表紙 > 漢文和訳 > 『漢書』王莽伝下を抄訳し、光武帝を知る準備をする

07) 23 秋冬, 王莽を切り刻む

『漢書』王莽伝をやります。
光武帝を知る目的なので、天鳳4年(後17年)から。

ちくま訳を参照します。『漢書補注』でおぎなうのは、後日。

23年秋:鄧曄が武関を開き、隗囂が長安を攻める

秋,太白星流入太微,燭地如月光。
成紀隗崔兄弟共劫大尹李育,以兄子隗囂為大將軍,攻殺雍州牧陳慶、安定卒正王旬,並其眾,移書郡縣,數莽罪惡萬於桀、紂。

23年秋、太白星が、月のように明るい。
天水郡の成紀にいる隗崔の兄弟は、大尹の李育をおどした。兄の子・隗囂を、大將軍にした。隗囂たちは、雍州牧の陳慶を殺し、安定卒正の王旬を殺した。州郡の兵をうばった。
「王莽は、桀や紂みたいに悪いやつだ」と触れ回った。

是月,析人鄧曄、于匡起兵南鄉百餘人。時析宰將兵數千屯鄡亭,備武關。曄、匡謂宰曰:「劉帝已立,君何不知命也!」宰請降,盡得其眾。曄自稱輔漢左將軍,匡右將軍,拔析、丹水,攻武關,都尉硃萌降。進攻右隊大夫宋綱,殺之,西拔湖。
莽愈憂,不知所出。崔發言:「《周禮》及《春秋左氏》,國有大災,則哭以厭之。故《易》稱『先號啕而後笑』。宜呼嗟告天以求救。」莽自知敗,乃率群臣至南郊,陳其符命本末,仰天曰:「皇天既命授臣莽,何不殄滅眾賊?即令臣莽非是,願下雷霆誅臣莽!」因搏心大哭,氣盡,伏而叩頭。又作告天策,自陳功勞,千餘言。諸生小民會旦夕哭,為設飧粥,甚悲哀及能誦策文者除以為郎,至五千餘人。{帶足}惲將領之。

この月、析人の鄧曄と于匡が、南郷で100余人と起兵した。
「すでに劉氏の皇帝が立った。どうして天命を知らないのか」
と脅されると、新室の県宰は降伏した。
鄧曄は、みずから輔漢左將軍を名のった。于匡は、右將軍を名のった。武関を攻め落とした。
王莽は、いよいよ憂いた。『周礼』と『春秋左氏伝』にもとづき、王莽は心臓をたたいて哭き、国の安定を祈った。『易経』によれば、泣いたあとには、きっと、いいことがある
天にささげる策文をつくり、暗誦してくれた人を、郎に採用した。5000人が暗誦をして、新室に取り立てられた。

王朝の末期を、ここまで詳細に書いてくれることも、あまりなかろう。読めることに、感謝します。ウソがまじっているかも知れないが。笑


莽拜將軍九人,皆以虎為號,九曰「九虎」將北軍精兵數萬人東,內其妻子宮中以為質。時省中黃金萬斤者為一匱,尚有六十匱,黃門、鉤盾、臧府、中尚方處處各有數匱。長樂禦府、中禦府及都內、平准帑藏錢、帛、珠玉財物甚眾,莽愈愛之,賜九虎士人四千錢。眾重怨,無鬥意。九虎至華陰回溪,距隘,北從河南至山。于匡持數千弩,乘堆挑戰。鄧曄將二萬餘人從閿鄉南出棗街、作姑,破其一部,北出九虎後擊之。六虎敗走。史熊、王況詣闕歸死,莽使使責死者按在,皆自殺;其四虎亡。三虎郭欽、陳□、成重收散卒,保京師倉。

王莽は、九虎将軍を任命した。

『三国演義』の五虎将軍につうじる。

9人のうち6人は、敗れるか、逃げるかした。
のこり3人は、長安あたりの穀倉を守った。

鄧曄開武關迎漢,丞相司直李松將二千餘人至湖,與曄等共攻京師倉,未下。曄以弘農掾王憲為校尉,將數百人北度渭,入左馮翊界,降城略地。李松遣偏將軍韓臣等徑西至新豐,與莽波水將軍戰,波水走。韓臣等追奔,遂至長門宮。王憲北至頻陽,所過迎降。大姓櫟陽申碭、下邽王大皆率眾隨憲,屬縣□嚴春、茂陵董喜、藍田王孟、槐裏汝臣、盩厔王扶、陽陵嚴本、杜陵屠門少之屬,眾皆數千人,假號稱漢將。

