06) 孔明の優しい言葉「ヒゲ殿」
赤壁の前、荊州で曹操に追われ、命からがら逃げた劉備。そんな劉備を、関羽がたしなめたことが注釈で読めます。
曹操を殺しておけばよかったのに
蜀記曰:初,劉備在許,與曹公共獵。獵中,眾散,羽勸備殺公,備不從。及在夏口,飄颻江渚,羽怒曰:「往日獵中,若從羽言,可無今日之困。」備曰:「是時亦為國家惜之耳;若天道輔正,安知此不為福邪!」
『蜀記』が伝えている。
はじめ劉備が、許にいたとき、曹操と狩猟をしたことがあった。
狩猟のとき、曹操の従者たちが、散開した。関羽は劉備に
「チャンスだから、曹操を殺しなさい」
と提案した。劉備は「殺さぬ」と断った。
「諸葛亮が入るまで、関羽が軍師代わりだ」
と描く話もあるが間違いだ。軍師の機能は、劉備が兼ねていた。
いま劉備は曹操に追われ、夏口まで逃げてきた。劉備軍は、長江のあたりで風を受けてフラフラ漂った。
関羽は怒って、劉備に言った。
「むかし狩猟のとき、もし私が勧めたとおりに、劉備様が曹操を殺していれば、今日こんなに苦労はしなかったものを」
「曹操の厚遇を振り切ってまで、私は劉備様を選んだ。だが重要局面になると、いつも私は除け者だ。私を除け者にするから、あなたは危機に遭うのだ」
という恨み言じゃないかな。
確かに、徐州の小沛でも荊州の当陽でも、除け者になった関羽は逆に安全圏にいて、劉備は生死の境目を彷徨ってる。
劉備は言った。
「あのときは、国家のために曹操の生命を惜しんだのだ。もし天道が正しい者を助けてくれるなら、どうして今日の私たちの苦労が、単なる骨折り損であろうか」
臣松之以為備後與董承等結謀,但事泄不克諧耳,若為國家惜曹公,其如此言何!羽若果有此勸而備不肯從者,將以曹公腹心親戚,實繁有徒,事不宿構,非造次所行;曹雖可殺,身必不免,故以計而止,何惜之有乎!既往之事,故讬為雅言耳。
注釈者である、わたくし裴松之は考えます。
劉備は、董承とともに曹操の暗殺計画を立てた。だが事前に発覚して失敗しただけだ。劉備が曹操の生命を惜しんだとは、辻褄が合わない。
劉備が関羽の提案を採用して、曹操を殺すにしても、曹操の護衛が厚いのでムリだ。もし曹操を殺しても、劉備自身が助からないから、実行するわけにはいかない。
劉備は、過去の話だから「国家のために」と美化しただけだ。
関羽のヒゲが立派だとされる根拠
先主收江南諸郡,乃封拜元勳,以羽為襄陽太守、蕩寇將軍,駐江北。先主西定益州,拜羽董督荊州事。
赤壁の戦いの後、劉備は、長江の南岸にある諸郡を手に入れた。劉備に長年従ってきた人たちが、新しい領地に封じられた。関羽は襄陽太守、蕩寇將軍となり、長江の北に駐屯した。
劉備は西に攻め込み、益州を平定した。
益州攻略が難航したと「口実」が付けられ、人材がどんどん益州に持っていかれる。関羽を立ち枯れさせるつもりか?ってくらい過剰に。劉備が益州を攻める人材は、ムダに豪華でした。
関羽は劉備から、荊州の政治や軍事の全般を任された。
荊州は、曹操と孫権を両面に受ける前線です。劉備が行った益州は、安全地帯です。関羽の荊州統治は、過去に何度か同じことがあった「劉備から関羽への無茶な振り」じゃないのかな?
羽聞馬超來降,舊非故人,羽書與諸葛亮,問超人才可誰比類。亮知羽護前,乃答之曰:「孟起兼資文武,雄烈過人,一世之傑,黥、彭之徒,當與益德並驅爭先,猶未及髯之絕倫逸群也。」
関羽は、馬超が劉備の下に入ったと聞いた。関羽は馬超のことを知らないので、諸葛亮に手紙を書いた。
「馬超の才能は、誰に匹敵するか」
だから関羽は、劉備が馬超をどのように扱うか、気になったはず。関羽は、馬超が自分と同程度に苦労をさせられないと納得できない。
諸葛亮は、ずっと昔から関羽が劉備を護衛してきたことを、知っていた。だから諸葛亮は、関羽のキャリアに配慮して答えた。
ぼくが素直に読めば「前ヨリ護ル」になります。
諸葛亮が答えるには、
「馬超は、文と武の資質をどちらも持ち、雄烈さは人を上回ります。馬超は一世之傑で、黥布や彭越と同レベルでしょう。
馬超は、張飛と良きライバルでしょう。しかし、ヒゲ殿の絶倫ぶりは、馬超や張飛を寄せ付けません」
羽美須髯,故亮謂之髯。羽省書大悅,以示賓客。
関羽はヒゲが美しかったから、諸葛亮は関羽を手紙の中で「ヒゲ殿」と読んだのである。
関羽は諸葛亮の手紙を見て、大喜びした。関羽は手紙を、賓客に見せびらかした。
違うでしょ。
これまで関羽は、劉備にさんざんコキ使われてきたのに、劉備から承認されたことがなかった。荊州に残されて落ち込んだ。諸葛亮が長年の貢献に報いてくれたから、嬉しかったんだ。
「馬超に勝って嬉しい」でなく、優しい気づかいが嬉しかったんだ。
ヒゲ殿という親しみの表現も、関羽を喜ばせたんだろう。諸葛亮は計算づくかも知れないが。
次回、関羽がケガをして、手術を受けます。