表紙 > 漢文和訳 > 漢文初心者の関羽ファンに贈る「関羽伝」の翻訳

02) 劉備は、関羽に心を開かない?

緑字で原文を引用し、黒字でぼくの訳文を載せます。原文にある注釈は、青字です。ぼくの訳注は、グレー枠で囲みます。
それでは、お付き合い下さい。

劉備との出会い

關羽字雲長,本字長生,河東解人也。亡命奔涿郡。

関羽は、あざなを雲長という。

あざなとは、別名。本名を呼ぶと失礼だから、別名を持ってた。
今日の日本人は、親しくもない異姓に、下の名前を呼び捨てされると、ゾッとする。あの気持ちを、100倍したら、関羽と同時代の価値観になるのかな。いやあ、ならないか (笑)

関羽は、もとのあざなを長生といった。

ダサいので、雲長に改名して正解です。長生じゃモテまい。
この一文が手伝って、
「関羽は故郷で罪を犯して逃亡し、改名した
という伝説が生まれることになります。
さすがの関羽なので、セコい罪では釣り合わない。不正な役人を私刑したとか、不遇な女性を救ったとか、民間で尾ひれが付いた。いずれも歴史書にはない話だ。
偽名をトッサに作るとき、長生さんが「関」所をくぐり、空に「雲」が「長」く流れ、鳥が「羽」で飛んでいたからという逸話がある。スーパー適当だ。「そのまんま東」の方が、よほど根拠がしっかりしている。

河東郡の解県が出身である。

岩塩の名産地で、関羽の犯罪も塩の利権がらみとされる。
関羽が商売の神さまになるのは、塩商人が関羽を「故郷の偉人」として、各地で祭ったからだ。
横浜や神戸にも、関羽の廟がある。
だが、観光地の看板はデタラメだ。廟の職員に知識を試されたから、ぼくは関羽について問答したことがある。余裕で勝った。いやな客だ。

関羽は、故郷を亡命して、涿郡に逃げた。

けっこう遠い。ザックリした直線距離&方角で言うと、東京から青森に逃げたのと同じだ。
涿郡とは北京の辺りで、劉備と張飛の故郷だ。

さて、ここまで原文は19文字です。だが訳注が膨らみました。
劉備と出会う前の関羽について歴史書が記したのは、上の緑字19コだけ。しかし三国志ファンは1700年かけて、大好きな関羽のために、想像をたくましくしてきたのです。


先主於鄉里合徒眾,而羽與張飛為之禦侮。先主為平原相,以羽、飛為別部司馬,分統部曲。

劉備は、郷里で仲間を集めた。関羽と張飛は、劉備のボディーガードになった。

さあ!物語と歴史書のギャップに、いちばん驚くべき場所です!
「桃園で義兄弟の契りを交わした」
という話は、歴史書にはありません。関羽の伝記だけじゃなく、劉備や張飛の伝記にもない。
中国は広いから、同郷人を大切にするらしい。日本人の県人会の比じゃなかろう。ぼくは日本人だから感覚を理解しないが、「稀少なものを大事に思う」のは、道理だと思います。
で、同郷の劉備と張飛が結びつくのは自然として、なぜ亡命してきた余所者・関羽が、劉備の信頼を得られたのか? 劉備と関羽の出会いについては、何も史料がないから、大喜利(ブレイン・ストーミングとも言う)を始めるしかありません。
ぼくは、劉備は関羽に、ずっと距離を取り続けたと思う。伝記を読み進めれば、証拠が出てきます。関羽は3人の義兄弟で浮きまくっています。

劉備が、平原国の相になった。

地方官です。黄巾討伐の功績です。

関羽と張飛は、劉備の部下として、別部司馬になった。関羽と張飛は、劉備軍の兵士を分割して、それぞれ統率した。

義兄弟がいつも一緒にいるイメージが強いですが、、
別軍を任されているなら、そんなベタベタできませんね。ちくま学芸文庫では、別部隊であることをわざわざ強調してはいません。
物語の劉備は1人では何もできないイメージが強いが、、関羽と張飛を切り離して、充分に1人で戦っていたようです (笑)

義兄弟ではなく、ただの護衛じゃないのか?

先主與二人寢則同床,恩若兄弟。而稠人廣坐,侍立終日,隨先主周旋,不避艱險。

劉備と、関羽と張飛は、同じベッドで寝た。

関羽たちが「義兄弟になった」というフィクションが生まれたのは、この親密さが根拠です。
「生まれは別の日だが、死ぬのは同じ日に!」
これが、物語の誓いの内容でした。
しかし待つべきだ。歴史書には、同じベッドで寝たとは書いてあるが、同じ日に死ぬ気だったとは書いてない。
「同じベッドに寝るなら、同じ日に死んでいい」
という命題は、必ずしもいつも成立しない(気分的に)。同じベッドで寝たという歴史書を根拠に、同日に死ぬ約束を正当化できない。
ちなみに、逆命題はいつも成立します。
「同じ日に死にたいほどだから、同じベッドに寝てもいい」
この逆命題と混同してはダメだね。

劉備は関羽と張飛を、兄弟のように厚遇した。

男同士の結びつきを、あまり疑うのは美しくないが、、
劉備は、ライバルの曹操や孫権と違って、血縁のバックアップに恵まれなかった。代わりに劉備は、他人(関羽と張飛)に頼るしかなかった。
歴史書の著者が、このコントラストを浮かび上がらせるために、わざと血縁を指す「兄弟」という語を持ち出したのかも?
このレトリックの妙を除けば、いわゆる義兄弟の紐帯が疑わしくなる。

劉備は関羽を厚遇したものの、劉備が人を集めて座談しているときは、関羽は1日中立ちっぱなしだった。

小説では「公私の別」の美談になるところです。会社の同じフロアで付き合っている男女と同じだ。仕事中には、ベタベタしない (笑)
しかし読み方を変えれば、劉備の「大事な話」に同席できなかったとも取れる。関羽は、ただ腕力が強い護衛のポジションか?

劉備があちこちに出かけると、関羽は困難な仕事を、積極的に引き受けた。

献身は美しいが、張飛は同じような苦労をしていない。張飛は、立ちっぱなしでもなく、座談の仲間はずれでもない。関羽は余所者だから、人一倍に働かされた?


次は、関羽の人妻への恋物語です。。