劉弘而卓代之,俄遷太尉,假節鉞虎賁。遂廢帝為弘農王。尋又殺王及何太后。立靈帝少子陳留王,是為獻帝。

ながく雨が降らない。董卓は、司空の劉弘をやめさせ、自分が代わって、司空となった。

章懐注は『漢官儀』をひく。劉弘は、あざなを子高という。安衆の人。
オウ文台は『太平御覧』がのせる『続漢書』をひく。董卓は、顕陽苑にいた。董卓は人を送って、自らを司空とした。
ぼくは思う。董卓は宮廷闘争の政治家だ。いちばん恐いのは、暗殺である。董卓は顕陽苑から、遠隔操作?して、三公になった。ついでに言うと、暗殺を回避するため、呂布をつねに左右に置いた。裏目に出るが。

すぐに董卓は、太尉にうつった。假節、鉞虎賁。

『後漢書』献帝紀はいう。董卓は太尉にうつり、仮節鉞。
章懐注は『礼記』をひく。ひとりだけ、部下の処刑をゆるされた、鉄製のマサカリだ。

ついに少帝を廃して、弘農王とした。董卓は、弘農王と何太后を殺した。霊帝の幼子、陳留王を立てた。献帝である。

盧弼は、『後漢書』皇后紀を載せる。ほぼ全文だ。少帝が殺される経緯が書いてある。後日、やりましょう。悲しく歌う18歳の皇帝でした。


獻帝紀曰:卓謀廢帝,會群臣於朝堂,議曰:「大者天地,次者君臣,所以為治。今皇帝闇弱,不可以奉宗廟,為天下主。欲依伊尹、霍光故事,立陳留王,何如?」尚書盧植曰:「案尚書太甲既立不明,伊尹放之桐宮。昌邑王立二十七日,罪過千餘,故霍光廢之。今上富於春秋,行未有失,非前事之比也。」卓怒,罷坐,欲誅植,侍中蔡邕勸之,得免。九月甲戌,卓複大會群臣曰:「太后逼迫永樂太后,令以憂死,逆婦姑之禮,無孝順之節。天子幼質,軟弱不君。昔伊尹放太甲,霍光廢昌邑,著在典籍,僉以為善。今太后宜如太甲,皇帝宜如昌邑。陳留王仁孝,宜即尊皇祚。」

『献帝紀』はいう。董卓は、皇帝を廃する議論をした。
伊尹と霍光にもとづき、陳留王を立てたい。どうですか」

霍光については、以前このサイトでやりました。
『漢書』:皇帝を廃しても名臣とされる、霍光伝の表現技法を味わう

尚書の盧植が反対した。董卓は、盧植を殺そうとした。侍中の蔡邕が諌めたから、董卓は盧植を殺さなかった。
9月甲戌、ふたたび董卓は、郡臣に云った。
何太后は、義母の董太后を殺した。これは、婦姑之禮に逆らうことである。何氏の子に、皇帝の資格はない」

董卓が皇帝を取り替えたのが、外戚の戦いであることを示す。と思う。
盧弼は『後漢書』董卓伝から、議論の経緯をひく。テキトーに要約するのは残念なので、気が向いたら後日。
袁宏『後漢紀』はいう。董卓は、皇帝を廃する議論を、太傅の袁隗に示した。袁隗は「報如議」した、つまり賛成した。
また太傅の袁隗は、少帝から璽綬を解いたともいう。『資治通鑑』は、この話を採用している。ぼくは先月、こちらで訳しました
袁隗が、少帝に引導を渡した話は、とくに根拠がないようだ。笑


獻帝起居注載策曰:「孝靈皇帝不究高宗眉壽之祚,早棄臣子。皇帝承紹,海內側望,而帝天姿輕佻,威儀不恪,在喪慢惰,衰如故焉;凶德既彰,淫穢發聞,損辱神器,忝汙宗廟。皇太后教無母儀,統政荒亂。永樂太后暴崩,眾論惑焉。三綱之道,天地之紀,而乃有闕,罪之大者。陳留王協,聖德偉茂,規矩邈然,豐下兌上,有堯圖之表;居喪哀戚,言不及邪,岐嶷之性,有周成之懿。休聲美稱,天下所聞,宜承洪業,為萬世統,可以承宗廟。廢皇帝為弘農王。皇太后還政。」尚書讀冊畢,群臣莫有言,尚書丁宮曰:「天禍漢室,喪亂弘多。昔祭仲廢忽立突,春秋大其權。今大臣量宜為社稷計,誠合天人,請稱萬歲。」卓以太后見廢,故公卿以下不布服,會葬,素衣而已。

『献帝起居注』は、献帝が即位した、宣言文を載せる。
「霊帝は惜しくも死んだ。何太后は、政治を荒らした。董太后がにわかに死んだことにつき、世論は惑っている。陳留王・劉協は、何太后と違い、人格が優れている」
尚書が宣言を読み終わっても、群臣は、ひとことも発しない。尚書の丁宮が、劉協に祝辞を述べた。

『後漢書』王允伝はいう。丁彦思と、蔡伯カイは、董卓から親しく厚遇されていた。2人は、董卓の意見に従った。洪亮吉はいう。丁彦思とは、丁宮のことではないか。しかし根拠がない。
柳従辰はいう。霊帝紀の中平4年、光禄勲をつとめる沛国の丁宮は、司空となった。注釈にある。丁宮は、あざなを元雄という。彦思でない。
丁宮について。中平5年に司徒にうつり、中平6年7月にやめた。董卓が皇帝を廃し、何太后をうつしたのは、中平6年9月である。丁宮は、司徒をやめたところだ。尚書ではない。『献帝起居注』は、根拠にとぼしい。
恵棟はいう。丁宮は、さきに蒼梧太守になった。「呉志」士燮伝にあることだ。だが、盧弼が士燮伝を見るに、丁宮は蒼梧太守ではない。交州刺史である。恵棟の説は、誤りである。
ええと。長々と丁宮について、盧弼の注釈を引いたのは、石井仁氏の指摘があるから。曹操と同国出身。家ぐるみで協力し、魏室でも影響が大きかったのが、丁氏。曹操を離婚した丁夫人、丁儀や丁廙がいる。この丁氏が、董卓の味方とは、考えにくい。丁宮と、魏室を支えた丁氏を結びつけた石井氏は、ちょっと違うかも知れない。

董卓が、何太后を廃した。公卿以下は、略式で、喪に服した。

董卓が皇帝を取り替えたのは、董卓が野蛮人だからではない。董氏と何氏の対立の延長戦に、董卓が参加させられているだけ。
次回、董卓が名士の待遇に苦しみます。