表紙 > 人物伝 > 孫呉は二の次、洛陽が気がかりな羊祜伝

7)いよいよ征呉作戦

呉の陸抗が死んでしまうと、羊祜は派閥争いの準備を着々と始めた。

派閥の話の証拠

さて、前ページのような黒味がかった羊祜の話をすれば、
羊祜が派閥形成などに、心を砕くわけがない。羊祜は呉を討つ使命感だけに、燃えた。王濬は有能な軍人だから(これは本当)、戦略の見地からのみで、羊祜は益州を任せたのだ」
という反論が、当然にあり得る。っていうか、ぼく自身が『晋書』「羊祜伝」を読み直して、これを書き進めるまで、そう思っていた。

だから、若干のネタバレをして、説明を追加する。
羊祜の死後の話だが、西晋は孫呉を討った。功績があったのは、羊祜が益州を任せた、王濬だった。王濬は、建業を占領した。羊祜の先見は、またしても証明された。
王濬と衝突したのは、二番乗りの王渾だ。王渾は、王戎の父だ。つまり、羊祜と衝突した、名門の方の王氏である。
「王濬のクソジジイ。羊祜に益州を任されたから、寒門のくせに、出しゃばりやがって。ちょっとした戦功がある庶民より、戦功に劣った名族の方が、なお偉いんだぞ。王濬を檻車に乗せて、洛陽に護送せよ
と喚いた。

(羊祜)・王濬  VS  王衍・王渾・王戎

という構図は、生きていた。羊祜は、荊州や孫呉を緩衝材にして、名門の方の王氏と発火せずに済んだ。だが280年、孫呉が降伏してしまい、両派閥を隔てるものがなくなった。
建業近郊で、王濬と王渾が向き合うと、たちまち暴発した。

征呉の上表

羊祜は、司馬炎に申し出た。
「蜀を滅ぼしてから13年経ちます。呉を討ちましょう」
ぼくは省略しまくったが、原文で800文字の大論文を書いている。

羊祜は、根っからの文章家ではない。羊祜が前回、筆を握ったのは、荊州の任務から解かれそうになったときだ。羊祜は、運命の転換点でしか、文書を提出しない。だから、重みがある。
もし呉を討つことを許されなければ、荊州から離れるしかなく、益州に王濬を配置した意味もなくなる。ドキドキして待っていると、
「・・・羊祜に任せよう」
司馬炎から、OKが降りた。
「よかった。この王朝で、生きながらえる可能性が生まれた」
羊祜が最初に思ったのは、こんなことじゃないか。

「涼州・秦州で、異民族が暴れています。呉は後回しで!」
という横槍が入った。「羊祜伝」には、誰が言ったとは書かれていないが、賈充あたりが反対派の中心だ。
羊祜の反論です。
東南の孫呉さえ討ってしまえば、西北の叛乱は自然と治まります。物事は、思い通りにならないことが多い。決断の時期を外してしまっては、成功することも成功しない」
ヤクザなロジックです。ちょっと考えて読めば、さっぱりスジが通っていない。 この言い分から、羊祜の心底が透けて見える。
「天下統一の機運が、中華大陸に満ちています」
という理由なんかで、呉攻めを言っていない。
「もし私に呉を討たせてくれなければ、私が朝廷に居場所がなくなる」
という、極めて利己的なニーズで喋っている。だから、反論が支離滅裂なコジツケなんだ。
考えてもみて下さい(笑)呉を攻めれば、晋の将兵が分散する。東南を攻めているときに、西北が苦戦するかも知れない。兵糧だってポケットは1つなんだから、不足するかも知れない。

もっとも、反対した人にしたって、自分の損得勘定だけをやって、呉を討つべきではないと言っている。
「羊祜に主導権を取られたくない」
という具合だ。五十歩百歩なんだ。西晋は、いつもこんな具体だ。

再び、中央召還のワナ

羊祜の人望を賞賛して、中央で、
「台輔」
にするべきだという議論が出た。このときは司馬炎が、
「羊祜に、東南(孫呉)のことを任せている。呼び戻す時期ではないよ」
と言ってくれたから、羊祜は危機を逃れた。

羊祜は魏晋のために策を巡らせたが、レジュメを焼き捨てた。人を推挙することがあったが、売った恩を秘密にした。だから、羊祜のおかげで出世した人も、誰のおかげで偉くなれたのか、知らなかった。
「なぜそんな慎み深いのか」
と聞かれた羊祜は、
「私の考えたプランがミスっていたり、私が推薦した人がダイコンだったりしたら、私が責められちゃうだろ」
と言った。
難しい漢字を使って、格好を付けているから(笑)列伝の原文に描かれた羊祜に、アホな印象はない。だが羊祜が君子然として言っているのは、要はぼくがここに書いたことだ。
羊祜がチャチなのではなく、ワナだらけの西晋が住みにくいのだ。

三国志は銀河だ

弋陽郡と江夏郡に、呉が侵入した。人民が拉致された。
「こら羊祜。呉を攻め返して、荒らされた地域を回復せよ
と司馬炎が命じた。
羊祜は反対した。
「晋の荊州の拠点は、襄陽です。襄陽から江夏までは、800里。敵の侵入を聞いて駆けつけても、間に合いません。もし出動しても、移動の経費がかかるだけです。今回のことは、仕方ないのです」
これを聞いた使者は、羊祜に問い直した。
「だったら、国境附近にも、防御拠点を築けばいいでしょう!兵を駐屯させておけば、敵が侵入したとき、間に合うはずです」
再び羊祜の反論。
「国境は不安定なものです。あの曹操ですら、防御拠点は州治(州の中央)の近くにだけ作りました。もし防御拠点が国境の近くにあれば、しょっちゅう攻められて、応戦のコストがかかります。また、もし州治と防御拠点が離れていれば、人はどっちを守っていいか分かりません。周辺地域は、ある程度は見切って捨てることも必要です

羊祜の発言から、
「三国の争いを、面で捉えるな。点と線で捉えよ」
という、『蒼天航路』の賈詡がコミックスの巻末でやっていたレクチャーが正しいことが分かる。
近代国家のように、ベッタリと地図を塗れる領域があるのではない。
まるで銀河だ。恒星(州府)の周りを、惑星(都督)が取り巻き、衛星(戸邑)が繋がっている。惑星は、恒星の重力圏にある。もし距離が離れれば、公転軌道を逸れて、どこかに言ってしまう。
州府から遠い拠点を確保するのは、難しい。
星と星の間は、真空である。国家が支配する価値がない。便宜的に国境を引くことが出来なくもないが、色塗りは無意味だ。潔癖症&神経質に、国境を守ることも無意味だ。

戦場にいないぼくを含め、司馬炎も同様に、戦争を陣取り合戦で捉えがちだ。机上でイメージしやすいからだ。だから弋陽郡と江夏郡について、目くじらを立てた。だが、
2つの遠隔した拠点がピンポイントに襲撃された・・・それ以上でも以下でもありません。絨毯爆撃を受け、毒薬で一円を不毛の地にされたわけじゃありません。冷静に、起きている現象だけを捉えて下さい。大勢が変われば、いつでも取り返せる程度の被害です」
と羊祜に諭された格好だ。

次回、羊祜が洛陽で死にます。
さんざん荊州にこだわったのに、すんなり洛陽に戻れた理由とは・・・?