表紙 > 人物伝 > 孫呉は二の次、洛陽が気がかりな羊祜伝

2)曹魏とのインターバル

夏侯覇の娘をもらって、やっとデビューした羊祜です。初めての仕官の話がやってきます。

曹爽のお誘い

太原郡の郭奕が、
「羊祜は、ガンカイだ」
と評価した。目医者の免許をくれたのではなく、孔子の高弟の顔回に匹敵する学問の持ち主だと言ったのだ。魏晋の出世コースに、これで完璧に乗った。
ちなみに、曹操の軍師・郭嘉の子も郭奕というけれど、別人。

羊祜のウワサを聞きつけたのは、曹爽だった。
「王沈と羊祜を、私の手下にしたい」
と言った。乗り気の王沈は、羊祜を誘った。羊祜は、
「仕える相手は、慎重に選ぶべきです」
と断った。
曹爽は、宗室を強化するための政権を目指した。羊祜は、夏侯覇の娘を娶っている。だから、曹爽に属しても良さそうなものだが、羊祜は血族のロジックでは動かない。もともと羊氏が貧弱だから、羊祜は自分1人だけの運命に責任を持ち、動けば良い。利害関係や体面が絡んで、余計な口を挟んでくる親族もいない。
のちに王沈は、曹爽に連座して失脚した。王沈が、
「羊祜の言ったとおりだった」
と言うと、羊祜は謙遜した。
「私は、曹爽が敗北することまで、見通してはいませんでしたよ」
このエピソードで王沈は、完全なる引き立て役だ。
王沈が単なるバカな貴族なら、先見の明について、羊祜と比較する価値はない。だが、裴松之が引用しまくっている『魏書』を書いたのが、王沈だ。バカどころか、すばらしい教養者だ。
王沈がオオモノであるほど、羊祜が引き立つ仕組みだ。

夏侯覇の娘、夫婦愛?

曹爽が司馬懿に討たれると、夏侯氏は旗色が悪くなった。羊祜の義父・夏侯覇が、保身のため蜀漢に亡命した。
権力の常識に従うならば、羊祜は妻と離縁しなければならない。常識どおり、曹魏の幕僚たちは、つぎつぎと夏侯氏との縁を切った。だが羊祜は、妻と別れなかった。
「権力におもねらない、毅然とした夫婦愛」
と言うから、羊祜は三国ファンの中で英雄になります。司馬氏は、悪役のイメージが強いからね。だが、真相は違うだろう。
「羊氏は門閥ではないから、見咎められない」
ってところだ。
有力な一族と夏侯氏が結合していれば、司馬氏は警戒せねばならない。だが羊氏は手薄なので、あくまで羊祜1人と女1人の話だ。見逃せる。

離縁しなかったことについて、もう1つ。
魏晋の官人の立場は、推挙してくれた人に依拠する。もし夏侯氏との縁を切ってしまったら、羊祜は泰山郡の孤児に戻ってしまう。司馬氏が羊祜を優遇しているのは、夏侯氏の一味という看板が付いているからだ。
羊祜は、夏侯氏と離縁すると、名士の仲間でなくなる。すなわち、政治生命が絶える。離縁をしなくても、ギリギリ司馬氏に睨まれない。ここまで冷静に分析できたら、別れないのが絶対に正解だ。
まあ、その分析が難しいのですが。

さらに。司馬氏のニーズからしても、羊祜は離縁してはいけない。
司馬氏がやろうとしているのは、放伐でなく、禅譲だ。魏の宗室の権力を全否定せず、魏の宗室の権威をソコソコに引き継がねばならない。羊祜を間に挟んで、夏侯氏の輿望を味方に付けてしまえば、濃すぎず、薄すぎず、よい塩梅で魏の権威を継げる。

曹髦との距離

司馬昭は、羊祜を中書侍郎として、給事中、黄門郎に転じさせた。
文学皇帝の曹髦は、侍臣たちに詩賦をやらせた。そういう風潮を批判して、退けられた人もいた。羊祜は、曹髦にも批判者にも味方もせず、中立の立場を保った。世間の人は、羊祜の態度を褒めた。

曹髦のその後について、
『晋書』が「羊祜伝」で書いてくれてないから、続きを補足。
文学などの芸術が好きな人は、見境なく加熱することがある(笑)曹髦は自ら兵を率いて、司馬昭に対して「クーデター」を起こした。
「皇帝は私なのに、司馬昭は私より偉そうだな!」
という動機だ。
司馬昭は、曹髦を殺した。なんと現役の皇帝を殺してしまったから、非難は司馬昭に集まった。
羊祜の何が優れていたかというと、
「自己主張の強い人は、その主張が正しかろうが誤っていようが、とにかく争いごとを起こしやすい。どちらに味方しても、損である。誹謗されたり、滅亡させられたりするリスクがあるからだ。初めから、激しい主張のある人には、近づかない方が賢い」
という処世をやれたことだ。
人は悲しいもので、敵味方を作るのが楽しい。抗争の当事者になりたがる。やがて、主張の内容そっちのけで、衝突することもある。羊祜は、闘争という名の麻薬に毒されていない人だった。

曹奐との距離

次の皇帝・曹奐は、羊祜を慕った。だが曹奐は、司馬氏が禅譲のクッションのために立てた、若いお飾りの皇帝だ。近づきすぎると、身に危険が及ぶ。羊祜は、曹奐との間に、適度なミゾを保った。

羊祜は、おそらく知っていた。自分は、実家が貧弱ゆえに、司馬氏から利用価値を見出された。だから、高い位を昇ることを許されている。
だが、もともと、
「親交を結びたい人が、名刺を持って門前を埋めた」
みたいな、名士の名門の生まれではない。だから、現在の持ち上げられぶりは、不自然なのだ。アンバランスだ。あんまり出しゃばってはいけない。皇帝に密着などしてはいけない。
「地方官に出して下さい」
羊祜は願い出た。秘書監に任じられた。