03) 劉備のせいで捕虜になる
関羽の恋物語は、歴史書本文ではなく、注釈に出てきます。
注釈は、青字で載せてます。
伝記が省略しているあらすじ
関羽は劉備の護衛となり、転戦しました。
劉備は、徐州という土地を手に入れました。しかし彷徨ってきた呂布に、徐州を奪われてしまいました。
劉備は曹操を頼り、呂布への復讐を挑みます。
人妻への恋、曹操の横取り
蜀記曰:曹公與劉備圍呂布於下邳,關羽啟公,布使秦宜祿行求救,乞娶其妻,公許之。
『蜀記』という書物が、本文を補っている。
曹操は、劉備と協力して、呂布を下邳城(徐州の首都)に包囲した。関羽は、曹操に頼みごとをした。
「呂布は、秦宜禄という人を、救援の使者に立てております。
『三国志集解』によれば、秦宜禄は張楊のところへ泣きついた。
私に、秦宜禄の妻を娶らせて下さい」
『三国志集解』によれば、関羽は「私の今の妻が、子を産まないので」と言い訳をしたとか。余計に見っともない (笑)
曹操は、関羽の申し出を認めた。
戦利品を「予約」するなんて、俗っぽいエピソードだよなあ。
関羽が娶りたがっているのは、杜氏という姓です。
臨破,又屢啟於公。公疑其有異色,先遣迎看,因自留之,羽心不自安。此與魏氏春秋所說無異也。
曹操が呂布を追い詰めると、関羽はクドクドと、曹操に約束を守ってくれと念を押した。曹操は、関羽がヤキモキしている様子を見て、よほどの美女ではないかと怪しく思った。
曹操は、関羽より先に、秦宜禄の妻を迎えに行かせた。妻と面会した曹操は、自分の手元に、秦宜禄の妻を置いてしまった。関羽の心はソワソワして、休まらなかった。
同じエピソードが『魏氏春秋』にも載っている。
あの関羽が「心不自安」とは、可愛らしい限りです。
ひとりぼっちで、長官を任された関羽
先主之襲殺徐州刺史車胄,使羽守下邳城,行太守事。
劉備は、曹操の部将で、徐州刺史を務める車冑を殺した。劉備は、曹操から徐州を乗っ取った。
劉備は、関羽に下邳城(徐州の首都)の守備を任せた。劉備は関羽に、太守(長官)の仕事を代行させた。
ぼくは違うと思う。
劉備が曹操に叛いたのは、ハイリスクな博打だった。失敗したら、逃げられない。きっと曹操に殺される。だから、能力の高い捨て駒である関羽に、城を守らせたんだ。
劉備は、個人的に関羽と気が合わず、遠ざけたかったからかも (笑)
魏書雲:以羽領徐州。而身還小沛。
『魏書』が伝えている。
関羽は、徐州の統治を代行した。劉備は、小沛に身を寄せた。
なぜ劉備が、2番目の城を選んだかは、次の段で分かります。
劉備の計算どおり、逃げ遅れた関羽
建安五年,曹公東征,先主奔袁紹。曹公禽羽以歸,拜為偏將軍,禮之甚厚。
建安五(西暦200)年、曹操は東に出撃し、劉備が盗んだ徐州を取り戻しにきた。劉備は、袁紹のところに逃げた。
曹操は、関羽を捕虜にして、自分の本拠地に連れ帰った。
関羽が任された首都の城は、東南に位置するからです。曹操の進撃に気づきにくいし、北の袁紹へ逃げるにも遠い。
劉備はセコいな!
しかも関羽が任された下邳城は、2年前に曹操と劉備が同盟して、呂布を包囲した場所だ。曹操は、攻め方を熟知している。並大抵では、守れるわけない。だから劉備は、徐州の首都であるにも関わらず、下邳城に入らなかったんだ。
とは言え、できたら曹操を追い返し、徐州をキープしたいというのが、劉備の本音だろう。万が一、関羽が防衛に成功したら、劉備は涼しい顔で帰ってきたに違いない (笑) 外様の悲哀だなあ。。
曹操は関羽を、偏將軍に任命した。曹操は関羽を、とても手厚く礼遇した。
注意したいのは、これまでのエピソードで、曹操が関羽の男ぶりに触れるチャンスがなかったということ。せいぜい女性を取り合っただけだ。
物語では、
「虎牢関で、酒が冷めないうちに華雄を討ち取った人だ」
と曹操が関羽を評価してくれるが、あれはフィクションだ。逆に言えば、物語作家が、曹操と関羽の接点を「創作」しなければならぬほど、2人は関わりがない。
きっと曹操から見れば、関羽は劉備に裏切られたから、完全なるフリーだった。だから、軽い気持ちで口説いたんだろう。
「どこにも行く場所がないなら、どう?」
というノリで。
曹操が関羽を「発見」して恋をするのは、捕虜にした後のはず。
1万人以上の包囲を破り、顔良を斬る
紹遣大將顏良攻東郡太守劉延於白馬,曹公使張遼及羽為先鋒擊之。羽望見良麾蓋,策馬刺良於萬眾之中,斬其首還,紹諸將莫能當者,遂解白馬圍。曹公即表封羽為漢壽亭侯。
袁紹は、大将の顔良に命じて、曹操の部将で東郡太守の劉延が守る、白馬城を攻めさせた。曹操は、張遼と関羽をペアで先鋒に任命して、顔良を迎撃させた。
関羽は、顔良の旗印と車蓋を見つけた。関羽は馬にムチを打って、1万人以上の兵士の壁を、駆け破った。関羽は顔良を刺し殺し、顔良の首級をあげて、曹操軍に戻った。
袁紹軍の将軍たちは、関羽に対抗できる人がいなかった。ついに袁紹軍は、白馬城の包囲をやめた。
関羽が文醜を討ったというウソを混ぜることで、ちゃんと顔良を討ったという史実までウソくさくなったら、関羽の名誉のために逆効果だ。
曹操は手柄をほめて、関羽を漢壽亭侯にした。
次回、曹操が関羽を手に入れようとします。