08) 関羽に劉備を討たせましょう
関羽の後ろから、孫権が迫ってます。
しかし敵は、味方の中にもいました。
なぜ関羽は、部下に裏切られたか
又南郡太守麋芳在江陵,將軍(傅)士仁屯公安,素皆嫌羽(自)輕己。羽之出軍,芳、仁供給軍資,不悉相救。羽言「還當治之」,芳、仁鹹懷懼不安。於是權陰誘芳、仁,芳、仁使人迎權。
関羽の部将で、南郡太守の麋芳は、江陵にいた。將軍の士仁は、公安にいた。2人とも、自分のことを侮る関羽がキライだった。
関羽が北伐に出発すると、麋芳と士仁は、軍事物資を差し出すだけで、全力で手伝わなかった。
関羽は言った。
「北伐から戻ったら、麋芳と士仁の2人を取り締まらねばならん」
麋芳と士仁は、関羽の言葉を知って、恐ろしくなった。
ここに孫権が漬けこんだ。麋芳と士仁は、孫権の軍勢を迎え入れて、関羽攻撃に協力した。
旧友を討っても、報われる徐晃
而曹公遣徐晃救曹仁。
曹操は、徐晃を遣わして、樊城の曹仁を救わせた。
蜀記曰:羽與晃宿相愛,遙共語,但說平生,不及軍事。須臾,晃下馬宣令:「得關雲長頭,賞金千斤。」羽驚怖,謂晃曰:「大兄,是何言邪!」晃曰:「此國之事耳。」
『蜀記』が徐晃について伝える。
関羽と徐晃は、旧知の間柄で、尊敬しあっていた。
いま関羽と徐晃は、敵同士として再会した。徐晃は、遠くから関羽と語り合った。世間話だけをして、軍事のことは話題にしなかった。
しばらくして、徐晃は下馬して、命令を下した。
「関雲長の首級をとった人には、千斤の賞金を出す」
関羽は驚き怖れ、徐晃にいった。
「大兄よ、いきなり何の話だ」
徐晃は言った。
「国のための話だ」
雇われ人として、公私の区別が付いている徐晃。半ば独立(孤立)して、バランス感覚を失っている関羽。
徐晃は、私情を殺して旧友を討っても、それを適正に評価してくれる国家に属している。しかし関羽には、私情を殺しても旧友を殺しても、リターンや保障がない。関羽は徐晃と馴れ合って、穏便に済ませたかっただろう。世間話が成立したから、期待をかけた。
孫権が関羽をだまし討つ
羽不能克,引軍退還。權已據江陵,盡虜羽士眾妻子,羽軍遂散。權遣將逆擊羽,斬羽及子平於臨沮。
関羽は徐晃に勝てず、撤退した。
背後で孫権は、関羽の本拠地・江陵を占領した。関羽軍の兵士の妻子を、孫権はすべて捕虜にした。関羽軍は、ついに空中分解した。
孫権は将軍を送り、撤退してくる関羽を迎撃した。孫権軍は、関羽とその子の関平を斬った。関羽が斬られた地は、臨沮だ。
原点は、たった1800字(原稿用紙4枚半)なのに、余計な注釈を挿入しすぎたか。
蜀記曰:權遣將軍擊羽,獲羽及子平。權欲活羽以敵劉、曹,左右曰:「狼子不可養,後必為害。曹公不即除之,自取大患,乃議徙都。今豈可生!」乃斬之。
『蜀記』が、関羽の最期について、異説を伝える。
孫権は、関羽と関平を捕えた。孫権は関羽をヘッドハンドして、劉備と曹操に敵対させたいと思った。左右の人が、孫権に反対した。
「オオカミの野性は、手懐けることができません。必ず手をかまれるでしょう。曹操は関羽を殺さなかったので、関羽に悩まされました。恩知らずの関羽が樊城を攻めたので、曹操は、遷都を考える羽目に遭いました。孫権さまが、関羽を生かして良いはずがありません」
孫権は、関羽を斬った。
臣松之按吳書:孫權遣將潘璋逆斷羽走路,羽至即斬,且臨沮去江陵二三百里,豈容不時殺羽,方議其生死乎?又雲「權欲活羽以敵劉、曹」,此之不然,可以絕智者之口。
注釈者の裴松之は、『蜀記』を怪しみます。
『呉書』を見ると、
「孫権の部将・潘璋が、関羽の退路を断ち、その場で関羽を斬った」
とあります。関羽が斬られた臨沮から、孫権がいる江陵までは、2、300里あります。
どうして潘璋が関羽を殺す前に、孫権が関羽の生死を議論できるでしょうか。
また「孫権が関羽を使って、劉備と曹操に対抗しようとした」なんて、あり得ません。『蜀記』の著者は、三国志のキャラの人間関係を全く知らない、大バカです。
一分の真実が含まれると思ったから引用したか、ただ笑い飛ばしたいから引用したか。それとも、偉大なる関羽の死に様について、少しでも手がかりを残したかったのかなあ。
吳曆曰:權送羽首於曹公,以諸侯禮葬其屍骸。
『呉暦』が伝える。
孫権は、関羽の首を、曹操に送った。曹操は、諸侯の葬式と同じくらい盛大に、関羽の死体を葬った。
っていうか、歴史学の手法で否定する内容じゃないか (笑)
次回、関羽の子孫について。