表紙 > 人物伝 > 孫呉は二の次、洛陽が気がかりな羊祜伝

1)夏侯氏・司馬氏との婚姻

このサイトの人物考察は、けっこう網羅したつもりで、人気どころが漏れていました。陸抗との友情の評判が芳しい、羊祜を見てみます。

平凡な出自

羊祜は、名門ではない。
いちおう「代々二千石」というだけあり、祖父は南陽太守、父は上党太守になった。しかし、際立った治績があるわけじゃない。しかも父は、羊祜が12歳のときに死んだ。孤児と言っていい。
羊祜は生家から、名士社会への最低限の参加資格だけを受け継いだが、それ以降は腕一本で名声を勝ち取った人物だ。
出身は、泰山郡の南城。南城とは、あまり聞きなれない地名だと思ったら、晋が羊祜を封じるために、羊祜の故郷の周りから、5つの県を寄せ集めて作った新しい郡だった。だから三国ファンには馴染まないのです。

父の喪にちゃんと服したから、叔父に感心された。
まだ地元にいるとき、見ず知らずの老人が、
「この子の顔つきは、素晴らしい。60歳になる前に、天下にひびく大功を建てるだろう」
と言ってくれた。
こんなコメントでは、羊祜は名声を手に入れることが出来ない。魏晋では、知識人たちが互いに褒めあって、社交界の中での地位を確定させます。正体不明の老人に褒められても、何の足しにもならない。
「予言した後、老人は去り、行方知れずだった」
と『晋書』は言うが、神秘性よりは胡散臭さが増す。魏晋で人物評をくれるなら、仕官のお世話までやってくれて、ナンボなのだが。
穿った見方をする。早くして父を亡くした太守の息子が得られる評価とは、怪しげな老人から予言で精一杯だった。とか、、

何を隠そう、羊祜は蔡邕の外孫なんだが、この血筋が有利に働いているようには見えない。
蔡邕は王允に殺された。彼の学問は継承されたが、官位は継承されなかったようだ。のちに羊祜が偉くなった後、叔父(蔡邕の子)を推挙しているから、蔡氏は日陰に沈んでいたようだ。
没落した蔡氏とお似合い(同レベル)なのが、田舎の名家・羊氏だ。

容貌のこと

成人した羊祜は、身長が七尺三寸、美しい眉根とヒゲをもった青年になった。身長の表記があると、
「威丈夫だったんだなあ」
と、読み手は無条件に感心してしまいますが、騙されてはいけない(笑)一寸を23センチとすると、身長は167.9センチ。換算値に余裕を持たせて考えても、それほど立派な体格ではないだろう。

チビでヒゲ。あんまり羊祜のルックスを話題にしない方が、英雄神話が保たれるのかも知れない。
さくら剛さんは『三国志男』で、
「関羽と黄忠にヒゲがあってもいいが、趙雲や馬超のヒゲは許せない」
というファン心理を語っていた。これと同じ話で、きっと羊祜はヒゲがあってはいけない部類の人物だ。ライトなファンは、『晋書』を読まないほうがいい。

夏侯威からのスカウト

冴えなかった羊祜が、飛躍のチャンスを得た。夏侯威から評価をされた。有力者にコメントをもらうとは、派閥に加えてもらうに等しい。
「っていうか、夏侯威その人が無名だよ」
という謗りも予想されますが・・・夏侯淵の四男です。
夏侯威に関するエピソードをひとつ。人相を見るのが得意な、朱建平が、夏侯威に言った。
「あなたは49歳で州牧になるが、災難があるでしょう。それを回避すれば、皇帝を助けて70歳までお元気です」
果たして夏侯威は、49歳で兗州刺史となった。案の定、その歳の12月上旬、病になった。
「ああ、これが予言にあった災難だな」
と覚ったので、慎重に治療した。大晦日に、
「明日から50歳だ。私は70歳まで生きられるようだ」
と酒宴を張った。だがベッドに入ると死んだ。。

夏侯威が羊祜を可愛がったのは、なぜか。
羊祜の故郷の泰山は、兗州だ。夏侯威が死ぬ前に1年だけ刺史をできた兗州で、自分の力になってくれる人材をピックアップしたか。
夏侯氏は曹氏の親類だ。曹丕が宗室の力を削ってしまったから、宗室の強化は、夏侯氏のミッションとして意識されていたように、ぼくには見える。夏侯威は、兄の夏侯覇の娘を羊祜に嫁がせ、完全に味方に取り込んだ。
先々のことも含んで書いてしまうが、夏侯氏と羊氏、司馬氏の系図を作ったので、確認して下さい。


嫌がらせのように癒着しております。夏侯氏は、魏の宗室でありながら、司馬氏とも結びついた。だから、晋代に栄えることもできた。
夏侯氏と司馬氏の婚姻結合のなかに、羊祜が取り込まれている。なぜか。理由が2つ考えられる。まず、羊祜が有能&清廉だったから。次に、実家の地位が低かったから。
もし羊氏が名族ならば、ここまで権力を握りやすい位置についてしまうと、野心を持たないわけがない。それは、夏侯氏にとって邪魔となるし、転じて曹氏にとって脅威となる。司馬氏にはライバルとして認識されたでしょう。例えば鍾会のような末路が、用意されたはずだ。

羊祜もいつからか、自分のポジションに気づいたらしく、羊氏の経営基盤を強化することを、頑なに避けた。
「私欲が薄い」
という羊祜の美徳は、もちろんある。あるのだが、司馬氏にどういう役割を期待されているか知っていたから、一族の人を官位に就けることすら、慎重になったのだろう。

司馬師は、夏侯氏と離縁して、次に呉質の娘を娶った。また離縁して、羊氏を娶った。
司馬氏を権威づけるためには、魏室との繋がりが濃い家から、妻を迎えなければならない。だが、あまりに自己主張が強い家(夏侯氏)や、政治に失敗した家(呉氏)では、都合が悪い。
呉質は曹丕の信任は厚く(四友の1人)、文学を官界の査定基準に設定しようとしたが、挫折した人だ。
司馬氏は、魏室と関係が深く、自己主張が弱く、政治に成功したという、矛盾したような性質の家と結びつきたかった。
要求の無茶ぶりを例えるなら、
「100グラム48円の高級ブランド牛肉で、霜降りだがノーカロリー」
を探すようなものだ。羊祜が、あつらえ向きだった。