04) 関羽から張遼への、転職相談
前回、関羽は、劉備にハメられて、逃げにくい下邳城を任されました。案の定、曹操の捕虜になってしまいました。
曹操の部将になった関羽は、顔良を斬り捨てました!
雇い主に利益をもたらす、有能な奴隷
初,曹公壯羽為人,而察其心神無久留之意,謂張遼曰:「卿試以情問之。」
これより先、曹操は関羽の人となりを、高く評価していた。
「関羽は、智勇と義理を兼ね備えた人」
と褒めると美しいが、雇い主がコキ使いやすい&結果も出してくれる便利な人材と見ることもできる。
曹操は、赤心の友情を抱かない人だった。ただ能力を、定量的に愛した人だった。曹操の関羽への評価は、潤いたっぷりの「恋心」ではなく、ドライな雇い主としてのモノではなかったか?
だが曹操は、関羽が自分のところに、長く留まる気持ちがないことを察した。曹操は、張遼に言った。
企業でも、新たに配置した社員を、年齢や境遇が近い人と組ませ、メンターとして面倒を見させる。曹操のやり方も同じだ。
「張遼よ。キミが、試しに関羽の本心を聞いてきてくれないか」
それまで2人の接点は、張遼の伝記にもない。
既而遼以問羽,羽歎曰:「吾極知曹公待我厚,然吾受劉將軍厚恩,誓以共死,不可背之。吾終不留,吾要當立效以報曹公乃去。」
張遼は関羽に、キャリアのビジョンを聞いた。関羽は、ため息をついて言った。
「曹操様が、とても私を手厚く待遇して下さっていることは、痛いほど分かっています。しかし、私は劉備将軍に、厚い恩を受けました。私は、劉備将軍と同じときに死のうと、心に誓っております。
違う!
原文を読めば、関羽が劉備と一緒に死のうと誓ったのは確かだが、劉備が関羽と一緒に死のうと誓ったかは、分からない。というか、関羽を下邳に置いて、劉備は北の袁紹に逃げてしまったじゃないか。
劉備は、同日の死を誓ってないと考えるのが妥当だ。もし劉備が誓っていたら、関羽を捨てた劉備はウソを吐いたことになる。そんな劉備に従う人はいないだろう。
関羽は、一方的に劉備に義理を感じている。
なぜか? 故郷から脱走した後に、生涯のトラウマを体験したんだろな。
私は、この誓いに背くことはできません。
ぼくは、前職で行き詰まった。自分の市場価値が、ゼロになったかと思われた。何社か受けて、今の会社に入ったとき、
「少々のことがあっても、こんなぼくを雇ってくれた会社に尽くす」
と思ったものでした。しかしたちまち、今の会社への不満がタラタラと出てきた。関羽だったら、今の会社がいかに待遇がひどかろうと、黙々と成果を出し続けるだろうに。
ちくま学芸文庫では、関羽は「劉備に背けない」と言っているが、ぼくは「私自身の誓いに背けない」と読みます。文法的にはどちらも可?
私は、曹操様のところに、ずっと留まるつもりはありません。必ず手柄を立て、曹操様に報いてから、立ち去るつもりです」
遼以羽言報曹公,曹公義之。
張遼は、関羽の言葉を、曹操に伝えた。曹操は、関羽の考え方を「義である」と言った。
「はじめ」と素直に読めばいいんだが、どれくらい時間を遡るのか、分からない。書き手に優しいが、読み手にはツラい文字です。
曹操がいつから関羽を評価したか、いつ張遼にヒアリングを命じたか、微妙なんだよねえ。
板ばさみのリーマン、張遼の苦悩
傅子曰:遼欲白太祖,恐太祖殺羽,不白,非事君之道,乃歎曰:「公,君父也;羽,兄弟耳。」遂白之。
『傅子』が伝える。
張遼は曹操に、関羽の言い分を伝えようと思った。だが、曹操が関羽を殺してしまうのを恐れた。
張遼は悩んだ。もし曹操に、関羽の言葉を伝えなければ、雇われ人の作法に違反する。
張遼は、嘆いて言った。
「主君の曹操様は、父と同じだ。関羽は、兄弟に過ぎない」
張遼のこの苦渋の決断を見ると、劉備たちが「義兄弟」だったとしても、最後の最後では裏切っても良さそうに見えてくる。事実、物語でも同日に死んでいないしな (笑)
しかし、張遼の独白を、誰が聞きとめたんだろう、、見てきたように書きたがる、歴史家のオテツキです。
ついに張遼は曹操に、関羽の言い分を打ち明けた。
太祖曰:「事君不忘其本,天下義士也。度何時能去?」遼曰:「羽受公恩,必立效報公而後去也。」
曹操は張遼に言った。
「君主に仕える作法について、根本的な原則を忘れない関羽は、天下の義士である。張遼よ、関羽はどういうタイミングを見つけて、私の下を立ち去るだろうか?」
張遼が答えた。
「関羽は、曹操様から恩を受けています。必ず、曹操様の厚遇に報いてから、立ち去るでしょう」
次回、関羽が曹操を去ります!