05) 五関突破? 華容道の報恩?
関羽は、同じ境遇の張遼に、転職したい気持ちを打ち明けました。張遼は、曹操にそれを伝えました。
曹操に、見限られたかも知れない関羽
及羽殺顏良,曹公知其必去,重加賞賜。羽盡封其所賜,拜書告辭,而奔先主於袁軍。左右欲追之,曹公曰:「彼各為其主,勿追也。」
関羽が顔良を殺すと、曹操は関羽がきっと去ってしまうと悟った。曹操は、関羽にますます重い褒賞をプレゼントした。
「関羽が馬に乗ったら金を与え、馬から降りたら銀を与えた」
関羽は、全てのプレゼントを開封しなかった。関羽は別れの手紙を、曹操に書いた。
関羽は、袁紹軍の下のいる、劉備のところへ逃げていった。
曹操の左右に仕える人たちは、曹操に、
「関羽を追いましょう」
と言った。曹操は、左右の人を制止した。
「関羽は、彼自身の君主のために、尽くしているのだ。追うな」
リーマンとして最低なのは、上司の言うことを聞かない頑固者だ。能力が半分でも、素直な人材の方が役に立つほどだ。曹操が関羽に見切りをつけた、という解釈も成り立つね。関羽を追っても、しょーがない。
むしろ曹操としては、既存の臣下たちに、波風を立てない方が大切。関羽だけ厚遇すると、人事評価で不満を持つ者が増える。
臣松之以為曹公知羽不留而心嘉其志,去不遣追以成其義,自非有王霸之度,孰能至於此乎?斯實曹公之休美。
この歴史書に注釈を付けている、裴松之は考えます。
青字の注釈は、5世紀に裴松之(ハイショウシ)が加えたものです。注釈者がしゃしゃり出て、自分の意見を述べてます。
曹操は、関羽が自分の下に留まりたくないのを知っても、関羽の志を尊重した。関羽が去っても、曹操は関羽を追わせず、関羽なりの正義をサポートした。
もし曹操に、天下を治める度量がなければ、どうしてこのように、関羽の好きにさせてあげられただろうか。じつに曹操は素晴らしい人だ。
関羽の伝記なのに、盲目的な関羽よりも、曹操が引き立っている。
関羽は、究極には、自分自身の誓いが大事な人間だ。劉備がどんな人間で、自分に対して何を思っているのか、眼中にないようだ。組織人としては、かなり未熟な部類に入るだろうね。
恋に恋する心境と似ている。相手が誰だっていいんだ。
いちばんの見せ場で、別行動にて不在
從先主就劉表。表卒,曹公定荊州,先主自樊將南渡江,別遣羽乘船數百艘會江陵。曹公追至當陽長阪,先主斜趣漢津,適與羽船相值,共至夏口。
関羽は劉備に従って、荊州の劉表の世話になった。
劉表が死ぬと、曹操は荊州を平定した。
劉備は、樊城を脱出して、長江を北岸から南岸へ渡ろうとした。劉備は、関羽に別行動を命じた。関羽は、数百の船を率いて、劉備と江陵で落ち合うことになった。
劉備が誰かを切り離すとき、真っ先に関羽が選ばれます。他の名のある臣下は、全員が劉備に同行しているのに。
関羽は劉備から、運命共同体と見なしてもらってないな。
曹操は、当陽の長坂で、劉備に追いついた。
張飛が、ただ20騎で吼えて、数万人の曹操軍を足止めした。趙雲が血路を開いて、阿斗を助け出した。この名場面に、関羽はいない。船で移動しているだけ。
劉備は進路を変えて、漢津に行った。たまたま劉備は、関羽の船と合流できた。劉備は関羽の船に乗って、夏口に行った。
孫權遣兵佐先主拒曹公,曹公引軍退歸。
孫権は、兵を派遣して劉備を助け、曹操を退けた。曹操は、兵を率いて華北に帰った。
関羽が、敗れた曹操を華容道で見逃すのも、歴史書にありません。物語の潤色を剥がしていくと、関羽は意外と何もしていない (笑)
「曹操への恩は、顔良の1回で完済した」
というのが関羽だ。後年に曹操の領土に攻め込んでいるからね。わりにドライだ。
転じて、劉備はどれほどの恩を関羽に施したから、無償の忠義を得られたんだろう。ぼくが知ってる範囲のあらゆる「痛いこと」を足しても、まだ足りない気がする。
次回、関羽が劉備の過去をほじくり返します。