鄧曄は、武関をひらいて、漢兵をむかえた。鄧曄は、丞相司直の李松とともに、新軍の穀倉を攻めた。しかし新軍がまもり、食糧を奪えない。

九虎将軍が、機能している! 新軍は、捨てたものではない。笑

鄧曄の軍が通過したところでは、現地の大姓(豪族)が、つぎつぎと漢に降伏した。豪族たちは、漢将を名のった。

時李松、鄧曄以為,京師小小倉尚未可下,何況長安城!當須更始帝大兵到。即引軍至華陰,治攻具。而長安旁兵四會城下,聞天水隗氏兵方到,皆爭欲先入城,貪立大功鹵掠之利。

ときに李松と鄧曄は、小さな穀倉よりも、長安にターゲットを定めた。更始帝の大軍が、到着するのを待った。
しかし、天水郡の隗囂が到着し、長安に攻めかかった。隗囂は、真っ先に王莽を討ち、略奪の利益を得たい。

ふつうに、ワクワクする軍記物だ。考察?の余地なし。


莽遣使者分赦城中諸獄囚徒,皆授兵,殺豨飲其血,與誓曰:「有不為新室者,社鬼記之!」更始將軍史諶將度渭橋,皆散走。諶空還。眾兵發掘莽妻子父祖塚,燒其棺槨及九廟、明堂、辟雍,火照城中。或謂莽曰:「城門卒,東方人,不可信。」莽更發越騎士為衛,門置六百人,各一校尉。

王莽は、囚人を赦し、軍団に編成した。イノシシの血をすすり、新室のために戦うことを誓わせた。外戚の史諶が、囚人兵を率いて、渭橋をわたった。囚人兵は、逃げ出した。

ださいなあ。

攻め手は、王莽の、妻子や父祖の陵墓をあばいた。ある人が、王莽に云った。
「城門の兵士は、山東の人だ。信じられない」

新室を傾けたのは、山東地方の盗賊でした。旧秦をつぐ関中政権にとって、旧斉は、200年経ってもライバルでありつづけた。

王莽は、門兵を越人に代えた。門ごとに600人おいた。

越人は、辺境すぎて、地域のアイデンティティがないのか。ただの屈強なお人形だ。後漢末には、呉越の誇りがつよく出てくるのだが。


23年冬:王莽が斬られ、新将が死に絶える

十月戊申朔,兵從宣平城門入,民間所謂都門也。張邯行城門,逢兵見殺。王邑、王林、王巡、{帶足}惲等分將兵距擊北闕下。漢兵貪莽封力戰者七百餘人。會日暮,官府邸第盡奔亡。二日己酉,城中少年硃弟、張魚等恐見鹵掠,趨訁雚並和,燒作室門,斧敬法闥,呼曰:「反虜王莽,何不出降?」火及掖廷承明,黃皇室主所居也。莽避火宣室前殿,火輒隨之。宮人婦女啼呼曰:「當奈何!」時莽紺袀服,帶璽韍,持虞帝匕首。天文郎桉栻於前,日時加某,莽旋席隨斗柄而坐,曰:「天生德於予,漢兵其如予何!」莽時不食,少氣困矣。

10月戊申ついたち、漢兵は、宣平城から長安城に入った。張邯は、城門にいたから、殺された。王邑らは、北門を防いだ。
2日己酉、漢兵に降伏した人が、後宮を焼いた。
「反虜の王莽よ。どうして出てきて、降らないのか」
宮人と婦女が、焼きだされた。王莽に泣きついた。王莽は、食べていないから、気力が出ない。王莽は言う。
「天は私に徳をあたえた。漢兵が、私をどうにかできるものか」

