表紙 > 人物伝 > 孫呉は二の次、洛陽が気がかりな羊祜伝

5)国境の美談は、八百長か

敗戦しても、荊州にしがみつく羊祜です。つぎに何か失敗をすれば、荊州を解任されることは間違いない。

公明正大な国境線

「羊祜伝」曰く、
羊祜は要害を確実に押さえたから、石城より西は、晋の領土になった。呉から降伏してくる人を、手厚くもてなした。軍事ではなく、仁徳によってじわじわと晋の勢力を広げた。もはや温和路線に傾いたかと思いきや、羊祜は、
「慨然有呑并之心
であり、天下統一を諦めていなかった。

元も子もない残念なことを言うが、羊祜は呉を併合することは、どちらでもいいと思っている。行動原理の第一ではない。
ズバリ、洛陽の複雑な政治情勢から離れていることが、羊祜が荊州にいる目的である。
だから、呉が潰れてしまっては困る。荊州に仕事がなくなる。だが、呉を討つ気がないことがバレてはいけない。建前として、呉を討つポーズを崩せない。『晋書』が拾ってきた「呑并之心」というのは、世間に(西晋の幹部に)聞かれることを前提に表明した、羊祜のハラの中だろう。
また呉と戦って、負けてはいけない。敗戦を理由に召還される。かと言って、圧勝はいけない。孫皓は、精神障害の症状がある暴君である。強すぎるインパクトは、呉の自壊を促進してしまう。

ファンに名高い、羊祜の名将ぶりは、例えばこんな感じ。

羊祜は呉兵と戦うとき、期日を決めた。謀略をヒットさせるような戦い方はしなかった。もしトリックを仕掛けようという参謀がいれば、羊祜はアルコール度数の高い酒を一気飲みして、寝たふりをした。
降伏した人は、家族がバラバラにならないように気遣った。立派な死に方をした呉将は、手厚く葬った。
羊祜が呉領に攻め入って、兵糧を現地調達したときは、後から代金を支払った。呉の人がダメージを与えた狩猟の獲物が、晋領に逃げ込むと、送り返してやった。

美しい!
が、不自然だよね。呉と同盟するでもなく、決戦するでもなく。

もし呉人に同朋意識があるのなら、戦いなんてしなけりゃいい。もし呉を討つつもりなら、もっと真剣にやれよ。
「恩沢によって、外敵を自発的&平和的に降伏させた」
なんてことは、
有史以来いちどもない。儒教が描く古代の帝王は、そんなことが出来たらしいが(笑)羊祜はそれが神話であることを、百も承知だっただろう。今まで羊祜が、政界の遊泳に先見があったのは、徹底したリアリストだったからだ。
羊祜は、君子として対呉戦線に臨んだのではない。保身のために、
「呉を活かしもせず、殺しもせず」
という中途半端な作戦をやっただけだ。損害を最小限にしつつ、長引かせたかった。だから正々堂々と戦い、奇策を避け、憎悪が連鎖するような泥沼を避けた。結果として、聖なる王たちの行いに似てしまった。

偶然の一致を理由に、羊祜を、
「中級以上のファンのみぞ知る、三国末期の聖なる名将」
に祭り上げてしまうのは、いかがなものかと思う。
魏末晋初に、司馬氏との距離の取り方を間違えて、次々と潰されていった名士たちから、目を背けてはいけない。羊祜の荊州経営は、その文脈で捉えられねばならない。
あの竹林の七賢も、羊祜と同じ絵図の中に座標を持っていそうだ。

陸抗との友情

長らくのお楽しみ。順に読んできた列伝は、やっとここに到りました(笑)

陸抗と羊祜は、手紙を交換した。陸抗は、羊祜の徳量に感じ入り、
「楽毅や諸葛亮でも、羊祜に及ばない」
と言った。
陸抗が病気をしたとき、羊祜から送られた薬を、疑うことなく飲み込んだ。人々が止めようとすると、
「羊祜さんが、毒殺なんかするわけない」
と陸抗は言った。
孫皓は、
「陸抗が羊祜に内通しているのでは?」
と疑った。陸抗は返答した。
「ひとつの邑や郷ですら、信義がなくては治まりません。まして晋や呉の大国では、大きな信義が求められます。羊祜の信義を逆手に取って奇襲をしても、呉にメリットはありません。かえって羊祜の人徳を、宣伝するだけです」


洛陽も建業も、ろくな環境ではない。首都から飛び出して、重要な国境を任されているという点で、陸抗と羊祜には、共感がある。自国の皇帝に対する「外交」が、いちばん悩ましい。
陸抗のニーズは、羊祜と同じだったのではないか。すなわち、
「晋と決戦をせず、だが和睦もせず。節義のあるにらみ合いが続くことにより、立場が安定する」
と。
美談を穢すようなことを言うが、羊祜は、羊祜自身のために、陸抗に毒を盛らない。もし陸抗が倒れたら、荊州の守将が交代する。後任者が、陸抗と同じように誠意があるか、すなわち、
「羊祜の任期を長引かせることに協力的」
であるか、何の保障もないのだ。
陸抗は、羊祜の「徳量」にもちろん感じ入っていた。だが一方で、羊祜側の事情も見透かしていたから、毒を警戒しなかった。

陸抗と羊祜の友情は、奇異なことではない。
ぼくは一神教の信者同士の対立について、テレビや本で間接的にしか知らない。しかし敢えて例えに使うなら、
「羊祜と陸抗の対立は、キリスト教徒とイスラム教徒の対立とは違う
と言いたい。
羊祜と陸抗は、漢風の儒教を共有している。漢王朝は、儒教を媒介にして、広すぎる領域の人々を、1つの民族にした。同じ旧漢の民なんだから、原理的に対立していない。
また例えるが、大学時代の親友が、自分の就職先の競合他社(商売敵)に勤めているとする。同窓会で会って、心の底から憎み合うだろうか。違うだろう。きっと「それはそれとして」仲良く付き合うよね。
むしろ共通の話題が多いから、盛り上がれる。陸抗と羊祜は、この関係に似ていると思う。
陸抗と羊祜に親交が生まれたことを、戦場に咲いた花とし、稀有の奇跡のように珍しがる必要はない。名士たちは、三国の国境を越えて、書簡を取り交わしていたじゃないか。

もっとも、もし八百長の要素が入っていたとして、羊祜の人格は霞まない。
「仲良くケンカしな」
と命じられ、それを出来る人は少ない。ただ馴れ合うだけ、いがみ合うだけ、なら小人にでも出来るだろうけど。そういう意味で、羊祜は一級の人材である。どこかのネズミとネコに見習わせるべきだ。

また陸抗と羊祜は、決してサボっているわけではない。
「天下は統一されているべきだ」
というのは、何の根拠もない思い込みだ。冷静の状況を見て、統治能力のある王朝があるときにだけ、天下は統一されれば良い。名士の視点は、国境をモノともしない。大所高所から論じられる。
前回やったが、司馬懿はこの観点から、三国鼎立を支持した。性急な統一をしても、かえって万民が不幸である。
全土を晋もしくは呉の一色に染めなくても、すでに「ぼくらは漢の子孫だ」という諒解が、両国で取れている。それで充分に安定するし、子孫に豊かな「中国」を残してやることができる。