表紙 > 漢文和訳 > 『漢書』王莽伝下を抄訳し、光武帝を知る準備をする

08) 24-25, 更始、劉盆子、光武

『漢書』王莽伝をやります。
光武帝を知る目的なので、天鳳4年(後17年)から。

ちくま訳を参照します。『漢書補注』でおぎなうのは、後日。

24年:更始帝のおだやかな征圧

初,申屠建嘗事崔發為《詩》,建至,發降之。後複稱說,建令丞相劉賜斬發以徇。史諶、王延、王林、王吳、 趙閎亦降,複見殺。初,諸假號兵人人望封侯。申屠建既斬王憲,又揚言三輔黠共殺其主,吏民惶恐,屬縣屯聚,建 等不能下,馳白更始。

漢の申屠建は、かつて新の崔發に『詩経』を学んだことがある。崔發は、申屠建に降伏した。そのあと崔發は、余計なことを言いふらしたので、殺された。
王莽の外戚である史諶と、同族の王延、王林らは、みな漢軍にくだって、殺された。
みな更始帝から、諸侯に封じられたい。更始帝に小まめに報告した。

二年二月,更始到長安,下詔大赦,非王莽子,他皆除其罪,故王氏宗族得全。三輔悉平,更始都長安,居長樂宮。府藏完具,獨未央宮燒攻莽三日,死則案堵複故。更始至,歲餘政教不行。

更始二年(24年)2月、更始帝は長安にきた。大赦した。王莽の子をのぞいて、罪を除いた。王氏は、殺されずにすんだ。三輔は、平らかになった。
更始帝は、長安に都した。長楽宮にいた。未央宮だけ3日間の戦いで焼けたが、それ以外は、1つも焼けていない。
長安市民は、もとどおりの生活にもどった。

25年:赤眉が長安というか、秦漢帝国をほろぼす

明年夏,赤眉樊崇等眾數十萬人入關,立劉盆子,稱尊號,攻更始,更始降之。赤眉遂燒長安宮室市里,害更始。民饑餓相食,死者數十萬,長安為虛,城中無人行。宗廟園陵皆發掘,唯霸陵、杜陵完。六月,世祖即位,然後宗廟社稷複立,天下艾安。

翌年夏、赤眉の樊崇ら数十万が、劉盆子を皇帝に立てて、攻めた。更始帝は、劉盆子に降った。
赤眉は、長安を焼き尽くし、更始帝を殺した。
人民は飢えて、たがいを食べた。死者は数十万。長安は廃墟となり、人がいなくなった。

南陽の更始帝は、前漢や新室の内側から出てきた、ただの改革勢力。山東の赤眉は、前漢や新室の外側からやってきた、物騒な革命勢力だ。

霸陵と杜陵をのこして、陵墓は掘り起こされた。
6月、光武帝が即位した。

光武帝との距離は、赤眉がとおく、王莽が近いのかも?

光武帝は、宗廟と社稷を復興し、天下は平安となりましたとさ。

おわりに

王莽伝下、とりあえず終わりです。
会社が、まだ休みでないのに、
夏休みっぽく飛ばしたせいで、やや眠い。100804