三日庚戌,晨旦明,群臣扶掖莽,自前殿南下椒除,西出白虎門,和新公王揖奉車待門外,莽就車,之漸台,欲阻池水,猶抱持符命、威鬥,公、卿、大夫、侍中、黃門郎從官尚千餘人隨之。王邑晝夜戰,罷極,士死傷略盡,馳入宮,間關至漸台,見其子侍中睦解衣冠欲逃,邑叱之令還,父子共守莽。軍人入殿中,呼曰:「反虜王莽安在?」有美人出房曰「在漸台。」眾兵追之,圍數百重。臺上亦弓弩與相射,稍稍落去。矢盡,無以複射,短兵接。王邑父子、{帶足}惲、王巡戰死,莽入室。下□時,眾兵上臺,王揖、趙博、苗、唐尊、王盛、中常侍王參等皆死臺上。商人杜吳殺莽,取其綬。校尉東海公賓就,故大行治禮,見吳問:「綬主所在?」曰:「室中西北陬間。」就識,斬莽首。軍人分裂莽身,支節肌骨臠分,爭相殺者數十人。公賓就持莽首詣王憲。憲自稱漢大將軍,城中兵數十萬皆屬焉,舍東宮,妻莽後宮,乘其車服。

10月3日庚戌、早朝、王莽はわきを抱えられ、車で運ばれた。
王邑は、逃げようとする我が子を呼びつけ、ともに王莽を護衛した。王邑の父子は、戦死した。王莽は、室に入った。
商人の杜呉が、王莽を殺した。新皇帝の綬をとった。

マーチャントでなく、商国の人? 商なんて地名、残ってた?

もと大行の治禮は、杜呉に問うた。
「綬の持ち主は、どこにいるか?」
「室中の西北のすみだ」
治禮は、王莽の首を斬った。兵たちは、王莽の死体をバラした。関節、皮膚、骨肉を刻んだ。数十人が、死体をとりあって、殺しあった。

王莽の死体は、功績のカタマリだ。ほしい!
おなじくバラされた敵役は、項羽である。史家のニーズにより、前漢の敵・項羽と、後漢の敵・王莽は、解体シーンがリアルに記された。
しかしぼくが思うに、敗者はいつも、バラされたんだろう。ただ史書に残らないだけで。候補者を探すのは、楽しいことです。笑

鄧曄の校尉・王憲は、みずから漢大將軍を名のった。王憲は、王莽の後宮と車服をうばった。

六日癸醜,李松、鄧曄入長安,將軍趙萌、申屠建亦至,以王憲得璽綬不輒上、多挾宮女、建天子鼓旗,收斬之。傳莽首詣更始,懸宛市,百姓共提擊之,或切食其舌。

10月6日癸醜、李松と鄧曄が、長安に入った。王憲は、璽綬をガメていたため、鄧曄に殺された。
王莽の首は、更始帝に送られ、宛城でさらされた。万民は、王莽の首を撃った。ある人は、王莽の舌を切りとり、食べた。

莽揚州牧李聖、司命孔仁兵敗山東,聖格死,仁將其眾降,已而歎曰:「吾聞食人食者死其事。」拔劍自刺死。及曹部監杜普、陳定大尹沈意、九江連率賈萌皆守郡不降,為漢兵所誅。賞都大尹王欽及郭欽守京師倉,聞莽死,乃降,更始義之,皆封為侯。太師王匡、國將哀章降雒陽,傳詣宛,斬之。嚴尤、陳茂敗昆陽下,走至沛郡譙,自稱漢將,召會吏邱。尤為稱說王莽篡位天時所亡、聖漢復興狀,茂伏而涕泣。聞故漢鐘武侯劉聖聚眾汝南稱尊號,尤、茂降之。以尤為大司馬,茂為丞相。十余日敗,尤、茂並死。郡縣皆舉城降,天下悉歸漢。

新室の揚州牧である李聖と、司命の孔仁は、山東で敗れて死んだ。新室に殉じた人々を、更始帝は侯爵に封じた。
太師の王匡と、国将の哀章は、洛陽で降伏して、斬られた。厳尤と陳茂は、尊号を名のる劉聖に降伏したが、10余日で戦死した。
郡県はみな城を降し、天下はすべて漢に帰した。

次回、最終回です。更始帝がほろび、光武帝が即位します。